人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

「ぼっち・ざ・ろっく!」 うっかり「お父さん目線」でみていました

昨年の秋アニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」

 

うちにはテレビが無いので、いくつかの配信の機会に何度もみて、感動、というより、すべてのエピソードで2~3回軽く泣いていました・・・(笑)。

私もそうですが、ギターを弾く方やバンドを経験したことのある方はもちろん、そうでなくても、皆さん同じだったのではないでしょうか。

 

ピンポイントでツボに来る、あるあるのようなものが髄所に織り込まれていたり、演奏シーンの指の動きなど描写が丁寧で、アニメ制作の皆さんの誠実さや熱意が伝わってくる良質な作品だと思いました。

 

終盤でぼっちちゃんが購入したYAMAHAのパシフィカが売り切れてしまったのもわかります。(ずっと弾いていたGibsonレスポールカスタムはさすがに簡単には手が出せないですよね。)

それこそギター弾きの目からみて着目する点は多いのですが、途中で気づいて驚いたのは自分があの「お父さん」の目線で物語を見ていたということです。

終始顔の表情が描かれず、ぼっちちゃん(ひとり)の成長や活躍に打ち震えたり、涙を流している描写のみだった、あのお父さん。

 

初回「#1 転がるぼっち」の冒頭1:45あたりでお父さんが言った、「そうか、ひとりもついにギターに興味を・・・」で、すでに涙が(笑)。


「そうか、ついにギターに興味を・・・」

 

私が、いつか言ってみたいと願い続け、ついぞ言うことのなかったセリフ。

 

娘(万年反抗期)が赤ちゃんの頃から、漠然とですが、この子がいつかギターを弾いてくれたら・・・、一緒にギターを弾けたら楽しいだろうなと思っていました。

 

ぼっちちゃんのお父さんも、そんな夢を持っていたんじゃないかなと思います。

 

もちろん強制することはできませんので、家のいろんなところにさりげなくギターを立てかけたり、手が小さくても弾けるショートスケールのギターをその辺に置いてみたり、もちろん私も一日中ギターを弾いていて、知らず知らずのうちにギターに興味を持ってもらえるような姑息な「誘導」をしていました(笑)。

 


やはり、子どもの成長というのは親の思い通りにはならないようです。

というより、思い通りにしてはいけませんね。


娘(万年反抗期)も少し弾いていたこともあったようですが長続きはせず、今では全く別の芸術方面で好きなことを見つけ、そちらにばく進しています。

 

子どもは思ってもいない成長を見せるようで、結果、私など手にしたこともない賞状やトロフィーが家中にあふれています。

「ゴルフ好きなお父さんのいる家のリビング」みたいになってます(笑)。


ギター弾きにならなくて良かったのかも・・・。

いや、これで良かったんだ・・・よね・・・と自分に言い聞かせています。

それでも、youtubeなどで時々「お父さんの影響でギターを始めました」みたいな動画をみると、ちょっと泣けてきます。(諦めが悪い)

春を感じたら  ~優しいグルーブ”Breezin”

ジョージ・ベンソン”Breezin”という曲をご存じでしょうか。

同名アルバム”Breezin”は、1976年、ビルボード誌のポップチャート・ジャズチャート・R&Bチャートで、いずれも全米首位に立った大ヒット作なので、耳にされたこともあるのではないかと思います。


ジョージ・ベンソンを中心とした凄腕ミュージシャン達の演奏。

プロデューサーはトミー・リピューマ(1936-2017)。

エンジニアはアル・シュミット(1930-2021)。

オーケストラのアレンジと指揮はクラウス・オガーマン(1930-2016

 

良い音にしか、なりようがない皆様です。

(今頃、天国ではどんな音が鳴ってるんだろうって想像してしまいます。)


そよ風のような優しいグルーブ

ほんの少しだけ春を感じるこの季節に、繰り返し聴いていたい名曲です。

youtu.be控えめに歌うフルートにジョージ・ベンソンのギターとバンドサウンドが加わり、ストリングスがそっと寄り添ってきます。

冒頭で鳴っていたストリングスが0:49あたりであらためて入ってくるのですが、4小節ごとのフレーズの3小節目から静かに、探り探り入ってくる、そのタイミングが絶妙です。

「開店時間より少し早めに来てしまったお客」のように、ちょっとだけ開けた暖簾の隙間から、「もうやってますか?」って小声で尋ねるような感じです(笑)。わかりにくくてすみません。

 

そこから展開するのは、すべてが溶け合った、ただただ美しいアンサンブル。

公園にいる、知らないどうしの小さな子どもたちが、人見知りしながら、はにかみながら少しずつ仲良くなって、気付いたら春風のなかで歓声が舞っているような・・・。

そんな風に聴こえませんで・・・しょうか。聴こえますよね!


春を感じたら”Breezin”

春風を感じたくなったら”Breezin”

選挙カーのようになってしまいました(笑)。

「めんこ」の情報量が・・・

幸い不要なものは捨てられるタイプのようで、我が家では今以上にものが増えることもなく、ミニマリストでもマキシマリストでもない、何の変哲もない平凡な暮らしをしています。

ただ、「思い出の品」のようなものはどうしても処分できません。


大事にとってある箱があります。

中身は「めんこ」

 

幼稚園に通っていた五歳児の頃のもので、結構な年代物です。

絵柄はなかなか良い味を出しているものが多く、当時でさえ「一体いつの時代のだよ」ってつっこんでいたほど古臭く感じたものです。

一枚一枚の情報量が多く、またその癖が強くて、眺めていると時の経つのを忘れます。

 

適当に分類してみました。

キャラクターもの。(タイガーマスク率 高し。)

 

お相撲さん関係。(第42代横綱 鏡里のポーズがなかなか良い。)

 

役者さん。(エンタツアチャコを立ち位置の順に並べました。 笑)

 

歴史上の人物シリーズ。(わたなべのつな とは平安中期の武将のようです)

 

「ダチョウ」、「地球」など、今一つ、メッセージがわからないもの(笑)。

(ちなみに「百万弗の人魚」とは、1952年に公開されたアメリカ映画だそうです。)

 

死の灰」、「原子灰」、「水素爆弾と、恐ろしい言葉が並びます・・・。

大国がやりたい放題に核実験をやっていた時代。幼い心にも核戦争への恐怖が伝わってきました。

 

ロウソクのロウを垂らしたり、二枚を張り合わせたりして重量を増した、あからさまな不正の証拠物も散見されました(笑)。

なかなかの悪い五歳児です。

 

箱の裏には幼稚園までの地図が描いてあります。(一本道で100メートルもないのですが・・・)


「執着を捨てなさい」と、偉い人は言いますが、私にはなかなか難しいようです。

修業が足りないのかもしれませんが、こういったものをサバサバとバサバサと捨てられるようになるくらいだったら、いつまでも思いきれず、悩みながら大事に抱えている凡愚の身であり続けたいなと思っています。

知らぬが仏か  小心設計者の悩み

ある大工さんがこんなことをおっしゃっていました。

「自分が建てた家には二度と近づきたくない。」

なんと薄情な・・・とお思いかもしれません。・・・でも

建築の現場では、どんなに注意深く施工していても、たくさんある工程の中ではミスをしたところ、納得できないところができてしまいます。

ですから、その大工さんがそれを見たくない、思い出したくないという気持ちは、私にはよくわかります。

 

建築の設計者であれば、地震で揺れるたび、台風が通過するたび、胃の痛い思いをする方も多いと思います。

私は、自分が設計したものでなく、ただ点検を頼まれただけの建物であっても、もしや見逃した所があるのでは・・・、などと何年も気になったりするほどの小心者です。

我が家はもちろん自分の設計ですので、ある意味自分の「失敗」の中に住んでいるようなものです(笑)。

 

設計上も悔やまれる点がありますし、施工上も「あの時大工さんがよそ見しながらやってたから、くぎを斜めに打ち抜いちゃってるな」(笑)みたいなところも、いくつも覚えています。

やり直してもらえたものもありますし、手遅れだったところもあります。

 

隅々まで把握しきっているからこその、安心感もありますが、知らなければ抱えることのなかった、うっすらとしたストレスもあります。

心配事の9割は起きないといいますし、そもそも安全率を何倍にもかけて設計していますからほぼ杞憂なのですが、それでも心配なのが「設計する」ということなのかなと思っています。

 

それとも、皆さんもっとメンタルが強いのかな。

だったら自分も、もう少しだけ強くなれたらと思います。

 

でも、建築はもちろん、自動車や家電やあらゆるものは、小心設計者の「心配」で安全が保たれているのかもしれません。

そう思えば、私のような小心者も社会には必要なのかなと思ったりもします。(なんだか急に気弱になってます 笑)

「絶対時感」と ランディ・ローズ "Dee"

「絶対時感」的なものはお持ちでしょうか。

辞書には載っていませんが、絶対音感の時間版のようなものとして、あっても良いような気がします。

 

究極に暇なとき、突然「ストップウォッチぴったり止め大会」が開催されることがありますよね。

あれに必要なスキル(笑)が「絶対時感」です。

 

「大会中」は体内時計が研ぎ澄まされて、30秒00とか叩き出せたりするんですが、それも一時的なもので、すぐいつもの、「楽しい時間はあっという間」みたいな「相対時感」に戻ってしまいます。

 

今の私に唯一可能なのは、60秒を何も見ずに計測すること。

オジー・オズボーン・バンドの初代ギタリスト、ランディ・ローズ"Dee"という曲を一回弾くと、60秒になるんです。

何度弾いても60秒ぴったり。

60秒限定の「絶対時感」です。

昔の、特にハードロックのアルバムにはヘヴィな曲の合間に、静かな美しい曲(私はそれを「宝石の小箱」と呼んでいます 笑)をはさむ、ちょっとした「様式美」のようなものがありました。

そういったアルバムの最高峰が、オジー・オズボーン「Blizzard of Ozz」(邦題は「ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説」・・・・・)。

ジャケ写は怖いので省略(笑)。


A面の4曲目がその「宝石の小箱」、”Dee”

25歳の時、不幸な事故で早世したギタリスト、ランディ・ローズが奏でたクラシックギターのソロ曲です。

50秒ほどの小品・掌品で、掌にのせて愛でていたいような、小さくて可愛らしい曲です。

 

私は少しテンポを落として60秒で弾きます。

この曲が好きすぎて、ほぼ毎日ラジオ体操のように弾いているので(その割にはまったく上達しませんが・・・)、そのタイム感が、60秒の「絶対時感」として、それこそ体内時計に刻まれています。

3回弾くと、カップラーメンが出来上がり、10回弾くと、土鍋のご飯が炊きあがります。

時計代わりに、四六時中Deeが鳴っています。

結局お伝えしたいのはランディ・ローズとDeeが好き」ということです(笑)。

 

ランディのように弾くことは永遠にかないませんが、弾いた回数だけは相当上回っているはずです。

 

私の弾いた(下手ですが)ランディ・ローズをこめたDee
残響込みで60秒です。

電気は電気として  火は火として

電気代高騰のニュースに触れるたび、生徒会のスローガンみたいに頭の中でぶつぶつ言います。

 

電気は電気として 火は火として

 

「電気には、電気にしかできない仕事を優先してもらう」ことが、エネルギー問題解決の糸口になるような気がするんです。

少し大げさですが・・・。


当たり前ですが、電気って、パソコンやテレビやスマホを稼働させることができますよね。

これは「電気にしかできない仕事」です。

灯油や薪を燃やしてもテレビは映りませんもんね。(そういうのがあったら、ちょっと欲しいかも・・・)

 

電気って、本当はすごく「高級な」エネルギーなんですよね。


火力でも原子力でも基本的には

・何かを燃やして湯を沸かす

・その蒸気でタービンを回す

・電気に変換する

という仕組みですね。

その過程で、もともと「火」が持っていたエネルギーを100とすると、発電所「電気」になった時点でもう40くらいに減っています。

発電時にそれくらいのロスがあるんです。

さらに送電時などにくらいのロスがあります。

家庭に届くまでに100が35くらいに減ってしまうんです。

 

本当に貴重で高級なエネルギーなんですよね。

www.rohm.co.jp

お湯を沸かして電気をつくり、その電気でお湯を「安全に、クリーンに」沸かす。

 

だったら、「最初に沸かしたお湯を使えば良いじゃないか」という考えもあるかと思います。

確かにそうなんです。

ただ、今伝えたいのではそこではなくて、この「安全に、クリーンに」というところが大切で、ここに付加価値があって、だからこそ、やっぱり電気は「高級」なんです。

ユニバーサルデザイン「ハンディを抱えた方の安全性」を考慮した場合には、火気を持ち込まないことも重要だったりします。

 

だから、エネルギーは適材適所で。

電気は電気として、電気にしかできない仕事を。

火は火として、火にしかできない仕事を。

その仕分けを、状況に応じて丁寧に積み重ねていくことで、解決していくものがあるような気がするんです。

 

あくまでも、わずかな自分の経験にすぎませんが、無理な節約をするのではなく、今あるものを大切に使っていれば、自ずと結果がついてくるのかなと思っています。


「電気」って18回書きました(笑)。
 

ベテラン小学生のお仕事

ちょっと前のことなのですが、写真を整理していたら思い出したので。

 

庭を眺めていると、いつもよく見る「良い味を出しているベテラン小学生2人組」が下校中。

何やら、うちの庭と向かいの用水路の間を行ったり来たりしている模様です。

 

散った山茶花の花でも水に浮かべてるのかな。

「なんと風流な・・・」

 

5分経過。・・・まだ作業中。というより、何だかかなり一生懸命に、小走りであっちに行ったりこっちに行ったりしています。

また5分後。腕でおでこをふいて「ふ~」みたいな、一仕事終えたみたいな感じで、二人してさわやかに去っていきました。

 

姿が見えなくなったのを確認後、現調に。

庭の土留めの石を、せっせと運び、用水路に放り込むというお仕事をされていたようです・・・(笑)。

 

あの小さな体からしたら、かなりの重労働だったに違いありません。お疲れ様でした。

あんまり真剣にやっていたので、何かの「治水事業」だったのかもしれません。

 

土留めの石がないと庭の土が道に流れてしまうので、ごめんなさいして元に戻させてもらいました。


道ゆく子ども達を眺めていると、不思議なことが多く、飽きません。

小学生くらいまでは、まだ夢とうつつの間を彷徨っている、大げさに言えば神の領域に近いところにいる存在なのではと、私は踏んでいます。

昔、「川の神様こんにちは」と話しかけながら、川にむかって「立ちお小水」をしている小学生を目撃したときは、その想像を超えたコミュニケーション術に畏れ慄きました(笑)。

70年なら一瞬の夢

子どもの頃から学校が苦手で(自分以外「親兄弟全員教師」の家でしたが)、組織というものに馴染めず、案の定、サラリーマン生活は10年もちませんでした。

30歳直前で辞表を出し、上司に居酒屋に呼び出され怒られましたが、その辞表は引っ込めませんでした。

具体的な理由は今でも思い出せないというか・・・、たぶん無いのですが(笑)、「とにかくここから抜け出さないとだめだ」という直観のみの衝動だったと思います。

 


その頃は、いつもブルーハーツの曲のフレーズが、頭の中でぐるぐるまわっていました。

「背中を押された」というより、むち打ちになりそうなくらい「背中を蹴飛ばされた」ようでした。

生きられなかった時間や

生きられなかった場面や

生きられなかった場所とか

口に出せなかった言葉

あの時ああすればもっと

今より幸福だったのか?

あの時ああ言えばもっと 

今より幸福だったのか?

 

机の前に座り

計画を練るだけで

一歩も動かないで

老いぼれてくのはゴメンだ

 

ザ・ブルーハーツ  「ラインを越えて」(詩/曲  真島昌利 より

 

70年なら一瞬の夢さ

やりたくねえ事やってる暇はねえ

 

ザ・ブルーハーツ  「ブルースをけとばせ」(詩/曲  真島昌利 より


数年前、姉と兄が若くして立て続けに他界したとき、思い知りました。

 

人ひとりに与えられた時間は、驚くほど短くて儚い。

 

「やりたくねえ事やってる暇はねえ」のです。

 

生涯賃金」なんていうことを言いはじめたら、大損をしています(笑)

たぶんちょっとだけ・・・貧乏になりましたが、十分です。

 

細々とですが、建築や音楽や文学、やりたいことを自分なりに楽しくやりつつ、世の中の冷笑的なものはスルーする(笑)

娘が今どう感じているのかは・・・・・わかりませんが、背中で伝えるほかないのかなと思っています。

こんな雨の日に

今年はちょっと年明けから辛い日々です。

遠くに灯っていた道標が次々消えていきます。

覚悟していたとはいえ・・・。

世界で一番大好きな作曲家。

憧れのカッコいい大人。

Burt Bacharach

akekurenote.hatenablog.

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消える壁  引き戸  [家と言葉]

引き戸  鴨居と敷居との溝にはめ込み、左右に引いて開けたてする戸。
     やり戸。

やり戸  引き戸。

        明鏡国語辞典

 

ひと頃、玄関を引き戸で設計したら、サザエさんのうちみたいで嫌だ」って子供が泣いたという話をよく聞いたんですが、本当でしょうか。

確かに、昭和の香りはありますね。

半分開けておくみたいなことが自在にできて便利だと思うんですが・・・、これはデザイン次第ですね。


2000年、世界遺産に登録されたシュレーダー邸」1924年 竣工)という、オランダのユトレヒトに現存する住宅があります。

casabrutus.com

設計者は、G.T.リートフェルト(1888~1964)。

デザインやインテリアに興味をお持ちの方は、レッド&ブルーチェアのデザイナーといった方が伝わるかもしれません。

レッド&ブルーチェア

バルサでつくった1/10の模型です。買うと高いので(笑)。

   
オランダの近代デザインムーブメント、デ・ステイルの流れの中にあるデザインで、モンドリアンの絵画を椅子に翻案したものが、レッド&ブルーチェアで、
その住宅版がシュレーダー邸」と言っていいかと思います。

モンドリアンコンポジション


シュレーダー邸」には「引き戸・sliding wall」(可動間仕切り)が多用されています。

その名の通りで、壁がスライドする感覚です。

必要に応じて「壁を消す」ことで、その都度全くイメージの異なる室内空間が出現します。

この写真では少しわかりにくいかもしれませんが、2階中央にあるsliding wallを出したり、引っ込めたりすることで、個室群にしたり、大きな一室空間にしたりと、自在に変化させることが可能です。

日本の建築では、馴染みのある、伝統的な空間操作の方法ですね。

リートフェルトは日本建築にも影響を受けていたようで、「シュレーダー邸」は日本の農家のスタンダードなプランである「田の字」型平面の要素を持っています。


それで・・・我が家のsliding wallです。

一間幅なので、かなりの存在感があり、開け閉めで雰囲気が変わります。

普段は開け放っているのですが、布団が敷きっぱなしなのに、急にお客さんが来た時だけ閉めます(笑)。

天女を雲でとおせんぼ  「天つ風」 僧正遍昭

百人一首 12番歌  「天つ風」 僧正遍昭

[現代語訳]

天の風よ

天女たちが行き交う雲の通い路を

吹き閉じておくれ

乙女のその美しい姿を

もう少しここにとどめておきたいから


作者は小野小町との百夜通いのエピソードがある僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

詠んだのは出家前なので、その時は良岑宗貞(よしみねのむねさだ)です。

百人一首は、その人の最終的な身分で表記するルールになっているようですね。


このうたは、宮中で陰暦11月に開かれる豊明節会」(とよあかりのせちえ)に参加した折に詠んだものです。

この行事では、五人の未婚の女性が舞を披露することになっていて、彼女たちを「五節の舞姫と呼んでいたそうです。

その美しい五節の舞姫を天女に見立てています。

 

天女は舞い終わると、天上に通じる雲の通い路を通って帰ってしまうと考えられていたようです。

ですから、「雲でその通路をふさいで、帰れないようにしてください」と、風に頼んでいるんですね。

 

うたにあわせて音をつくってみました。

僧正遍昭さんは、美しい舞姫たちをオシャレにほめ倒しているんだと思いますが、いろいろなことが積もり積もって、ちょっと雰囲気が違うラウドな感じになってしまいました・・・。

youtu.be

 

 

30番歌  「有明の」 壬生忠岑

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77番歌  「瀬をはやみ」 崇徳院

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15番歌  「君がため」 光孝天皇

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「押し入れ」ない    [家と言葉]

押し入れ 
    日本間で、ふとんなどをおさめるために設けた作り付けの物入れの場所。     
    普通、中棚を設け、前面に襖を立てる。      
       三省堂 スーパー大辞林

 

いろんなものを「押し入れ」るからですね。

私の身の周りでは、あまり聞くことはないのですが、「押し込み」という呼び方もあるようで、「何でも突っ込んでしまえ」という勢いを感じます。


押し入れは奥行き(通常90cm)が深いので、普通に収納として使うと、奥に突っ込んだものは、(私は)ほぼ出さなくなってしまいます。

特に下の段に大きな重いものを、それこそ「押し入れ」てしまうと、引き出すことのない死蔵品となってしまいがちです。

 

最近は和室のないお宅も多いので、そもそも押し入れはないのかもしれませんが、押し入れに限らず、「奥行きのある収納」は要注意ですね。

 

納戸を上手に設計するか、そもそも「収納しない」というのも手だと思います。

 

ただ、日本家庭の持ち物数の平均は、3万~4万点と言われています。

単に収納の問題というより、モノの買い方や消費についての思想・哲学にもつながってくる、深くて大きなテーマでもあります。

その辺りも、少しずつ考えをまとめていきたいなと思っています。


それで、我が家の「押し入れ」です。

通常は幅一間(1820ミリ)のところ、うちは1365ミリ。

梁下も1750ミリとかなり低いうえに、「吊押し入れ」にしたことで下部にうまれた謎の空間(笑)がありますので、容積的にはスタンダードな押入の半分もありません。

「布団収納」のスペースに徹しています。

 

下部を空け、宙に浮いた吊押し入れをデザインしたのは、「押し入れ」ない!、「軽い布団以外には何ものも収納するまい」という、強い決意の表れでもあるのです。

 


吊押し入れの下の空間(正式名称を知らないのです・・・)のもう一つの目的は通気の空間の確保です。

吊押し入れの下の空間(長い・・・)の床面にガラリを設けて、床下と室内の通気を図っています。

(床下は基礎で断熱をしていて、通気をすることで室内と同じ温熱環境(あくまでも目標ですが・・・)になるように設計しています。

 

この「ミニギャラリー」(急に命名)は、なかなかの機能を持っているのです。

「玄関」を初期化する  [家と言葉]

玄関 ①建物の主要な出入口。
   ②禅寺で、方丈に入るための門。
          [明鏡国語辞典]

 

「玄関」の語源は「妙なる道に入る門」と言われていて、禅宗寺院の客殿の入口を武家屋敷に取り入れたのが始まりとされています。

そう考えると「玄関」って、かなり仰々しい響きがしますね。  

「格式」とか「身分の上下」のような、封建主義の香りもまとわりついています。

 

他の言い方は無かったかなって随分考えてみたんですが、結局は「入口」しか思いつきませんでした(笑)。

「格式」とか「身分」みたいな話はこの際考えないことにして・・・、やっぱり「玄関」が一番なじみがありますかね。


我が家の場合、玄関に至るアプローチやポーチは、かなり意味を持たせて設計しましたが、玄関そのものについては、封建主義の残滓を振り払うためにも、荒っぽく、「ただの入口じゃねえか、こんなもん」(笑)くらいの感じで向き合いました。

 

大げさに言えば、玄関の「民主化」ですね。

 

「初めての人は玄関で、親しくなるにつれ奥へ」というような空間のヒエラルキーを壊し、意味を何も持たせず、フラットに初期化して、「入っていきなりドン」という感じにデザインしました。

初めての来客は「ひく」パターンですね(笑)。

最初はここに、こたつを置いて、「お客さんが来た時に、家族がこたつでミカンを食べている」というシュールな図を描いていたのですが、さすがにそれは・・・、
ということで、今のアトリエになっています。

「観葉植物 お線香みたいなやつ」で検索・・・

とにかく植物の名前を覚えられなくて、忘れて調べなおすたびに感じる「新鮮な響き」・・・。

先日、ホームセンターの観葉植物のコーナーを見ていたら、何やらツンツンして可愛い感じのものがあるので、即家に連れて帰ってきました。(お金は払いました。)

いつもの通り名前も何もわからないので、頼みの、ついていた札をみたら「水をあげてください」みたいなことしか書いてありませんでした・・・。

 

ネットで「観葉植物 お線香みたいなやつ」とか「観葉植物 ポッキーみたいなやつ」とかやっても全然出てきません。

ポッキーにしてはちょっと太いし、「もうTOPPOでいいや」みたいになっていたんですが、葉をまじまじと見ていると何となくサンスベリア風の模様が・・・。

 

サンスベリアだけは、株分け株分けで家の中で大繁殖しているので、名前を覚えているのです。

サンスベリアの育て方」みたいなサイトをたくさん見て、調べました。

サンスベリアバキュラリス(ミカド)」っぽいかなということで、とりあえず、それにしました(笑)。

 

一時間くらいかかったけど、TOPPOにしなくてよかった。

ところがその後、写真を撮っていたら、貼ってあるバーコードのところに虫眼鏡が要るくらいの小さな字があるのを発見。

見てみたら、「ファーンウッド」と・・・。

ただ、調べてみると、それよりかは、なんとなく「ミカド」っぽいような気が・・・。

もう「ミカド」にしちゃったからかもしれませんが(笑)。

 

もし、間違っていましたら、ご教示いただければ幸いです。

 

名前はさておき、シュッとしてスタイリッシュで可愛らしくて、なかなか気に入っています。

「天智天皇感」がゼロに・・・   [和歌に音を添えました]

百人一首 1番歌       天智天皇

(現代語訳)

秋の田の仮小屋にいると

屋根の苫の目が粗いので

番をしている私の袖は (あなたの来るのを待っている私の袖は)

露で濡れています (涙で濡れています)

 

人々に尊敬された天智天皇が農民の気持ちになって、稲を保管する仮小屋の情景を詠ったものとされています。


また、万葉集にある、

 

秋田刈る

かりほを作り

我が居れば

衣手寒く

露ぞ置きにける

 

という「詠み人知らず」のうたに手を加えたものとも言われています。

 


百人一首のうたに音楽をつけてみようと、急に思い立って始めた謎の苦行なのですが、ぼちぼちとやっています。

百首を目指して始めて・・・、まだ「六人一首」(笑)くらいです。


一番歌の天智天皇からつくりはじめたのですが、「天智天皇感」がまったくなくて・・・、そのまま放っておいたものの、勿体なくなり、せっかくなのでyoutubeにあげてみました。


最初は英訳したものを「音読さん」で読んでもらって、英語バージョンをつくりました。

「露にぬれつつ」のところが、”wet with rain"とかになると、何だかちょっとカッコよかったので(笑)、それに合わせてつくったんですが、途中で日本語(奥様の朗読)に差し替えたため、雰囲気があわないのかもしれません。

www.youtube.com

天智天皇だけでなく、天武天皇にも持統天皇にも怒られそうです・・・。

 

 

百首の中で一番好きな、大江千里(おおえのちさと)のうた。

www.youtube.com

 

私の第二の故郷、秋田。

秋田美人のルーツ(確証なし)小野小町のうた。

www.youtube.com