人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

あっちもこっちもひとさわぎ  宮沢賢治の「政治家」

宮沢賢治の、ちょっと風変わりな詩があります。

「政治家」

1927年(昭和2年)、31歳の時の作品です。

 

政治家  宮沢賢治

 

あっちもこっちも

ひとさわぎおこして

いっぱい呑みたいやつらばかりだ

     羊歯の葉と雲
        世界はそんなにつめたく暗い

けれどもまもなく

さういふやつらは

ひとりで腐って

ひとりで雨に流される

あとはしんとした青い羊歯ばかり

そしてそれが人間の石炭紀であったと

どこかの透明な地質学者が記録するであらう

 

この詩を書くに至った具体的なきっかけや題材は何だろうと思い、1927年あたりの内外の政治状況をみてみたのですが、特別これといったものは無さそうです。

少し前に花巻農学校を退職し、地元花巻で開墾、肥料の相談、楽器の練習、レコードコンサート、童話の読み聞かせなどを始めた頃で、おそらくは中央のできごとではなく、もっと身近な政治家の有様を見ていて書いたものなのではないかと思います。

 

遠い未来の地質学者からしたら、97年前も今も同じ地層、「石炭紀」ということになるのかもしれません。

 

この詩を朗読しました(奥様が)。

「朗読とBGM」というより、ポエトリーリーディングのつもりで制作しているので、音楽が大きめです。

音自体は以前つくったものに、あれこれ手を加えたもの。

背景のデザインや、14/8の変拍子とレイヤーを重ねたようなポリリズムで美しいカオスを表現しようとしたのですが、騒々しいだけの、ただのカオスになってしまいました・・・。

 

ノートの隅に描いて慌てて消す相合傘のように、こっそりと。

words  :  Miyazawa  Kenji

music   :  Kuroda  Minato(←自分のペンネーム)

これだけでもう、幸せ(¥0)です。

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「透明な地質学者」が何を表すのかはよくわかりませんが、「透明な」って良い響きですね。

「透明なデザイナー」とか「透明なギター弾き」とかになりたいです。

桜と静心

この辺りも、もうすぐ桜が開花するそうです。

この長雨が止んだ頃かな。

 

咲いたら、「あ、咲いたな」

散ったら、「あ、散ったな」

ただ、ありのままを淡々と受け止められるどっしりとした人になりたいのですが・・・。

実際は、特に理由も、することもないのにひとり大慌てです。

どうして、(自分は)桜に焦ってしまうのか。

 

手すさびに、百人一首のうたにあわせて出鱈目な音楽をつけたりしています。

桜のうたは3首分つくりました。

それも、夏や秋につくったもの。

桜の時期には何だか焦ってしまって・・・。

「前世で何かあったのか!」と思うほどです。

 

百人一首の中に桜のうたは六首ありますね(たぶん)。

もっとありそうな気がしますが、意外です。

 

花の色はうつりにけりないたづらに 

わが身世にふるながめせしまに  小野小町

 

久方の光のどけき春の日に

しづこころなく花の散るらむ   紀友則

 

いにしへの奈良の都の八重桜 

けふ九重ににほひぬるかな    伊勢大輔

 

もろともにあはれとも思へ山桜 

花よりほかに知る人もなし    大僧正行尊

 

高砂の尾上の桜咲きにけり 

外山の霞立たずもあらなむ    前中納言匡房

 

花さそふ嵐の庭の雪ならで 

ふりゆくものはわが身なりけり    入道前太政大臣

 

なかでも紀友則のうたが好きです。

「しずこころ」
これを持てたら、と思います。

 

今までつくった桜のうた。

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「無力」さの逆転 一羽の鳥について

身長以外、ことごとく娘に追い抜かれるこの頃。

科目の中で自信をもって教えられるものは、英語と古文くらいになってきました。

あとは、自力で何とか頑張れ!。

 

それでも高校生になるので、そろそろ教えておきたいものがあります。

一つは経済の基本

もう一つは民主主義の基本

ここがしっかりしていれば、何とかなるかな。

 

まずは、民主主義の基本を。

敬愛する、いとうせいこうさんの「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」を朗読(奥様が)しました。

奥様は声に出して読んで、自分は音をあちこち配置して表現しました。

風変わりな両親の、いささかまわりくどい、面倒な、暑苦しい教育ではあります。

ただ、妙な表現ですが、「感興を催すプロセス」を通過することで、身につくものもあるのかなと思っているのです。

 

世界に絶望してしまいそうなときも、確かにあります。

それでも、

一羽の鳥がふと飛び立った時、同時に数千万の鳥も飛び立つ。

そんなシンクロニシティが世界を変えてしまう奇跡、「無力」さの逆転が起きる瞬間を信じて欲しいなと思っています。

 

音は以前つくったものをリサイクルしました。

朗読では一部省略している箇所があります。

オリジナルはこちらにリンクを貼っておきます。

https://politas.jp/features/3/article/213

youtu.be

人に頼って明るく自立する

年齢は一の位を切り捨てるルール(笑)。

この姑息な「丸め」をもってしても、あと数年で大台に乗ります。

少しずつできないことも増えてきました。

 

しぶとく続けているピアノの練習も、楽譜を読むのがやや困難に。

それで、奥様に一小節ずつ押さえる鍵盤を教えてもらったりしています。

スローになりましたが、急ぐ旅でもないので。

運転を代わってもらうことも増えてきました。

 

この頃、何となくこれが心地良くなってきました。

何が何でも「自分で何とかしよう」と思っていた頃より、楽なのはもちろんですが、かえって自分の足で立っている実感があるのです。

上手く説明できないのですが、人どうしのエネルギーのやり取りの輪から離れているのは、自立というより孤立している感じがしていたんですよね。

 

10年以上前に読んだ、安冨歩さん「生きる技法」という本の影響があるのかもしれません。

帯に書かれている言葉が、その本の内容を一言で表現しています。

「助けてください」と言えたとき、

人は自立している

逆説的なこの言葉の意味が、今はよくわかります。

もう少し正確に言えば、

より多くの人に

「助けてください」と言えた時、

人はより自立している。

ということだと思います。

誰にも依存していないつもりでも、人は一人では生きていけないので、僅かに依存した少数の人に、人は隷属してしまいます。

国際的な貿易や安全保障などにも通じますね。

 

だから、これから、より多くの人に助けられたり、助けたりしながら楽しく自立していこうと思います。

↓本の帯

9年前に他界した兄の、子どもの頃のキャッチフレーズは

「人に頼って明るく生きる」

しっかりものの次男(私)は若干軽蔑(笑)していましたが、

案外、慧眼の持ち主だったのかもしれません。

ゼームス坂と智恵子さんのレモン

30代のおよそ10年間は東京の大井町京浜東北線)に住んでいました。

南品川のゼームス坂沿いにあるマンション。

 

何だか失われた10年のような期間でした。

元々ぎりぎりバブル世代なのですが、30歳手前でキャリアをリセットして、20代を無かったことにしてしまったので、結果的にロスジェネ世代になってしまいました。

 

勢いで、勤めていた放送局を辞めて建築の学校に入り直し、手当たり次第に資格をとったものの、世間はとんでもない不景気。

新卒でない者を採用する企業などなく、伝手で入ったベンチャー企業は今でいうブラック企業でした。

何故か会長に目をかけてもらい、設計者として順調に仕事をしていたものの、上層部の近くにいたからか、早々にその怪しさを察知してしまいました。

 

この人たち計画倒産しようとしてる?。

というか事業自体が詐欺かも。

そして一年も経たずに脱出。

逃げるときは、躊躇せず全速力で逃げます(笑)。

 

元同僚に聞くと、その2か月後には給料が不払いになり、被害者の会みたいなものが結成されていました。

後日報道で知ったのは、某有名芸能人の関わる未公開株をめぐる事件の舞台に、その会社がなっていたということ。

人の出入りを観察していると、何となくわかりますね。

 

失業保険をいただいたり、ハローワークの列に並んで職を探したり、そこで氷のような対応をされたり、ほんの少しだけ社会の歪みや痛みを知った頃でした。

 

仕方なくフリーターとして設計やデザインを細々とやっていたある日、仕事の依頼があって指定された事務所にのこのこと出かけました。

事務所に入った瞬間チラ見した、奥の部屋にあったものを見逃しませんでしたよ。

一応挨拶をして話を聞いていると、案の定、そこは某宗教団体の関連会社。

「仕事を定期的にあげますから、まずは○○を勉強していただいて・・・。そのためにもこの〇〇を購読していただいて・・・。」

担当者が横を向いた隙に、渡していた名詞をスーっと引き寄せ、それを掴むと後は全速力で逃げました(笑)。

 

何だか格好悪く、情けない日々。

でも、下を向いてとぼとぼと歩いていた、あの頃の自分を嫌いにはなれません。

 

暮らしていたゼームス坂のマンションから歩いて1分のところに、「レモン哀歌」の歌碑がありました。

高村光太郎さん「レモン哀歌」ですね。

そこは、智恵子さんが入院していたゼームス坂病院がかつて建っていた場所。

歌碑の前には、いつもレモンが置いてありました。

 

あの情けない30代を思う時、あのレモンも同時に思い出されます。

思い出は、酸っぱいというより「しょっぱい」かな。

 

「レモン哀歌」は30代の自分と苦労をかけた奥様の、何かを鎮めるためのうたでもあります。

10年間、智恵子さんの見た同じ空を、いつも眺めていました。

私達の本籍は、思い出の南品川ゼームス坂に残したまま。

当時は生まれていなかった静岡生まれの娘も道連れです(笑)。

 

朗読は奥様。

それにあわせて曲をつくり、うっすらとかぶせました。

youtu.be

最後の授業参観と成長のドア

今日は最後の授業参観。

幼稚園の頃から中三までの12年間。

たくさんの思い出がぐるぐる巡って、廊下で倒れそうになりました。

 

様々なことがひとつずつ静かに終わっていきます。

何か新しく始めないと、このまま何もかも終わってしまいそう。

 

この土地にこの家を建てたのは、娘の小中学校に近かったから。

通学路になっている前の道には、いつも登下校の子どもたちの賑やかな声が響いています。

その渦に紛れて娘も出かけていきました。

まもなくそこから離れます。

この家の役目も、もう終わろうとしています。

自分で設計して、できる範囲で施工もした家だけど、不思議と終の棲家には思えませんでした。

いつかここを離れることの予感をはらんでいたのかも。

私達はドリフターなので、また旅に出るのかもしれません。

 

まあ、それでも、感傷に浸っているのは(父)親だけで、子どもの方は諸々なぎ倒して前に進んでいきます。

 

真島 昌利さんの名曲「夏が来て僕等」の最後の一行。

夏が来て僕等 成長のドアを足であけた

これでいいんですね。

早春のソネット 浅き春に寄せて

立春ですね。

うちには受験生がいることもあり、春はまだまだ先。

それでも時折空気が温む瞬間があって、季節が進んでいることを感じます。

 

早春です。

年齢を重ねるごとに好きな季節が変わってきました。

ずっと若い頃は夏。

花粉症になってからは、春が苦手に。

秋はいつでも大好き。

この頃、この早春を意識するようになりました。

花粉が本格的に舞う前のわずかな、凪いでいるような、この繊細な季節を大切に過ごしたいと思います。

 

ただ、のんきに春の気配なんて味わっていられるのも、温暖な静岡だからかもしれません。

北陸の被災地と静岡の気温の、5℃くらいでも交換出来たらいいのに。

 

立原道造さんの美しい早春の詩、「浅き春に寄せて」を奥様に朗読してもらいました。

4行、4行、3行、3行の14行詩。

ソネットですね。

韻をふんでいないので、正式なソネットではないという話もありますが、詳しいことはよくわかりません。

その清冽な水のような透明感が、ただただ好きです。

浅き春に寄せて 

   立原道造

 

今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪の面につづいた

私の みだれた足跡……それだけ

たつたそれだけ――私には……

言葉のリズムが歌詞のようです。

音をあてやすい、どこまでも優しい詩。

言葉の区切りにあわせて小節を決めて、内容にあわせてコードや音を選んで、弾けもしないピアノで曲をつくりました。

「こいだば まんず うたっここへるに えぇな。」なんて、秋田弁でぼそぼそ言いながら。

静岡は雪が降らないので、雪のことを考えている時には、第二の故郷秋田で暮らしていた頃の自分に戻っています。

youtu.be本歌取りというわけではないのですが、早春の名曲ランキング第1位(自分調べ)「赤いスイートピー」の冒頭メロディーの一部を、途中うっすらと練り込みました。

雨の国の屋根の家

その敷地にどんな屋根を浮かべたいか。

そこから考えます。

堅牢かつ軽量で美しい屋根。

形状・素材・性能・軒の出。

 

もし2階建であれば、その屋根の荷重を支える2階の設計をします。

それから、屋根と2階の荷重を支える1階の設計をします。

その後、そのすべてを支える基礎の設計です。

上から下に向かって設計します。

もちろん平面プランも頭の隅に置きつつですが。

それでも、屋根とそれを支える構造を最優先します。

 

雨の国の家は「屋根の家」

シドニーのオペラハウスで有名な建築家ヨーン・ウッツォンは、日本建築のスケッチで、基壇とその上に浮かぶ屋根だけを描きました。

その慧眼で本質を見事に捉えています。

と言いつつ、もちろん陸屋根に屋上防水が適している場合だってあります。

ケースバイケースですね。

あと、好みですね。

 

軒の深い屋根は傘。

陸屋根と防水処置は雨合羽。

好みです。

自分は傘が好きですが。

あまりにも美しい、わずか2行の珠玉。

三好達治「雪」

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

この詩を奥様に朗読してもらいました。

「太郎の屋根」「次郎の屋根」という表現が胸を打ちます。

私にとって、「雪」の詩でもあり、子どもたちを優しく守る「屋根」の詩でもあります。

朗読すると20秒たらず。

音楽をつけるのにはあまりに短いのですが、つくってみました。

太郎に2小節、次郎に2小節(笑)

それぞれ割り当てました。

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風信子の家 4.3坪の夢

自宅は経済の事情で小さな平屋になるようで、設計をしていた10年ほど前、古今東西の「小さな家」研究を随分としました。

同時代のもの、特に戦後の日本は物資の不足や土地の狭さなどもあり、それは一つのジャンルのようなものを形成していて、有名建築家の実験的な「小さな家の系譜」のようなものが存在しています。

ただ、建築家特有の難しい理屈に馴染むことができず、次第に、もっと「本質だけ」でできているような古典作品に範を求めるようになっていきました。

 

古くは(古すぎますが)

鴨長明先輩の「方丈の庵」

それから、

HDソロー「森の小屋」

ル・コルビュジエカップマルタンの休暇小屋」

そして、

立原道造さんの「ヒアシンスハウス」

 

特に、「ヒアシンスハウス」のスケッチには心を奪われました。

まだ実作の無い、若い建築家の夢の結晶。

立原道造さん(1914-1939)

建築家で詩人。

東京帝国大学工学部建築学科では丹下健三さんのひとつ上の学年。

丹下さんも憧れの眼差しを注ぐほどの才能だったようです。

在学中に辰野賞を3度受賞。

一方、詩人としても、中原中也賞の第1回受賞者。

私にとっては、建築家・詩人というより、「ものをつくる人」としての理想の存在です。

 

病のため24歳で夭逝してしまったため、「ヒアシンスハウス」は、実際に建築されることはなかったのですが、現在はスケッチをもとに、さいたま市別所沼公園に再現されています。

 この動画でわかりやすく紹介されています。

youtu.be

僅か4.3坪のワンルーム

(おそらく恋人と過ごす)週末住居の想定ということで、キッチンと浴室がありません。

 

我が家は24坪ありますが、それでも平屋のワンルームなので、空間の雰囲気は近いものがあります。

自分にとっての「ヒアシンスハウス」になっていればいいなと思います。

 

最近、立原道造さんの詩をよく読んでいます。

「ヒアシンスハウス」のスケッチを眺めながら、それらを読むと、より心に響くものがあります。

生前は実作を建てる機会に恵まれなかったけれども、その世界は詩と共に永遠のものになりました。

 

ここのところ、半年で壊してしまうハリボテを設計して上気している「建築家」に辟易していたのと、以前は多少なりとも彼らに憧れていた己の節穴ぶりに落ち込んでいたのですが、そんな自分への「おくすり」になっています。

 

どこまでも透明で美しい詩

「夢みたものは・・・・」

奥様に朗読してもらって、繰り返し聴いていました。

夢見たものは‥‥

立原道造

 

夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

 

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

 

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

この詩には木下牧子さんによる、大変美しい曲がつけられています。

youtu.be・・・と、自分で極限までハードルをあげつつ。

私もこの詩にあてて、曲をつくってみました。

朗読を聴いている時に自分の中に流れていた音をなんとか引っ張り出して、弾けもしないピアノで徒につくったものです。

youtu.be

イツモシヅカニワラッテヰル

年老いた両親は日ごと子どもにかえっていきます。

毎週、娘の顔を見せに行きますが、ただいつも静かに笑って、こちらの体の心配なんかしています。

もとは、二人ともなかなか厳しい人で、私とは衝突続きでした。

「二度と敷居をまたぐな」とか「葬式にも来るな」とか、何度も言われましたが、
今は「いらっしゃい」なんて言って、ニコニコしています。

 

自分の経験から、こういった状態になったとき、さらに厳しい性格になることを覚悟していたのですが、拍子抜けするほど穏やかです。

 

父は元数学の教師らしく娘の数学の心配ばかりしていて、タンジェントがどうとかずっと言っています。

整理整頓好きで几帳面な母は、カレンダーの数字が綺麗に順番に並んでいることをしきりに感心したり、先月と似ていてややこしいなどと困惑していたりします。

長女と長男を立て続けに失ったり、苦労続きだったから、この方が幸せなのかな、よくできてるな、なんて思ったりします。

恩寵。

こんな日々が続けばいいなと思います。

 

自分も、何かと戦ったりするのは十分やったので、もう勘弁してもらって、これからは「いつも静かに笑っている人」になりたい。

そう思う、年の初めです。

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。

若い頃にはピンとこなかったけれど、今は心に染みます。

私もサウイフモノになりたい。

 

東北弁ネイティブの奥様に「雨ニモマケズ」を朗読してもらい、先日作った曲をリサイクルして、うっすらかぶせました。

youtu.be

 

悲愴感に沈んでしまわないように

放っておいたらどこまでも沈んでしまいそうな時には、
古の諸先輩方のことば達に耳を傾けます。

どこか疼いたとしても、いつかは思い出に変わる時が来るのかもと思えれば、
なんとかやっていけます。

百人一首 68番歌

心にも

あらでうき世に

ながらへば

恋しかるべき

夜半の月かな

   三条院

【現代語訳】

心ならずも

このはかない現世で

生きながらえていたなら

きっと恋しく思い出されるに違いない

この夜更けの月を

 

藤原道長のハラスメントや眼病に苦しみながら眺めた月。

三条院がどんな気持ちで、その冬の月を眺めていたのかを考えると胸が苦しくなります。

ただ、寂寥のなかにも生きる望みを感じられるのが、このうたの救いです。

 

悲しみの中に小さな光が灯る救済のうた。

こんなに悲しい年の初めの、自分へのおくすりです。

 

悲愴感に沈んでしまわないように、
「『悲愴』(ベートーヴェン  ピアノソナタ第8番 第2楽章)になりそうでならない曲」をつくって、このうたをのせてみました。

オマージュなんていうには稚拙すぎますので、
パロディのようなものです。

今日、突貫工事でつくったので雑なものですが、
令和6年(昭和99年!)の年初の心象スケッチとして残しておきたいと思います。

 

朗読は奥様にお願いしました。

英語部分は「音読さん」の読み上げです。

youtu.be

 

 

宴たけ宣言と三幕構成

私は、お酒を一滴も飲めません。

昔ビールを2~3杯飲んで救急車で運ばれました。

サイレンの音は微かに聴こえたのですが、

朝、意識が戻った時には病院のベッドの上。

 

山の中の小さな病院でした。

窓から白い光が差し込み、

樹々の梢からは小鳥のさえずりが。

ディズニーのプリンセスになったみたいでした。

両腕に点滴が刺さっていましたが(笑)。

そんな走馬灯。

 

そういう具合なので、宴会では「お前しらふだろ」、ということで

会の進行やら会計やら諸々雑用がまわってくる羽目になります。

お酒が入るとやや荒くれる皆様に囲まれていました。

宴会は収拾がつかない状態になりがち。

そのうち、一旦、中締めが必要なタイミングがやって来ます。

そんな時には終始冷静な自分が、

「え~、宴もたけなわですが・・・」

という「宴たけ宣言」を発出して、強制終了させます。

そして、二次会へ。

そして、その繰り返し・・・(泣)。

 

前置きが長くなりましたが。

景気循環でいったら、「クズネッツの波」くらい、

20~30年周期で、

自分の中にいる「賢人」のような人(白い髭をたくわえている)が、

その「宴たけ宣言」を高らかに発することがあります。

 

20代の終わり頃にそれで一度、衝動的に辞表を出しました。

そしてもう2~3年したらそろそろかなと思っていたら、

先日、突然「え~、宴もたけなわですが・・・」が脳内で響き渡りました。

収拾がつかない状態をリセットする「宴たけ宣言」

 

眼の状態が悪化したこともあるのかもしれませんが、

もやもやを断ち切らないと前に進めない、

それをよく知っている賢人さんー直観のようなものー、が

私を操縦しているような気がします。

 

自分でも何故そんな事をしているのかわからない

そんな時はその直観に素直に操縦されてしまおう。

意味はそのうちわかるかな。

 

長いこと加入していた業界団体と協会の退会手続きを準備しています。

お世話になりました。

世間的なかたちとしては、一旦廃業に向かうことになります。

でも、新しく始めたいことが山ほどあって、楽しみでしかありません。

一級建築士であることは変わらないので、

場末の文系建築士として、

建築にも今までとは違うかたちで向き合っていこうと思っています。

むしろ、幅がひろがりそう。

 

あの、意識が戻った朝の白い光のように、希望が差し込んできます。

 

「発端」・「中盤」・「結末」

「設定」・「葛藤」・「解決」

ハリウッドの脚本にある「三幕構成」のようなものかもしれません。

一幕目も二幕目も自ら強引に下ろしました。

これから三幕目。

新しい宴。

どんなエンディングに向かうかはわかりませんが、楽しみです。

 

家族の皆様の深い理解に感謝。

恋しい家こそ 私の星空

家について

あれこれと七面倒なことを時々言ったりしますが、

本当は何でもいいと思っています。

 

木造でも、鉄骨造でも、RC造でも

外断熱でも、内断熱でも

屋根は切妻でも、寄棟でも、片流れでも

壁は白でも、黒でも

持ち家でも、賃貸でも

なんでも、人それぞれ

全部まとめて、大正解。

 

日が暮れた頃、

ああ、早く家に帰りたいなあ、

そう思えたら、

恋しい家になったら、

それはもう名作住宅。

 

夕暮れに 仰ぎみる 輝く青空
日が暮れて たどるは 我が家の細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の灯影の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

 

私の青空」 My Blue Heaven     訳詞 堀内敬三

1927年に発売された、アメリカのスタンダードナンバー My Blue Heaven

Blue Heaven堀内敬三さんは「青空」と訳しました。

ちなみに、大滝詠一さんはこのMy Blue Heavenをカバーした際に
タイトルを「私の天竺」としました。

大滝さんらしいです。

日が暮れた後だから、私は星空がいいなと思います。

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昨夜のふたご座満月。

少しだけ顔を見せてくれました。

満月は欠けているけれど

今夜は、ふたご座満月。

アメリカの農事暦ではビーバームーンと呼ぶそうですね。

ビーバーを捕まえるワナを仕掛ける時期という説、ビーバーがダムをつくり始める時期という説、様々あるようです。

お天気はどうかな。

月は美しいですね。

この世で最愛のものかもしれない。

地球の衛星でいてくれてありがとう。

 

百人一首のうたにも月は多く詠われていて、数えてみると12首。

・・・そんなに多くなかった(笑)。

もっとありそうな気がするけど。

でも素敵なうたが多い。

 

月見れば
千々に物こそ
悲しけれ
わが身ひとつの
秋にはあらねど

  大江  千里  

 

嘆けとて
月やは物を
思はする
かこち顔なる
わが涙かな

  西行法師  

 

夏の夜は 
まだ宵ながら
明けぬるを
雲のいづこに
月やどるらむ

     清原深養父

 

有明
つれなく見えし
別れより
暁ばかり
憂きものはなし

  壬生 忠岑  

有明の」には、月という言葉は無いけれど、「有明の月」を詠んでいると思うので、私はこれを「月のうた」に入れます!。(有明宣言)

 

 

私の眼で見る満月は欠けています。

藤原道長に教えてあげたい。

 

比較的体は丈夫なんですが、すべての災厄が眼に集中するらしく、子どもの頃から徐々に悪化して、視野は少し歪んで濁っています。

どんなに美しい景色でも、その本当の姿を見ることは叶いません。

だから自分が撮る写真は、「見ているはずのものは、本当はこういう景色です」という記録。

 

それでも夜は暗闇で濁りをマスクしてくれるから、少し嬉しい。

陰翳礼賛。

時々、世界がずっと夜だったらいいのに、と思うことがあります。

月は歪んでるけど。

 

ただ、人の体は大したもので、網膜では歪んでいても、脳に行きつくまでに根性で、ある程度補正することができます。

Photoshopに実装されている、AI補正みたいなものです。

人工じゃないからNI(Natural Intelligence)かな。

いやただの「I」か。

まあ、どうでもいいですが(笑)。

でも、その根性の「I補正」も少し疲れます。

 

一生に一晩だけでいいから、まんまるの満月を眺めてみたいな。

道長、代わって!。

 

それでも、月が好き。

欠けていても歪んでいても月への愛は変わりません。

 

今までつくった、「月のうた」につけた音楽。

拙い音たちだけど、月愛が溢れている気がします。

叶わぬ恋みたいなものかな。

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ゆきのうた 静岡県民の見果てぬ夢 

静岡の真ん中あたりにある海辺のまち。

砂漠に雪が降ったとしても、ここには降りません。

 

ひと冬に数回、「風花」の舞う日はあります。

そんな日はみんなで表に出て、手をひろげ、
「雪だよね!これ雪だよね!。」なんて言いながら、無理やり「雪」ということにして、はしゃぎます。

それが静岡県民。

 

小学生の頃、一度だけ夜中に雪が降ったらしい日がありました。

運動場の隅にうっすらと白いものがあったのです。

それだけで1時間目の授業はやめて、雪合戦ということに。

10分で終了しました・・・。

それでも、同級生はみんなあの日のことを懐かしく思い出すようです。

大事件だったのです。

 

静岡県民は雪に憧れます。

ホワイトクリスマスなんて、夢のまた夢なのです。

迂愚者の日記(2023_1121)

 

誰も気にしていない(笑)私のクリスマスソング制作の進捗。

普段は何かつくってもほったらかしなのに、今回は何故かしつこく手直しをしている。

「どうしてそんな事をしているのか自分でもわからない」と思うものほど全力でやることにしている。

それ自体も、どうしてなのかわからないけれど。

 

1db単位で各楽器のミックスをいじったり、

ドラムを打ち込み直したり、

ベースラインを変えたり、

ギターをたくさん重ねて録って、そして全部消したり(笑) 

 

どこが違うのかわからないファイルが10いくつもできてしまった。

混乱してきたので、一番新しそうなものをyoutubeに保存しておいた。

最初のものと、あまり変わらないような・・・。

 

でも、「小声うっすらコーラス」をのせたんだった。

小声すぎてほとんど聴き取れない。

 

小川洋子さん琥珀のまたたき」に出てくる小声コーラスの美しさを書いておこうと思ったんだけど、調べてみたら以前書いていた・・・。

akekurenote.hatenablog.com

3声のコーラスをつくって、本当は娘(受験勉強中)に歌ってもらおうと思っていたんだけど、奥様の「圧」を感じて、それは断念した。

仕方なく自分の悪声を重ねた。

「悪事を重ねた」みたいな言い方だけど。

いつか隙をねらって、娘に歌ってもらおう。

 

自分が聴くためのクリスマスソングをつくっている。

自分が読むための小説を書く予感がする。

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