人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

”友情と愛情の危ういバランス” それをおおらかに包む家  「あ・うん」(向田邦子)  [家と本]

つましい月給暮らしの水田仙吉と軍需景気で羽振りのいい中小企業の社長門倉修造との間の友情は、まるで神社の鳥居に並んだ一対の狛犬あ、うんのように親密なものであった。
太平洋戦争をひかえた世相を背景に男の熱い友情と親友の妻への密かな思慕が織りなす市井の家族の情景を鮮やかに描いた著者唯一の長篇小説。

          「あ・うん」(向田邦子 )文春文庫 裏表紙 内容紹介より

映画では、このキャストでしたね。

門倉修造(仙吉の親友) - 高倉健
水田仙吉(門倉の親友) - 板東英二
水田たみ(仙吉の妻 門倉がひそかに思いを寄せる) - 富司純子
水田さと子(娘) - 富田靖子


物語の舞台は、上京する仙吉家族のために門倉が手配した、芝白金三光町の借家です。
(芝白金三光町は、かつて実在した町名で、現在の港区高輪、港区白金、港区白金台あたりのようです。)

門倉は、畳、障子、風呂の煙突、風呂桶、流しの簀の子などを新しく替え、枕や寝間着を新調し、せっけんやトイレの紙まで準備して、さらに風呂の湯まで沸かして、親友家族の到着を待ちます。

そして、家族がついた時には本人はその場から立ち去っているという・・・。

そこがまた良いのです。

 

多くの大切な場面がこの家の中で展開します。

茶の間や二階の部屋、縁側、玄関、脱衣室・・・、それぞれの場所に深い印象が刻まれます。

特に、招集令状が届いた恋人を追って、さと子が「転がるようにかけ出してゆく」玄関のシーンは心に残ります。


おそらく当時のありふれた借家なんだと思いますが、この家がどっしりと構えていて、繊細な人間関係がうみだす涙と笑いを包み込んでいるようです。

ほんの少しでもバランスが崩れたら、すべてが崩壊してしまう。

三人の男女が危うい感情に揺れながら、必死に家庭や友情を守ろうとしている姿を、この家は暖かく見守りながら、家もまた育っていくように感じます。

余談ですが・・・。

大昔、就職先の新人研修の間、青山にある宿舎にひと月ほど滞在していました。

部屋の窓を開けると、目の前に「南青山第一マンションズ」がありました。

向田邦子さんがお住まいになっていたマンションです。

(建て替えの話を何かの記事で読んだような気がしますが、どうなったんでしたっけ・・・)

今風に言えばヴィンテージマンションとでもいうんでしょうが、新しいものが決して持てない、特別な雰囲気をまとっていました。

建築は、流れる時間の中でいろいろな物語を吸収しながら、生きて育っていくんだなとあらためて思います。