週刊朝日に載っていた、林真理子さんと松任谷由実さんの対談がすごく心に残りました。
林 :いまに「ユーミン博物館」ができたときに、ユーミンのお洋服がダーッと並んで……。
松任谷:博物館はつくらない。
そういう3次元的なものは意味がない。
絶対なくなる。
石原裕次郎記念館もなくなったし。
ハコモノはダメ。
だから歌をやっててよかったの。
人の心に入り込めば、死ぬまで持っていけるんだもん。
どこにでも運べるし、風のように街を漂ってるし。
林 :「私が死んでも私の歌は残ってほしい。その願いがかなえられつつある」ってこのあいだテレビで言ってましたよね。
松任谷:そうね。まあ、一里塚ぐらいかな(笑)。
週刊朝日 2023年1月27日号より
憧れます・・・・・。
音楽や文学は強いな、と思います。
小野小町の哀しみを21世紀の今でも共有できるんですから、途方もない力ですよね。
建築は、そういう意味では弱いのかもしれません。
それこそ、3次元のハコモノそのものですから・・・。
ただ、家や建築も、記憶の中で生き続けることはできると、少なくとも私はそう信じています。
長田弘さんの「あるアメリカの建築家の肖像」という、心の支えになっている大好きな詩があります。
家は、永遠ではない。
火のなかに、失われる家がある。
雨に朽ちて、壊れて、いつか
時のなかに、失われてゆく家がある。
けれども、人びとの心の目には
家の記憶は、鮮明に、はっきりとのこる。
「あるアメリカの建築家の肖像」より抜粋
自分のデザインしたものは、誰かの記憶に残ってくれるでしょうか。
毎朝我が家の前に集合するこどもたちの、思い出のすみっこに存在してくれるでしょうか。
「へんてこな家があったな」とか(笑)。
そうであってくれればいいな、と思います。
役目を終えて、この家が取り壊されるとき、全然知らない誰かが、こっそり悲しんでくれたらいいな。
それが、ささやかな願いです。