人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

縁側の風景 「満願」太宰 治  [家と本]

我が家は南と西にぐるっと縁側を廻しています。

外壁より外の軒下空間にある縁側なので「濡れ縁」ですね。

ちょっとだけ、ミース・ファン・デル・ローエファーンズワース邸を意識してデザインしたのですが、誰も言ってくれないので自分で言いました(笑)。

(「ファーンズワース邸/ミース・ファン・デル・ローエ」 後藤 武 著  の表紙写真より)

 

庭仕事の最中は、しゃがんで立つたびに、いちいち立ち眩みをしますので、その縁側に腰を掛けて休みます。

運動不足ですね。

 

気付くと、かなりの長時間そこでぼんやりと道を眺めているようです。

 

あいかわらず大人には計り知れない、興味深い行動をする小学生の集団。

自分たちの頃にはあり得なかったカップルの中学生(不良 笑)。

「大きな独り言だな」と思ったらスマホのピンマイクに喋っているお兄さん。

最近は中国語やポルトガル語も飛び交うようになってきました。

 

まだまだ先の事でしょうが、このままだと、日がな一日縁側に座って、近所の人が「確認」をしに来るくらい微動だにしないおじいさんになりそうです(笑)。

 

座るたび思うのは、太宰 治の美しい掌編「満願」のことです。

縁側からの風景を描いた、僅か3ページの珠玉。

 

舞台は仲良くなったお医者さん宅の縁側です。

後半、縁側からみた風景の美しい描写が続きます。

読んでいる新聞が風でめくれる音、目の前を流れる小川のせせらぎの音牛乳配達の瓶の音、それから小道を歩く若い女性のくるくるっとまわす白いパラソルの、風を切る音まで聞こえてきそうです。

 

最後の部分で恐縮なのですが、引用させて下さい。

(本文を読まれる方は、とばしてください。)

 八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
 ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
 三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

「清冽」

この言葉がこれほど相応しい風景の描写を、ほかに知りません。

 

縁側に座っていれば、いつかこんな風景に出会えるかな。

 

「満願」への思いを書き連ねていたら、本文より長くなってしまいそうです。

もしお時間がありましたら、

青空文庫さんへのリンクです。

太宰治 満願

大昔、ある短編の文学賞に間違って(笑)応募したことがあります。

その前にこれを読んでいれば、思いとどまったのに。

できることなら過去に戻って全力で自分を説き伏せ、阻止したい。