人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

17歳の歳時記  祖母の中の少女

ずっと大切に保管しているものがあります。

表紙に1930と書かれた黒い手帳。

30年以上前に他界した祖母のものです。


祖母が17歳の少女だった頃の、一年間の日記が綴られています。

満州事変の前年、関東軍が暴走を始めていた頃。

直前にニューヨークの株式市場が大暴落、世界恐慌が日本に波及し、昭和恐慌が始まった頃でもあります。

世界中を不穏な影が覆い始めていた1930年の一年間。


それでも、この手帳からは、世界の片隅で日常を精一杯生きていた少女の息遣いが伝わってきます。

そこには、時代や国が違っても変わらない、17歳の少女の哀しみや喜びが溢れています。


この手帳を手にする時は、まるで清流に手を浸しているようで、生きていることそのものが、これほど瑞々しいものかと思います。


17歳の少女の言葉を読む、彼女よりはるかに年齢を重ねた自分。

その自分が夜中にぐずった時、おぶって子守唄を歌ってくれた祖母。

その祖母が17歳の少女になって語りかけてくる。


この手帳に触れるたび、感情がショートするような、ハウリングを起こすような奇妙な状態になります。

 

時間は過去から未来へ一直線に流れているわけでは、決してないという実感とともに、自分が宇宙の一粒の塵になったような心細いような安らかなような複雑な気持ちになります。

上手く言葉にはできないようです。


お年寄りの中にも少年少女がいて、小さな子供の中にも、おじいさんやおばあさんがあらかじめ内包されていることを、いつも思います。

そして同時に、世代論や世代間を分断しようとする試みの無意味さを思います。

 

 

何かを見聞きすると、「すぐサントラをつくりたくなる」(そしてつくり始めて後悔する)という妙な癖があって、この手帳もサントラをつくり始めてしまいました・・・。

まずは表紙や全体の心象を短くスケッチ。

1930年という不穏な時代に、17歳の少女が感じていた哀しみや喜びを音にしてみたくて、ギターを抱えながら半日パソコンの前でガサゴソやりながらつくりました。

花粉がおさまって体調が良くなったら、きちんと構成しなおして、3分くらいの音楽にしようと思っています。

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