我が家は24坪の小さな家です。
もとより大きな家を建てる「元手」も無いのですが、建築の勉強を始めた頃に出会ったこの本の影響も大きいようです。
「小さな森の家」。
「吉村順三建築展」に行った帰りに買ったものです。
本にはチラシと一緒に、その日上野公園で舞っていたイチョウの葉もはさまれていました。
初冬の空気を閉じ込めたこの葉を見ていると、あの日の感動が蘇ります。
3か月後には軽井沢へ実物を見に行きました。
もちろん外観のみの見学ですが・・・。
本の表紙やチラシもそうですが、普通この家は、青々とした緑の木立に囲まれた姿で紹介されることが多いようです。
ただ、私が見に行ったのは3月、まだ軽井沢はモノトーンの世界です。
少し寂しい別荘地を探し回って、ようやく見つけたその小さな家。
枯れ色の森に佇むその姿に衝撃を受けました。
家が保護色に変化したかのように、森に溶けています。
建てた家というより、土から生えて育った、一本の木のよう。
春になったら新芽が出てきそうです。
この季節の姿こそが、この家の本当なのではないかと思いました。
それから、いつかこのように風景に溶け込む建築をつくりたいと決意しました。
この「小さな森の家」と吉村順三さんの大ファンになった私は、図面をトレースしたり、他にもいくつもの本を読んだりして、自分なりにその世界を吸収しようと努めました。
心に残っている言葉はたくさんあります。
自分の考えだと思って人に話していることが、だいたいはそれらの本に書いてあることだったりします。
私は家のかたちがそんなに一つ一つ違う必要はないと思いますね。
昔のものには建築に限らず非常に品があった。(中略)やはり本当にいいもの、品のあるものは、「必要なものだけ」で構成されていることが多い。
住宅の設計にあたっては、とにかく要らないものをできるだけ省いたほうがいい。(中略)今はものがありすぎますよ。どっちでもいいような物も多い。どっちでもいいような物は、ないほうがいい。
建築の純粋さとは何か。それは建築材料を正直につかって、構造に必要なものだけで構成するということである。
建築というものは非常に重要なものだと思う。とにかく人がそこで生活するわけですから、真剣なものですよ。
ウチ一軒でもそこで子供が生まれ、人が死ぬと、非常に真剣なものですよ。それをただ、造形的な、遊びのようなウチでは、いろいろと精神的に、とにかく人間の生活が非常にそれによって影響を受けるのです。
その一軒から、自分のデザインする一軒から、街並みを変えていくんだよ。それくらいの気持ちでやらなきゃ何も良くなっていかないよ。建築家には、そういう社会的な責任があると思うね。
引用は、吉村さんの言葉を集めた「建築は詩」(吉村順三建築展実行委員会 編) より
足元にも及びませんが、1ミリでも吉村順三さんの世界に近づけたらいいなと思います。