人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

帰ってきた座敷わらし【朗読】宮沢賢治「ざしき童子のはなし」

大変ご無沙汰しております。

ここのところ、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をせっせとつくっておりました。

 

以前、座敷わらしの姿が見えなくなったという記事を書きました。

akekurenote.hatenablog.com

あの子が戻って来たのは昨年の夏のことでした。

娘の志望校のオープンキャンパスに参加するために仙台に行ったのですが、その時ついてきたようなのです。

30年振りくらい(昔、仙台市民だったのです)で「甘味処 彦いち」さんにずんだ餅をいただきに行ったときのことでした。

 

親子3人でお店に入ると、店員さんが「4名様ですか?」という、久々のくだりが(笑)。

いえ3人です、と答えるとなんだか首をかしげています。

席につくとお水とおしぼりが4つずつでてくるのも懐かしい展開でした。

随分遠くまでついてきたものです。

ずんだを食べたかったのかな。

 

家に戻ると以前のような、あの子の気配が戻っていました。

 

ここのところ、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をつくっていて、「わらし」への感度が上がっていたからなのかもしれませんが、その気配を頻繁に感じるようになってきました。

昨年の暮、はじめてその子の声を聞きました。

ヘッドホンで音楽を聴いていたとき、突然「痛いっ!」ていう子どもの可愛い声が聞こえたんです。

すぐに窓から外を見てみましたが誰もいません。

かなり大きめの音量で音楽を聴いていたので、そもそも外からの音はほぼ聞こえないのです。

頭の中に直接届くような声でした。

ちょうど暮れの大掃除をしていて、玄関近くの物置のあたりは段ボール箱や何やらが散らかっていたから、たぶん何かに足でもぶつけたんでしょう。

どこにいるのかわかりませんでしたが、とりあえず「ゴメンね」って謝っておきました。

それから、数日前はじめてその姿(シルエットだけですが)を見ました。

夜中に枕元でサラサラと音がするので見てみると、小さな子が屈んでいました。

すると一瞬でその姿は消えて、今度は部屋の隅に立っていました。

夜中、突然のことだったので驚いて声をあげてしまいました。

すぐにその子は消えました。

驚かせてしまったかなって、少し後悔しています。

その後、気配を感じないので、またどこかに行ってしまったかな。

またそのうち戻って来てくれればいいけど。

いずれにしても、うちのざしきわらしは巷で言われているような「繁栄」は一切もたらしていません(笑)。

それでも、子どもがもう一人増えたようで、なんだか可愛いのです。

繁栄しなくても、それほど良いわけでも悪いわけでもない、「ちょうど良い感じ」でいられるのは「わらし」のおかげかな、なんて思っています。


少し前まで建築、特に住宅の設計をしていました。

「高気密高断熱の家」とか「子どもが賢くなる家」とかいろんな謳い文句がありますが、「ざしきわらしの住む家」なんていうのをやってみれば良かったかな・・・。

 

前置きが長くなりましたが、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をつくりました。

ちょっとだけこわいけれど、美しく幻想的で可愛らしい物語です。

眠れない夜にでもお聴きいただければ幸いです。

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