折り返し地点を過ぎた帰り道みたいな日々なので、これまで捨ててきたものを拾い集めたり、その答え合わせのようなことをしたり、そんなことをしがちです。
これは、もしかしたら「ミッドライフクライシス」の症状なのかもしれません。
過去、特に十代に置き去りにしてきてしまった多くのものと、もう一度出会い直したいと、最近よく思います。
そんな出会い直しの一つとして、島崎藤村「初恋」の朗読音源をつくっていました。
たぶん教科書に載っていたと思うんですが、まるでなんとも思わず素通りしていました。
十代のイノセンス。
そのようなものは、失ってみないとわからないのでしょう。
初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
四連構成、七五調の文語定型詩。
これ、テストに出ますね。
でもそんなことより、
なんて可愛らしく美しい言葉たちでしょう。
日本語が母語であることの幸せを思います。
それこそ十代のとき、古文の勉強中に出会って好きになったのは、「かなし」という言葉でした。
漢字をあてると「愛し」。
切なさや愛おしさや可愛らしさを含んだふくよかな言葉。
自分がこの「初恋」を一言で表現するとしたら、「愛(かな)し」一択です。
愛しいほど美しい「初恋」。
十代の皆さん。この「初恋」を(たとえテスト対策であったとしても)ぜひ暗記して、ずっと覚えていて、そして人生の折り返し地点を過ぎた頃、遠い目でたそがれてください。
この詩のために可愛らしい音がつくれたら、と思いました。
1行に1小節。
4つの連に4つのパートを。
詩をぼそぼそと呟きながら、言葉の意味やリズム、抑揚を音に置き変えていきました。