人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

さよならCD 再びレコードリスナーに

少し前、20年ほど使っていたCDプレーヤーが壊れました。
高級なものではなく、ビンゴ大会の景品か何かでもらったものなのでした。


寒くなると動きが悪くなったり、春になると復活したり、調子が悪いときには「叩いて直す」タイプでしたが、それでも、大切に使っていたので長い間頑張ってくれました。


プレーヤーを製造しているメーカーも、機種も、かなり減ったんですね。
限られた選択肢の中から、信頼しているメーカーのものを購入しました。
ただ、届いた初日から、再生ボタンを押しても再生されなかったり、停止ボタンを押しても止まらなかったり・・・。

ファームウェアが古いものだったら更新してください、と取説にあったので更新すると、今度は再生中に止まってしまうようになりました。
何か対処法があるかなと思ってメーカーに問い合わせをしましたら、「初期不良なので返品か、交換をしてください」とのこと。


もう終わっていたんですね。
10年前からわかっていたのになんとなく認めたくなかった、CDの時代の終わり。
お言葉に甘えて返品させてもらい、ここのところレコードばかり聴いています。


10代の終わり頃から本格的なCDの時代になったので、持っているレコードは小学生から高校生の頃に買って聴いていたもの。
よく言う、「擦り切れるほど」聴き込んだ音ばかり。
100万曲がスマホで、みたいなものも夢のような世界かもしれませんが、アレンジの一つ一つ、ギタリストがミスったノイズや曲間のタイミングまで、滋味深い食材のように体に吸収していたあの頃は、それはそれで夢のような贅沢な時間だったのかなって思います。


大量のCD、処分するなどということは自分にはできないので、この後怒涛のリッピング作業に入ったのでした。

 

(せっかく投稿を再開したのに、恒例のぎっくり腰になってしまい、椅子に座ったら最後当分立ち上がれないので、写真を撮れません・・・)

ZEROを目指して

ご無沙汰しております。お元気ですか。


ここのところ、主のいなくなった実家の片付けや相続の手続きなどに追われておりました。
3日の間に母と父が相次いで他界したため、「数次相続」という、ちょっと複雑なものになってしまいました。
それでも、他人の手を借りず、みんなで手分けして書類を整え、(役所には意地悪されましたが・・・)なんとか無事終えることができました。


「財産が無い」ということの、ありがたさを噛み締めています。
爽やかなものです。
これは両親に感謝しないといけません。


ちょっと前に「DIE WITH ZERO」という本が話題になりました。
お尻がわからないのでZEROはなかなか難しいですが、娘にいらない苦労をさせないよう、ちょうどいい感じを目指していきたいと思います。


「銀河鉄道の夜」に登場する「鳥を捕る人」のセリフにこういうのがあります。

ああせいせいした。どうもからだに恰度合うほど稼かせいでいるくらい、いいことはありませんな。

これです。これが一番です。

千年の時を越える「夢で逢えたら」

小野小町の名歌、「思ひつつ」の朗読音源をつくりました。
背景の音は冬につくったものを再利用したものです。

思ひつつ
寝ればや人の
見えつらむ
夢と知りせば
覚めざらましを

 

思いながら眠りについたから
あの人が夢に現れたのかな
もし夢と知っていたなら
覚めなかったのに

 

夢で逢いたい人は誰ですか。

たくさんいますよね。

昔飼っていた犬にも逢いたいです。

 

古今東西、普遍のテーマですね。

敬愛する大滝詠一さんの名曲「夢で逢えたら」が二重写しになります。

夢でもし逢えたら 
素敵なことね
あなたに逢えるまで 
眠り続けたい

大滝さんのインタビューやラジオなど、こどもの頃からたくさん読んだり聴いたりしてきましたが、自分の記憶の範囲では、この「夢で逢えたら」と小野小町との関連に言及したことはなかったように思います。


ただ、制作上直接の関連は無かったとしても、日本文芸の中に流れる「夢恋」、「夢路」、「夢の通い路」といったテーマが千年の時を越えて響き合っていることにロマンを感じます。


Roy OrbisonのIn Dreamsなども同様のテーマなので、これは世界共通ですね。


新海誠監督が「君の名は。」を制作するにあたって、この「思ひつつ」から着想を得たとコメントしていましたが、そのようにして、長い年月を行ったり来たりしながら、また新しいものが生まれていくのって素敵だなと思います。


藤原定家が確立した「本歌取り」の手法、現代に続くオマージュや、元ネタに敬意を持ったサンプリング、インターポレーションなど、こういった愛のある引用っていいなと思います。

これからやってくる、逃げたくてももう逃れられない「大生成AI時代」にこそ、過去をフラットな「素材」として学習することにとどまらない、自分の身体を通した、先人との対話、歴史への能動的な応答、文化・文脈の継承としての「本歌取り」や「オマージュ」を捉えてみる視点が大事になってくるのかなと思っています。

ちょっと大げさですが・・・。

花の色は

大変ご無沙汰しております。
おかわりありませんでしょうか。 

 

年明けからどうにも体調が悪く、3ヶ月ぼんやりとしておりました。

昨年後半の記憶がすっかり飛んでしまったり、本を読んだり文章を書いたり、まるでできなく、どうしようかと思っていましたが、家族が温泉に連れて行ってくれて、娘と卓球をしたりなどしているうちに、なんとなく回復の兆しが見えてきました。

どこで何をするのかほとんどわからないままの旅行でしたが、まかっせきりでただついて行くのも楽しいなと思いました。

これからは、あまり一人で責任を背負い込まず、奥様と娘様に頼って生きていくのも良いかな、と思うようになりました。


今年は「実家の片付け」という年齢相応の仕事が待っています。
手続き的なことも含めて厄介ですが、それこそみんなの力を借りながら乗り切ろうと思います。

それから、娘の大学受験です。
娘と一緒に過ごす最後の一年間です。
この間幼稚園に入ったと思ってたのに。

何だか「最後のお勤め」的な新年度になりそうですが、なんとかぼちぼちやっていこうと思います。


リハビリで、年末に弾いたピアノのデータを利用して小野小町の「花の色は」の朗読音源をつくりました。
このあたりもそろそろ桜が咲きます。
家族3人でお花見に行きたいと思います。

何と云はれても

今年の終わりに、宮沢賢治「何と云はれても」の朗読音源をつくりました。


未発表の作品群、「詩ノート」とも呼ばれるものの中に含まれている詩で、あまり有名なものではないかもしれません。
それでも、「雨ニモマケズ」と並ぶ、宮沢賢治マニフェストのようでもあり、彼の祈りのようでもあるこの詩が好きです。


ひとの評価が膨張して、それを飲み込んだアルゴリズムという神様に心まで支配されそうな2025年の終わりに。

何と云はれても

心が解放され、浄化されるような気がします。


何と云はれても
わたくしはひかる水玉 
つめたい雫 
すきとほった雨つぶを
枝いっぱいにみてた
若い山ぐみの木なのである 


皆様、良いお年を。

 

ゆきのうた

何がどうなっても雪が降らない地域に住んでおりまして、ですからそれには大変な憧れを持っています。

年に数回、風花っぽいものが舞ったりしますが、それで大騒ぎします。

長いこと東北・北海道に住んでいましたので、雪とつきあう事の大変さは身にしみていますが、それでも雪への憧れは変わりません。


札幌に住んでいる頃、仕事の関係で帰宅は毎日のように深夜でした。

真冬、腰のあたりまで積もっている雪の中を歩く深夜。

雪が音をすっかり吸い込んだ無音の世界を月が白く照らしている、そんな深夜の時間が大好きでした。

あまり気持ちよくてうっかり深呼吸なんてしてしまうと、肺のあたりがパリパリっとなりました。

あの冬の心躍る気分と肺のパリパリを思い出しながら、この「雪」の朗読音源をつくりました。


山村暮鳥の、真っ直ぐな美しい詩です。

 


山村暮鳥

きれいな
きれいな
雪だこと

畑も
屋根も
まつ白だ

きれいでなくつて
     どうしませう

天からふつてきた雪だもの

 

「いちめんのなのはな~」で有名な山村暮鳥さんですが、この「雪」は最近知って、その素朴な表現に感動しました。

難解なものより、こうした、心をそのまま言葉にしたようなものが自分は好きです。

 

随分前に自分のつくった曲にのせるために、SnowSongという、照れ隠しか何かなのか、英語で歌詞をつくりました。

心持ちが山村暮鳥さんの「雪」に似ているような気がして、ちょっと嬉しかったです。

SnowSong

Something is falling from the sky  
Drifting down from the winter air  
It must be snow, right? 
Only lovely things fall from the sky  
Every child knows it well 
And we sing a snow song

youtu.be

新時代のコペルニクスへ 新たな詩人へ

昭和百年だなんて浮かれていたら、年の後半は災難や不幸が続いてすっかり意気消沈していました。

ただ、いつまでも下を向いているわけにはいきませんので、今年のうちに前を向いて歩き出そうと気持ちを切り替えることにしました。

 

いつも心を奮い立たせてくれる、宮沢賢治「生徒諸君に寄せる」の朗読音源をつくりました。

この「生徒諸君に寄せる」は、1927年に「盛岡中学校校友会雑誌」への寄稿を求められて書いたとされていますが、未完成・未発表で、書きかけの断片・断章がいくつも残っていたというものです。

ですから、作品集や詩集によっては構成や表現が異なっていて、もし完成させていたらどんなものになっていたんだろうって、想像が膨らみます。

 

今回は全体の1/3ほどを抜粋して再構成したものを朗読し、自前の曲(デモテープのようなラフなものです)にのせました。

(この、作品や素材の再構成、編纂、リミックスマッシュアップのようなものについては、書いておきたいことがたくさんあるのですが、またの機会に少しずつまとめようと思います。)

 

生徒諸君に寄せる(抜粋のうえ再構成)
宮沢賢治
 
諸君はこの颯爽たる
諸君の未来圏から吹いて来る
透明な清潔な風を感じないのか

 

それは一つの送られた光線であり
決せられた南の風である

 

諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のやうに忍従することを欲するか
むしろ諸君よ 更にあらたな正しい時代をつくれ

 

誰が誰よりどうだとか
誰の仕事がどうしたとか
そんなことを云ってゐるひまがあるのか

 

新らしい時代のコペルニクス
余りに重苦しい重力の法則から
この銀河系統を解き放て

 

新たな詩人よ
嵐から雲から光から
新たな透明なエネルギーを得て
人と地球にとるべき形を暗示せよ

これは自分に対する一種の檄文です。

それから、ついでにと言ってはなんですが、娘へのそれでもあります。

娘は地球物理の研究のために受験勉強をしているようです。

そして研究をしつつ小説家になろうという夢も持っています。

だから彼女もまた、新時代のコペルニクス、新たな詩人。

自分からみたら、娘に限らず若者は眩しいほど輝いています。

賢治でなくとも、世界と地球の未来を、希望を、彼ら彼女らに託したくなります。

宮沢賢治 #生徒諸君に寄せる #朗読 #DTM

そのとき風がどうと吹いて来て

リハビリに短い朗読音源をつくっています。
宮沢賢治風の又三郎」冒頭の四行詩の部分だけ朗読を録って、音楽にのせました。
「どっどど どどうど~」のところです。
ちょっと変わった朗読です。
何だか、変なものしかつくれなくなってきたような・・・。

音は随分前につくったものをつくりなおしました。
ジェフ・ベックが他界して落ち込んでいた頃のものなので、なんとなくそれっぽい音が鳴っているような気がします。

風の又三郎ジェフ・ベック
何の関係もありませんが、又三郎の起こす風は、自分の中では「蒼き風」ということで、微妙にBlueWindっぽいフレーズを2小節分ねじ込んで、それで良しとしました。


小学生のころ「しんちゃん」という同級生がいました。
ちょっと暴れん坊で怒り出すと手がつけられなかったんですが、普段は優しくて、自分は好きでした。
クラスが変わって、気がついたらいつの間にか転校していました。
地元の同級生に時々その、しんちゃんの話をするんですが、誰も覚えていないって言うんです。
逆に誰かに、「〇〇ちゃんていたよね!」って言われても、自分も含めて誰も、全く覚えていないっていうパターンもあります。

それぞれに又三郎的な子っているのかな。
それともヘルマン・ヘッセデミアンみたいな存在かな。

ぼけ封じ

娘が「ぼけ封じの御守」を買ってきてくれました。
修学旅行のお土産です。


・・・まだ50代なんですが。
ぼけ始めてるのか!。

まあ、キレキレの親だとこどもは疲れるだろうから、これくらいがいいのかな。
自分もちょっと楽だし。


イツモシヅカニワラッテヰル
好々爺ってのもいいかも。
やっぱりちょっと早いな。

添い遂げるということ

ほんとに仲の良い夫婦だった。
と、そういうことにして語り継いでいこうと申合せをして、ご近所の皆さんと大笑いしてしまいました。


息子の自分から見ても、両親は決して仲が良いようには見えませんでしたが、外に現れている部分とは違い、もっと奥の方ではどこか分かち難く繋がっていたのかもしれません。


二人は途中からほぼ同期していました。


同じような時期から二人して認知が衰え始め、
二人して立てなくなり、要介護レベルを上げ、
二人して肺炎になって入院し、
ものを食べられなくなって、
二人して点滴と酸素マスクの状態になりました。


医師と相談のうえ、最後は家で、ということでまず父を退院させ、なかなかタイミングが会わなかった母を、ようやく連れて帰って、久しぶりに二人並んでベッドで横になることができました。


帰宅できて安心したのか、母は見たこともないような満面の笑みを浮かべ、そして、その後少しずつ呼吸が浅くなり帰宅の5時間後、旅立ちました。


父は目を開けることは叶いませんでしたが、それを感覚で見届けて安堵したのか、彼の呼吸もまた徐々に間隔があき、三日後、母の通夜の晩、静かに永い眠りにつきました。


根の繋がった二本の老木がゆっくりと枯れ、静かに倒れてゆくような見事な最後でした。


立ち会えた自分は幸いでした。

耳は聞こえていると聞いたので、二人にはひたすら感謝の言葉を伝え続けました。

それから、みんなもう大丈夫だから安心してって。


兄も姉も早くに亡くしてしまい、一人残った無能の末っ子でしたが、少しは親孝行できたかな。

もちろん悲しみはありましたが、それ以上に、感じたことのない大きな静かな感動のようなものに包まれていました。

添い遂げるとは、こういうことかと。

エンドロールが流れそうな美しい夫婦の閉じ方でした。


自分と両親。

決して仲の良い親子ではありませんでした。
母には、「私の葬式には出るな!」なんて言われましたが、しっかり出ましたよ。
何度親子の縁を切ったり切られたりしたか。

でも、
ほんとに仲の良い親子だった。
と、そういうことにして、これから生きていこうかな。
じゃないと寂しいから。

自分以外みな偉い

このくらいの年齢になってきますと、古い友人や同期だった仲間、年の近い先輩後輩などの活躍ぶりをよく見聞きします。

研究者、起業家、有名なアナウンサーや映画監督、某政党の幹事長。
以前は、自分も頑張らないとなんて思ったり、少しうらやましかったりしたものですが、今ではそうした気持ちがほとんど消えてしまいました。


メディアにほとんど触れなくなったこともあります。
加えて、人知れず何かを成し遂げている偉人の存在に気づくようになったこともあります。
それは一人の会社員だったり、
一人のお父さんお母さんだったり、
両親がお世話になっている介護スタッフのみなさんだったり。
偉大な仕事は人知れず成されている。
それに今頃気づくとは。
自分だけが偉くないことは、相変わらずなのですが。


そんなことを思いながら、石川啄木の朗読音源をつくっていました。


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ


昨日の自分の日記のようです。

 

虹でございました

大変ご無沙汰しております。

お変わりありませんでしょうか。


長い夏の間に体調を崩してしまい、随分お休みしてしまいました。

リハビリのつもりで少し書いています。


夏の終わりの大きな出来事は、竜巻でした。

史上最大と言われる竜巻がこの町と隣町を襲ったのです。

うちは庭が大荒れになった程度で家は無事でしたが、歩いてほんの10分ほどのあたりは、ちょうどその通り道になっていて、屋根は壊れ、電柱は倒れ、車がひっくり返っていました。

風の恐ろしさをあらためて感じました。

お気の毒に、まだそのあたりの多くの家はブルーシートがかかったままです。

一日でもはやく、もとの生活に戻れますように。


強さや恐ろしさと、しかし、優しさや美しさをも全部ひっくるめての自然。

そんな自然の力を感じた夏でした。


それこそリハビリのつもりで、30秒ほどの、ごく短い朗読音源をつくりました。

音は、詩をぶつぶつつぶやきながらピアノでつくりました。


宮沢賢治「報告」という短い詩です。

 

報告

宮沢賢治

 

さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張つて居ります

 

この詩からもまた、大きな自然の力を感じます。

虹を見た驚きと喜びが宮沢賢治らしく素直に表現されています。


美しいものに出会った感動を誰かと共有したい。

それが芸術や創作の原点なのだとあらためて思います。


短いので縦のショート動画の形式でつくってみました。

短冊っぽくて、詩や和歌の縦書きの表現にむいているのかもしれません。

 

天国でRandyを肩車してるかな

唯一無二、最高のヴォーカリストが旅立ちました。

rollingstonejapan.com

その生き様はHR/HMそのものでした。

どれほどコピーし、学ばせてもらったか。

大好きなRandyを天国で肩車できてたらいいな。

 

2年前に弾いた、下手なDee。

今日も下手なままのDeeを繰り返し弾きます。

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オジー・オズボーン #ランディ・ローズ #Dee

十五の心 15の夜

石川啄木の短歌「十五の心」(「不来方の」)の朗読音源を制作していました。

この短歌は、第一歌集『一握の砂』に収められた、三行・分かち書きの作品です。

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

十五歳という微妙な年齢に宿る、透明で繊細な感情を捉えた名歌ですね。

十代の少年が抱く漠然とした不安、孤独、焦燥、そして夢や可能性。

そうした複雑な思いが、広大な空へと吸い込まれていく。

そんな情景が、印象的に描かれています。

 

短歌や俳句のようにタイトルのないものをどう呼んだらいいのか、いつも迷います。

この歌も、初句「不来方の」で呼ぶのが一般的かもしれませんが、私には「十五の心」という呼び方の方がしっくりきます。

尾崎豊「15の夜」と、どうしても重ねてしまうからです。

 

「十五の心」「15の夜」
石川啄木尾崎豊

ともに、閉塞的な世界から抜け出そうとした若者たち。

 

啄木が憧れた空。

尾崎が見つめた都会の夜に宿る自由。

その視線の先にあるものは、どこかでつながっているように感じます。

 

実はこの詩的な共鳴には、尾崎のプロデューサー・須藤晃氏の文学的素養が大きく関わっていたと言われています。

<インタビュー>須藤晃 ~15にまつわる話 Vol.4「15の夜」~ | Special | Billboard JAPAN

須藤氏は啄木とこの短歌に深く共感していて、「十五」という数字にもこだわりを持っていたようです。

もともと尾崎がこの曲につけていたタイトルは、なんと「無免許」だったそうですが、須藤氏の提案で「15の夜」に変わったのです(GJ)。

尾崎もその提案に「十五夜みたいですね」と応じたとされ、啄木の詩情が、この名曲に息づくこととなりました。

このことからも、啄木の短歌が尾崎の創作に影響を与えたことは間違いないようですね。

 

「十五歳」という、未熟で不安定な時期。

自分と世界の距離を測りかねるような感情。

尾崎はそれらを、啄木の表現を媒介にして再確認し、自らの歌に昇華させたのだと思います。

 

さらに、「卒業」の冒頭の歌詞、

校舎の影
芝生の上
すいこまれる空

この一節も、啄木の

お城の草に寝ころびて
空に吸われし

と、見事に響き合っています。

芝生、空、そして「すいこまれる」という言葉。

啄木の世界を80年後、バブル前夜の十代の感性に置き換えた光景です。

 

そして、啄木と尾崎にはもう一つ、共通点があります。

どちらも26歳という若さでこの世を去ったこと。

啄木は1912年、肺結核で夭折。

尾崎は1992年、急性肺水腫により急逝。

どちらも母親の死の直後、そして東京・文京区で最期を迎えたという奇妙な一致もあります。

こうした偶然の重なりに、私は二人の間に不思議な「縁」のようなものを感じずにはいられません。

 

26年という短い生涯の中で、
啄木は「十五の心」に青春の儚さを刻み、
尾崎は「15の夜」や「卒業」に十代の孤独と希望を焼きつけました。

そこには、生き急ぐような魂の叫びが、時代を超えて共鳴しているように思えます。

 

十九歳の頃、私も不来方城跡(盛岡城跡)を訪れ、空を見上げたことがあります。
(寝転んでみたかったけれど、恥ずかしくてできませんでした。)

それでも、あのとき「十九の心」もまた、確かに空へと吸い込まれていったように思います。

youtu.be

【コーラスパートはVoiSonaを使用して制作しました。】

 使用ボイスライブラリ:知声

#石川啄木 #十五の心 #不来方の #尾崎豊 #15の夜 #卒業 #朗読 #ナレーション #サントラ #DTM

 

こどもが守られる世界

以前つくった「雪」の朗読音源の音が気に入らなくて直していました。


三好達治


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

たった二行の美しい詩。
短さ故に様々な解釈ができますね。


太郎と次郎は兄弟で、一つ屋根の下に眠っているのか。
それとも、友達やいとこか何かで別々の家なのか。


私は、「太郎」、「次郎」という一般的な名前を使っていることから、
こどもたちすべて、もちろん時差や季節の違いはありますが、
世界中のこどもたちが守られながら安心して眠っている様子を思い浮かべます。


寝かしつけているのは、お母さんなのかお父さんなのか。
おじいさんやおばあさんやお兄さんやお姉さんかもしれません。
私は建築の設計者なので、屋根がこどもたちを守っているイメージにも心を打たれます。


すべてのこどもが、こんなふうに守られる世界になればいいなと思います。

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