人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

刹那の蝶と一分間の白昼夢

この時期になると、娘の幼稚園最後の日を思い出します。

 

その幼稚園では、卒園式が終わっても「預かり保育」の期間が3月31日までありました。

「涙の卒園式」後にまた会うのは、何だか気まずくないのかなとも思ったのですが・・・。

(送別会で盛大に送り出された後、駅のホームでまた会いそうになると、こっそり物陰に隠れますよね。)

それはさておき、その「預かり保育」に(特に必要もないのに)娘は通っていました。

幼稚園が好きで、友達と遊びたかっただけなのです。

始終幼稚園を脱走して(隣の墓地で遊んで)いた私の子とは思えません(笑)。

 

預かり保育もついに最終日となり、夕方娘を迎えに行きました。

先生方や他の保護者の方に挨拶をして解散になったのですが、子どもたちは皆、随分あっさりとした別れ方をしていて驚きました。

「じゃあ、またね。」

明日もまた遊べるかのような、今日と同じ明日が来ることを信じ切っているような、さばさばとした別れでした。

隣の市の幼稚園だったので、小中学校も別ですし、おそらく一生会わない子もいるはずなんです。

「もっと別れを惜しめよ!」

心の中ではそうツッコんでいたのですが、子ども達にはそんな感覚は無いように見えました。

 

駐車場に向かおうとした時です。

背後でシュッという音と軽い機械音がしました。

振り返ると、芝生の広場でスプリンクラーが作動し始めたようで、水しぶきが舞いあがっています。


その瞬間、帰りかけていた子ども達が(もちろん娘も)いっせいに広場に向かって駆け出しました。

本当は別れを惜しんでたんだよね。

子ども達なりにこらえてたんだね。

小さな姿がくるくると踊るように駆けまわっています。

光る水しぶきのなか、歓声が茜色に溶けていきました。

 

1分程の短い間だったと思います。

 

私はカメラを抱えたまま、シャッターを切るのも忘れて、その光景を眺めていました。

 

過去一番の美しい光景でした。

 

写真という証拠が無いのをいいことに(笑)言うわけではないのですが、西日に染まる水しぶきの周りには無数の蝶が舞っているようでした。

 

視界は霞んでいましたが、私が見たのは確かに、この瞬間を楽しみ尽くしたいと願う蝶たちでした。


今でもあの蝶のことを思います。

 

そして、あの刹那のユーフォリアと一分間の白昼夢を、どこかに刻んでおきたいと思うようになりました。

 

それで、一分間の音をつくってみました。

音の「心象スケッチ」のようなものです。

 

土のなかから土器をそっと掘り出すように、あの日心の中で鳴っていた音を拾い集めました。

つくったのは昨日ですが(笑)、どうやらあの時こんな音が鳴っていたようなのです。

youtu.be

母校でもない学校の校歌を聴いて泣く・・・

春の甲子園が始まりましたね。

皆さんはどの学校の校歌がお好きですか。

 

新設校ではポップス調のものも増えてきましたね。

私はどちらかというと昔ながらのものが好みです。

 

名曲もたくさんありますね。

なかでも最も愛するのは、

静岡県立浜松商業高等学校 校歌です。 

浜松商業

通称、浜商ですね。(今大会は出場していません。)

私の中では「ハマショー」と言ったら、浜田省吾さんではなく、浜松商業です。

 

音楽の教科書に載っていそうな、A・A’・B・A’のシンプルな構成の16小節。

奇をてらわない大らかな旋律。

非の打ちどころのない名曲だと思います。

youtu.beイントロを2秒聴いただけで、すでに泣いています・・・。

 

理由が自分でもよくわかりません。(ちなみに卒業生でも何でもありません。)

メロディーなのか、コード進行やアレンジなのか、それとも野球の持っているドラマを内包しているからなのか・・・。

 

楽譜を見ながら分析をしてみるのですが、どれでもないような・・・、おそらく人にはやはり「琴線」というものがあって、自分の場合、浜商の校歌がその琴線に触れるのではないかと考えています。


「甲子園で歌われる校歌」ファンというのも、全国にはかなりいらっしゃるのではないでしょうか。

「歌い終わって一礼、それからスタンドに向かって猛ダッシュ、ここまで含んでの校歌ですね。

様式美ですね。


まだ知らない名校歌がありそうなので、それを探すのも楽しみです。

 

 

17歳の歳時記  祖母の中の少女

ずっと大切に保管しているものがあります。

表紙に1930と書かれた黒い手帳。

30年以上前に他界した祖母のものです。


祖母が17歳の少女だった頃の、一年間の日記が綴られています。

満州事変の前年、関東軍が暴走を始めていた頃。

直前にニューヨークの株式市場が大暴落、世界恐慌が日本に波及し、昭和恐慌が始まった頃でもあります。

世界中を不穏な影が覆い始めていた1930年の一年間。


それでも、この手帳からは、世界の片隅で日常を精一杯生きていた少女の息遣いが伝わってきます。

そこには、時代や国が違っても変わらない、17歳の少女の哀しみや喜びが溢れています。


この手帳を手にする時は、まるで清流に手を浸しているようで、生きていることそのものが、これほど瑞々しいものかと思います。


17歳の少女の言葉を読む、彼女よりはるかに年齢を重ねた自分。

その自分が夜中にぐずった時、おぶって子守唄を歌ってくれた祖母。

その祖母が17歳の少女になって語りかけてくる。


この手帳に触れるたび、感情がショートするような、ハウリングを起こすような奇妙な状態になります。

 

時間は過去から未来へ一直線に流れているわけでは、決してないという実感とともに、自分が宇宙の一粒の塵になったような心細いような安らかなような複雑な気持ちになります。

上手く言葉にはできないようです。


お年寄りの中にも少年少女がいて、小さな子供の中にも、おじいさんやおばあさんがあらかじめ内包されていることを、いつも思います。

そして同時に、世代論や世代間を分断しようとする試みの無意味さを思います。

 

 

何かを見聞きすると、「すぐサントラをつくりたくなる」(そしてつくり始めて後悔する)という妙な癖があって、この手帳もサントラをつくり始めてしまいました・・・。

まずは表紙や全体の心象を短くスケッチ。

1930年という不穏な時代に、17歳の少女が感じていた哀しみや喜びを音にしてみたくて、ギターを抱えながら半日パソコンの前でガサゴソやりながらつくりました。

花粉がおさまって体調が良くなったら、きちんと構成しなおして、3分くらいの音楽にしようと思っています。

youtu.be

木の花が急に咲き始めました

花粉症が酷く、外に出ないようにしているうち、庭木の花が急に咲き始めていたようです。

今年は少し早めです。

トキワマンサクの赤と白。

花を咲かせるために栄養を与えてしまうのか、花の時期は葉が変な(笑)色になります。

うちはトキワマンサク率が高いので、お花見ができます。

毎年、垣根の端から咲いていくようです。

 

ローズマリー

 

ブルーベリーはこれから。

 

(たぶん)ユキヤナギ

実家の庭から引っこ抜いてきて植えたので、名前をよく知りません。

 

花粉に気をとられていると、大切な瞬間を見逃してしまいそうです。

カツラやモミジやヤマボウシの可愛いミニチュアのような葉ができた時が一番好きなので、注意して見ていなくては。

花粉に負けずに、庭に出ようと思います。

最後の〇〇に弱すぎて・・・

その症状を何と呼ぶのかわからないのですが、「これが最後かもしれない」と思ってしまうことが多いようです。

幸い今のところ「子育て」に纏わることに限定されていますが。

 

最後の授乳

最後の離乳食

最後のおむつ替え

それから、一緒に入る最後のお風呂

 

ただ、これは、その時は「予感」のみで、本当に最後だったのを知るのは後になってからですね。

 

幼稚園の園服を(いつものように乱暴に)脱ぎ捨てた最後の日

ランドセルを(いつものように乱暴に)床に放り投げた最後の日

 

これは、その瞬間が最後なのをあらかじめ知っているので、堪えます。

まだ迎えていませんが、最後のお弁当もこちらですね。

 

皆さんはこういったものをどうやって乗り越えていくんでしょうか。

つくづく自分の弱さを実感します。

 

子どもは強い生き物ですね。

そんな感傷など微塵もなく、過去をかなぐり捨てていきます。

 

真島昌利さんの「夏が来て僕等」という曲に、
「成長のドアを足であけた」という印象的なフレーズがありますが、娘(万年反抗期)の場合本当に、足で蹴破っていくような勢いを感じます。

 

自分も、もう少し強くならなくては。

youtu.be

英語で詠って ~「音読さん」を使ってみました

あてもなく英語を勉強しています。

ただの趣味のようです。

将来何かしらの原因で何処かしらに脱出する時は役にたつかな。

考えてみたら、英検とかTOEICのようなものを受けたことがありませんでした。

受検が目標になって良いのかなとも思いますが、自分の実力を知らないまま、ふわっとさせておき、「本当は、やればできる子」(笑)という状態を維持したいという不埒な考えですね。

百人一首のうたに音楽をつけてみようと思い立ち、7首分つくったところで早くも力尽きて中断しているので、気分転換に勉強も兼ねて英語バージョンをつくってみることにしました。

「どこまでも中学英語で押し通す」というのがポリシーなので、簡単英語です。(間違いがあったらご教示ください。)

 

英語の読み上げは「音読さん」を利用させていただきました。

ondoku3.com

日本語や英語に限らず、多くの言語、男性・女性、大人・子ども、それぞれ様々な声質のもの(私の耳では、ほとんど人間との区別はつきません)が用意されていました。

スピード、声の高低もコントロールでき、つくった音声はダウンロードできます。

私は無料会員(すみません)なので5000字/月までの読み上げですが、有料プランの場合20万字/月~100万字/月の読み上げが可能なようです。

単なる文書の読み上げやナレーションだけでなく、ポエトリーリーディングなどの創作にも活用できそうな完成度だなと思いました。

 

使っていると楽しくて時を忘れてしまいます。

VOCALOIDで音楽をつくっている皆さんの気持ちが少しわかったような気がします。

 

うたは、大好きな23番歌「月見れば」大江千里)です。

月見れば

千々に物こそ

悲しけれ

わが身ひとつの

秋にはあらねど

 

[拙訳]

When I look at the autumn moon,

various thoughts cross my mind

and make me feel sad.

It's not the autumn

that came to me alone. 

読み上げは「音読さん」Ericさん

音楽は、昨年つくったものの2023最新リマスター(笑)です。

youtu.be日本語版の朗読は人間(奥様)です。

youtu.be

窓掃除とバードストライクのこと

うちには南側に3枚のFIX窓と一枚の木製引き戸があって、いずれも大きなペアガラスが入っています。

いつもそこから庭の景色をぼんやり眺めているのですが、ガラスにピントを合わせてみると、そこそこ汚れています(笑)。

時々適当に拭き掃除はしますが、ピカピカになるまではやりません。

何事も大雑把です。

ただ、きちんとした理由もあります。


何年か前、いわゆるバードストライクがあったんです。

鳥がガラスなどに激突してしまう事故ですね。

航空機や鉄道、自動車などでは重大事故につながることもあるようです。

 

北側にある(かっこつけて言うと)アトリエで珍しく図面を描いていると、ドンっという衝撃音のあと、ボテッという落下音が。

 

近所の小学生がキンカンでもぶつけたのかな(ピンポイントの推定)と思って見に行くと、メジロが逆さになってデッキの隙間に刺さっていました・・・

 

そっーと抜いて、正しい姿勢で置いてみるのですが、コロッと転がってしまいます。

ほぼフィギュアのような状態になっているそのメジロを、なんとかバランスをとり、しばらく眺めていました。

(野鳥なので、触った後はきちんと手を洗いました。)

(↓ 気を失った状態のメジロ。左のデッキの隙間にクチバシが刺さって逆さになっていました・・・。)

もはや埋葬の場所を考えていました。

頭の中では「禁じられた遊び」のギターが鳴っています(わかりにくくてすみません)。

 

ところが至近距離で見ていると、何となく呼吸をしている気配が。

もしや、脳震とうか何かで気を失っているだけではないか。

目を開けたまま気を失うことなんてあるのかな。

というより、鳥って瞼を閉じるのか?。

(写真をよく見たら、瞼を閉じていました。)

などと考えていると、急に電源が入ったように目に光が灯り、「わっ、何だお前!」みたいな感じでビクッとして、飛び立っていきました。


ガラスがあまりピカピカだと、木々が鏡のように映りこんでしまい、鳥にはその先に木があるように見えてしまうようです。

その時の写真を見ると確かに勘違いするかもな、と思います。

かわいそうなことをしてしまいました。

無事だったから良かったのですが。


バードストライクを防ぐにはガラスにバードセイバーと呼ばれるステッカーのようなものを貼ると良いみたいですが、それはさすがに・・・、ということで、あえて(笑)薄汚れたガラスのままにしています。

 

レースや明るい色のカーテン・スクリーンを閉めておくのも、映り込みの軽減に役立ちそうですね。

ここはそれほど自然が豊かな場所ではないのですが、幸い時々野鳥が遊びに来てくれますので、鳥さんと共存できるように工夫したいと思います。

「さて、久しぶりにお得をみすみす逃してみるかな。」

伝染るんです。をご記憶でしょうか。
1989年から1994年まで「週刊ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に連載された、4コマの「不条理ギャグ漫画」ですね。

伝染るんです。①」 吉田戦車  小学館

’75年は・・・というこの帯や、落丁のような装丁も話題になりました。

 


先生などと呼ばれているおじいさんが登場する回がありまして、その中で一番好きなのが、

「さて、久しぶりに取り返しのつかないことでもするかな。」 

先生がそう呟きながら、

ビデオデッキ(VHS!)の蓋を開け、

中に納豆をこぼして ・・・、

「あーっ!! とっとりかえしのつかないことを!」と叫ぶ

というものです。


30年以上たった今でも、コーヒーを飲みながらパソコンで図面を描いているときなど、あの「先生」の「さて、久しぶりに取り返しのつかないことでもするかな」が頭をよぎってしまい、一瞬コーヒーカップが傾きかけて、「・・・・・あっ、違う違う」みたいな感じで我に返るということを繰り返しています(笑)。

 

そんな影響もあるのかないのか、時々実行することがあります。

 

「さて、久しぶりにお得をみすみす逃してみるかな。」

 

目の前にある「お得」を、お得だとわかっているのにあえて、「みすみす」逃してしまうという謎の苦行です。

例えば、

・購入予定のPCに期間限定で有料のアプリが入っていて、お値段据え置きという場合、(もともと購入予定だった)同じ価格のアプリが入っていない方を買う。

・800円のものを買おうとレジに持って行ったとき、「1000円以上お買い上げの場合3割引きになるので、あと200円分なにか足したらトータルでも700円になってお得ですよ」などと言われても、ダンディーに(笑)そのまま800円の買い物をする

・「今月中に申し込んだらポイント還元」だったら、来月に申し込みをする。もしくは申し込まない

という具合です。

 

何故そんな事をしているのか自分でもよくわからなかったんですが、不思議なことに、数年続けているうち何だか心身がすっきりしてくるというか、世界がシンプルになるような清々しい心持ちになってくるのに気が付きました。

娘も漫画を買うときに「これとこれを合わせて買えば、期間限定特典が・・・」などと四六時中頭を悩ませていたのですが、この「お得をみすみす逃せ」の家訓(笑)が体得できたのか、最近では、憑き物がおちたようなさっぱりした表情で買い物をしているようです。

 

「お得をみすみす逃す」こと。

それは以前の私にとって「取り返しのつかないこと」であり、あり得ないことで、何か「負けた」ように感じたものです。

ところが、「負けるが勝ち」的なものなのかもしれませんが、トータルで「お得」をしているような気がしないでもありません。

こういうものは、行動経済学などで何か定義されているんでしょうか。

たぶん無いですね。

 

伝染るんです。」では「不条理」が面白かったんですが・・・。

その不条理が発酵したような、「さて、久しぶりにお得をみすみす逃してみるかな」が謎のパラダイムシフトを起こして、自分の中では「条理」になってしまいました。

 

性格的に絶対できなかった「さて、久しぶりに泣き寝入りでもしてみるかな。」もいつかやってみようかな。

それは無理かな・・・。

縁側の風景 「満願」太宰 治  [家と本]

我が家は南と西にぐるっと縁側を廻しています。

外壁より外の軒下空間にある縁側なので「濡れ縁」ですね。

ちょっとだけ、ミース・ファン・デル・ローエファーンズワース邸を意識してデザインしたのですが、誰も言ってくれないので自分で言いました(笑)。

(「ファーンズワース邸/ミース・ファン・デル・ローエ」 後藤 武 著  の表紙写真より)

 

庭仕事の最中は、しゃがんで立つたびに、いちいち立ち眩みをしますので、その縁側に腰を掛けて休みます。

運動不足ですね。

 

気付くと、かなりの長時間そこでぼんやりと道を眺めているようです。

 

あいかわらず大人には計り知れない、興味深い行動をする小学生の集団。

自分たちの頃にはあり得なかったカップルの中学生(不良 笑)。

「大きな独り言だな」と思ったらスマホのピンマイクに喋っているお兄さん。

最近は中国語やポルトガル語も飛び交うようになってきました。

 

まだまだ先の事でしょうが、このままだと、日がな一日縁側に座って、近所の人が「確認」をしに来るくらい微動だにしないおじいさんになりそうです(笑)。

 

座るたび思うのは、太宰 治の美しい掌編「満願」のことです。

縁側からの風景を描いた、僅か3ページの珠玉。

 

舞台は仲良くなったお医者さん宅の縁側です。

後半、縁側からみた風景の美しい描写が続きます。

読んでいる新聞が風でめくれる音、目の前を流れる小川のせせらぎの音牛乳配達の瓶の音、それから小道を歩く若い女性のくるくるっとまわす白いパラソルの、風を切る音まで聞こえてきそうです。

 

最後の部分で恐縮なのですが、引用させて下さい。

(本文を読まれる方は、とばしてください。)

 八月のおわり、私は美しいものを見た。朝、お医者の家の縁側で新聞を読んでいると、私の傍に横坐りに坐っていた奥さんが、
「ああ、うれしそうね。」と小声でそっと囁いた。
 ふと顔をあげると、すぐ眼のまえの小道を、簡単服を着た清潔な姿が、さっさっと飛ぶようにして歩いていった。白いパラソルをくるくるっとまわした。
「けさ、おゆるしが出たのよ。」奥さんは、また、囁く。
 三年、と一口にいっても、――胸が一ぱいになった。年つき経つほど、私には、あの女性の姿が美しく思われる。あれは、お医者の奥さんのさしがねかも知れない。

「清冽」

この言葉がこれほど相応しい風景の描写を、ほかに知りません。

 

縁側に座っていれば、いつかこんな風景に出会えるかな。

 

「満願」への思いを書き連ねていたら、本文より長くなってしまいそうです。

もしお時間がありましたら、

青空文庫さんへのリンクです。

太宰治 満願

大昔、ある短編の文学賞に間違って(笑)応募したことがあります。

その前にこれを読んでいれば、思いとどまったのに。

できることなら過去に戻って全力で自分を説き伏せ、阻止したい。

サワラカなサワラのお風呂  [家と言葉]

[サワラ(椹)]
ヒノキ科の常緑樹でしばしば30~40メートルの大高木になる。山林中に自生するが、植林したり、また生垣や庭木として植栽されている。

(中略)ヒノキ、アスナロ、クロベ、コウヤマキとともに「木曾の五木」とされるが、建築材としてはヒノキに比べてはるかに劣る。

  (ブリタニカ国際大百科事典)

 

我が家のお風呂はサワラのお風呂です。

正確に言うと、壁と天井にサワラを張った、いわゆる在来工法の浴室です。

(手前の洗面側の壁・天井は杉です。)

 

「ブリタニカ国際大百科事典」には「ヒノキに比べてはるかに劣る」などと言われ、あるところでは「ヒノキから香りと光沢を抜いた感じの材質」と説明されていたりと、随分な言われようで、何だかサワラが気の毒になってしまいますが、私は全面的にサワラの味方です(笑)。

とにかく水に強く加工性が良く狂いも少なく、軽く柔らかいので構造材にはできませんが、浴室の壁・天井材としては最高の素材です。

施工してから8年ほど経っていますが、全くのノーメンテナンス(威張る事ではありませんが・・・)で、ほぼ新築時の状態を保っています。

無垢のままで、表面には何も仕上げを施していませんが、上品な光沢がありますし、今でもほんのりと香ります。

サワラは「サワラカ(サワヤカ)」からきた名前です。

いつもサラッとしてサワラカな、大好きな木材です。


全力でサワラの擁護をしました(笑)。


以前はずっとシャワーのみの「欧米か!」(古い)という生活をしていましたが、今ではすっかり日本風の「湯船につかる」スタイルになりました。

 


何かのお役に立つかもしれませんので、少し仕様を記しておきたいと思います。


床・腰壁  300角タイル貼  INAXサーモタイル ピュアフロア

壁・天井  サワラ  本実張 厚15ミリ 幅120ミリ

浴槽    INAX グラスティーN

断熱材   パーフェクトバリア

基礎スラブから腰壁部分まで一体でFRP防水を施しています。

「在来浴室は寒い」という話をよく聞きますが、今のところそう感じたことはありません。

ここが温暖な地だからかもしれませんが・・・。

 

工務店の方によると、浴室はほぼユニットバスになり、少なくともこの辺りでは「在来工法」の浴室を施工できる職人さんはほとんどいなくなってしまったとのことです。

もはや「在来」ではなくなってしまったようです。


こう言っておいてなんですが・・・、実はユニットバスも好きなんです。

浴室乾燥など、便利な機能がたくさんついていたり、「上からバサーっとくる」レインシャワーも憧れます。

設置できないこともないのですが、雰囲気が合わなさすぎてやめました(笑)。

在来でもユニット(ハーフユニットも良いですよ)でも、楽しいお風呂タイムが過ごせればそれが一番かなと思います。

記憶を刻む小さな椅子  それから家づくりのこと

娘が赤ちゃんの頃、九州の作家さんにウォールナットの小さな椅子をつくってもらいました。

手作り家具 木工房シンプル 普段使いの家具を作ります 福岡県北九州市

はじめは真っ白だったのが、年月を経て良い色になりました。

汗や涙や様々なもの(笑)が染み込み、さらに時間が仕上げをしてくれました。

楽しいことも悲しいことも、たくさんの思い出が刻印されています。

 


当時、娘が何か危ないもので遊んでいたのだったと思います。

私が咄嗟にそれを取り上げてしまい、手の届かない棚に置いたことがありました。

娘は、顔を真っ赤にして怒り、泣き叫びました。

そして、この椅子をちらっと見たかと思うと、さっと駆け寄り、重かっただろうに両手で抱え、泣きながら、涙と鼻水を流しながら、懸命にヨチヨチ歩きでその棚に向かっていきました。

この椅子ぐらいでは全然届くはずもないのに。

 

今でも、あの時のことを思うと胸が痛みます。

 

 

まったく同じ色かたちの椅子があったとしても、見分けがつくはずです。

過去の記憶も、今の記憶も、もしかしたら娘とその子どもとの間に育まれる、未来の記憶までも、この椅子は同時にまとっているような気がします。

 

家を建ててからは、この小さな椅子だけでなく、床・壁・天井・テーブル・建具・・・あらゆるところに、そんな泣き笑いの記憶が刻まれてきました。

ようやく、単なる「建物」から有機的な「家」になってきたような気がします。


家づくりには、様々なデータがついてまわりますね。

私も、特に構造や環境性能についてはデータを大切にしています。

ただ、それを追うことに疲れてしまい、結果、家づくりそのものに疲れてしまっている方にも時々出会います。

データは家づくりのほんの一部に過ぎないこと、家は言葉や数値にできない多くのもので出来上がっていることを思って、少しだけ肩の力を抜いてみるのも良いかもしれません。

素敵な「家」がたくさん育っていきますように。

杉・杉・杉・杉・檜・檜

8分の7拍子という変拍子の曲を演奏するとき、私は頭の中で「杉・杉・杉・杉・檜・檜」と言ってカウントをとっています。
なかなか便利です。

(ちなみにピアニストの上原ひろみさんは「品川・品川・田町・田町」とおっしゃっていました。 笑)

くしゃみが止まりません・・・。

とうとうこの時期が本格的にやってきました。

どうせくしゃみをするなら大声の方がストレス解消になりますが、近所迷惑になってしまいますね。


昔、職場の先輩でひどい花粉症のうえ、くしゃみの音圧のすごい人がいまして、その人が言うには、「上野公園でくしゃみをしたら公園中の鳩が一斉に飛び立って、上野の街が暗くなった」そうなのですが、
絶対ウソですね(笑)。

遠回りをしましたが、私のお伝えしたいのは「家を建てる際には杉・檜という良質な国産材をぜひ!」ということです。

多くの方が木造住宅に国産の杉・檜を使うことで、いずれ採算の取れる木材供給体制が形成され、健全な森林の環境に戻っていったら・・・、というのが私の願いです。

そうしたら、こんな過剰な花粉の飛散は減っていくのに・・・。

減ってください。

 

RC打ち放しも、鉄とガラスのモダンな建築も素敵ですが、近くの山で採れた杉や檜に適度に(この適度が重要)囲まれた空間もなかなか和みますよ。

杉・杉・杉・杉・檜・檜

家づくりには国産の杉・檜を。

選挙カーみたいになってしまいました(笑)。