人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

ひなまつりと第4四半期のスピード感

この辺りは田舎なので、ひなまつりは月遅れ。

もともと農業の関係で旧暦の節句にあわせていたんだと思いますが、
うちは、やる気のある年は3月、そうでない年は先送りして4月。

今年は受験や何かでドタバタしていて旧暦を採用。

 

年をとると一年が速いなんて言いますが、同じ一年間でも自分の場合偏りがあるようで、この「おひな様~おひな様」の一年間が最速です。

前回、半年前くらいだったような・・・。

過ぎ去るのが速いという噂の、1月君・2月君・3月君を直近に経験するからかも。

他の季節は、例えば5月3日に、「ああ、去年のゴミの日からもう一年も経ったのか・・・」なんて、しみじみ思ったりしません。

第4四半期のスピード感を侮ってはいけませんね。

もう人生も折り返しを過ぎたので、時を減速させるイベントを1~3月期に開催しなくては。

 

秋田のおばあちゃんがつくってくれた「つるし雛」を飾っています。

可愛くて気に入っています。

新作ができたとの連絡がありましたが、奥様が一旦ストップをかけていました。

時々、古民家で「つるし雛展」をやっていたりしますね。

うちもこのまま増えて言ったら、そういうタイプの催しができそうです。

去年の今頃(体感では半年前)つくったひなまつりの曲を、しつこく手直ししています。

「きょうは楽しいひな祭り♪」のメロディーをこっそりモチーフにして、それと気づかない感じのものを。

そんな厄介な課題を己に課してつくったもの。

 

課題のもうひとつは、「頼まれてもいないのに」シリーズ。

(このシリーズには、「よその敷地に、頼まれてもいないのに建築を設計して図面を描いて、そして誰にも見せない」などがあります。)

女の子のお祭り、ももの節句ということもあって、故郷のアイドル「ちびまる子ちゃん」(ももこさんだから)のOPテーマを想定して、頼まれてもいないのにつくったものでもあります。

あとは、メロディーと歌詞さえつくれば(それが肝心なのですが・・・笑)、完成です。

大滝詠一さんを敬愛するナイアガラーとして、ナイアガラ風Wall of Soundを目指したのですが、ただ騒々しいだけになってしまったような・・・。

修業が足りませぬ。

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桜と静心

この辺りも、もうすぐ桜が開花するそうです。

この長雨が止んだ頃かな。

 

咲いたら、「あ、咲いたな」

散ったら、「あ、散ったな」

ただ、ありのままを淡々と受け止められるどっしりとした人になりたいのですが・・・。

実際は、特に理由も、することもないのにひとり大慌てです。

どうして、(自分は)桜に焦ってしまうのか。

 

手すさびに、百人一首のうたにあわせて出鱈目な音楽をつけたりしています。

桜のうたは3首分つくりました。

それも、夏や秋につくったもの。

桜の時期には何だか焦ってしまって・・・。

「前世で何かあったのか!」と思うほどです。

 

百人一首の中に桜のうたは六首ありますね(たぶん)。

もっとありそうな気がしますが、意外です。

 

花の色はうつりにけりないたづらに 

わが身世にふるながめせしまに  小野小町

 

久方の光のどけき春の日に

しづこころなく花の散るらむ   紀友則

 

いにしへの奈良の都の八重桜 

けふ九重ににほひぬるかな    伊勢大輔

 

もろともにあはれとも思へ山桜 

花よりほかに知る人もなし    大僧正行尊

 

高砂の尾上の桜咲きにけり 

外山の霞立たずもあらなむ    前中納言匡房

 

花さそふ嵐の庭の雪ならで 

ふりゆくものはわが身なりけり    入道前太政大臣

 

なかでも紀友則のうたが好きです。

「しずこころ」
これを持てたら、と思います。

 

今までつくった桜のうた。

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卒業式と真っ先に式場を去った娘のこと

先日、娘の中学校の卒業式がありました。

前半は卒業証書授与式、後半は生徒達の歌や挨拶という構成。

 

授与式の最後に来賓の祝辞があったのですが・・・。

「歴史のサイクルから考えると、そろそろ大きな戦争が起きる。大変な時代になるから、しっかりやれ!」みたいな、縁起でもない、およそ祝辞に似つかわしくない主張を延々と聞かされて、会場がドヨーンとなって前半が終了(笑)。

「こんな時代にしたのは、あんた達の責任だろ」って、みんな思っていたんじゃないでしょうか。

 

後半は、前に全員並んだ生徒たちの感動的な合唱や、

修学旅行や部活の思い出、

悩みの相談に乗ってくれた先生や親への感謝の言葉など、

会場からすすり泣きが聞こえるような温かい雰囲気に包まれました。

前半の、「第三次世界大戦の恐怖」に戦慄するような空気が一掃されてよかった・・・。

あの来賓、もう勘弁してほしいです。

 

二十人ほどの生徒達の挨拶が終わり、締めの言葉はうちの娘が担当することになっていたようです。

最前列の真ん中がへこんでいるように見えたのは、学年で二番目に小さい娘がそこでスタンバイしていたからでした。

 

いよいよ娘の出番なのですが、・・・マイクスタンドの前に進んできたのは良いものの、直前の背の高い男子の影響でマイクがとんでもない高さに・・・。

一瞬マイクを見上げ、背伸びしながら話そうとしたり、スタンドをあれこれいじったりするものの、上手く調整できず。

会場がうっすらとニヤニヤしはじめた頃、

娘は、ややキレ気味に、マイクをスタンドからガッと乱暴に引き抜き、プロレスのマイクパフォーマンスみたいに話しはじめました。

 

私にはちょっと、それがカッコよく思え、おおっ、と感心しているうちに、その短い言葉を聞き逃してしまいました。

「私達は、今からここを去って行きます。」みたいな事だったかな・・・。

 

言い終わると、またガッとマイクをスタンドに差し、そのままツカツカと式場を一人去り始めました。

エリザベス女王に最後の演奏を捧げたバグパイプ奏者の去り際が、一瞬頭をよぎります。

しばらくすると、その後を生徒達が並んで退場し始め、皆でそれを見送るというかたちになりました。

ちっちゃいけれど、先陣をきって式場を去って行く、ちびっこ剣士のようなさまは、先鋒の誉れとでも言うんでしょうか、なかなか美しい姿ではありました。

 

中学校の最後に良いものを見させてもらい、感謝です。

まだ、過去を振り返る年なんかじゃないし、前だけを見てグイグイと進め。

娘も友達もみんな、卒業おめでとう!。

 

「無力」さの逆転 一羽の鳥について

身長以外、ことごとく娘に追い抜かれるこの頃。

科目の中で自信をもって教えられるものは、英語と古文くらいになってきました。

あとは、自力で何とか頑張れ!。

 

それでも高校生になるので、そろそろ教えておきたいものがあります。

一つは経済の基本

もう一つは民主主義の基本

ここがしっかりしていれば、何とかなるかな。

 

まずは、民主主義の基本を。

敬愛する、いとうせいこうさんの「一羽の鳥について(あらゆる選挙に寄せて)」を朗読(奥様が)しました。

奥様は声に出して読んで、自分は音をあちこち配置して表現しました。

風変わりな両親の、いささかまわりくどい、面倒な、暑苦しい教育ではあります。

ただ、妙な表現ですが、「感興を催すプロセス」を通過することで、身につくものもあるのかなと思っているのです。

 

世界に絶望してしまいそうなときも、確かにあります。

それでも、

一羽の鳥がふと飛び立った時、同時に数千万の鳥も飛び立つ。

そんなシンクロニシティが世界を変えてしまう奇跡、「無力」さの逆転が起きる瞬間を信じて欲しいなと思っています。

 

音は以前つくったものをリサイクルしました。

朗読では一部省略している箇所があります。

オリジナルはこちらにリンクを貼っておきます。

https://politas.jp/features/3/article/213

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うまい棒と咲いた桜のこと

先日家族でスーパーに行った時のこと。

夕飯の食材といっしょに、うまい棒みたいな小さいお菓子もいくつかカゴに入れて、レジに持っていきました。

レジのお姉さん、
最初に小さいお菓子だけ小袋につめて、「はい、どーぞ」みたいな感じで娘に渡してくれました・・・。

・・・って、それ、ちっちゃい子向けのサービスじゃないのか!(笑)。

学年で2番目に小さいから仕方ないかもしれないけど、もう15歳。

もう少し大人の雰囲気を出してほしいものです。

 

そんな小娘も春から高校生。

今日、公立高校の合格発表がありました。

なんとか、早めの桜が咲きました。

娘の中学からは、その高校を3人受験したのですが、3人揃って合格していたのがなによりでした。

 

発表の後すぐに、娘から秋田のおばあちゃんに電話しました。

電話に出たおばあちゃんは、合格祝いのお金を送るために郵便局の前で待機していたとのこと。

奥様は先日電話で、「たぶん大丈夫だから、前もって送っておいて」と話していたそうですが、「そいだばダメだ」ということで、義母は律儀に、寒い中、合格の連絡を待っていたそうです。

あまり細かいことがわからなくなっている私の両親にも伝えると、「えらいねー」、「えらいねー」と連呼していました。

たくさんの愛情に支えられて、娘は幸せです。

 

地球最後の日に慌てて聴く 甘いプレイリスト

物心ついた時分から、「明日、東海地震が起きてもおかしくない」と脅かされ続けてきた静岡県民としては、備蓄を怠るわけにはいきません。

水とかカップ麺とかカロリーメイトとか。

カロリーメイトはすぐ食べちゃいますが(笑)。

 

地震や何かだったら避難します。

ただ、もし今日が「地球最後の日」と宣告されたら・・・。

自分はおそらく、カロリーメイトを食べながら一日中音楽を聴いていると思います。

 

でも、いざとなったら、CDとレコード棚の膨大な音源に途方に暮れそう。

CDを探したり聴きたい曲だけ選ぶ時間のロスもばかになりません。

そんな日のために、「地球最後の日に慌てて聴く」ためのプレイリストを大慌てでつくっています。

 

そんな日には、眉間にしわを寄せて、腕組みをして音楽を聴いたりしたくありません。

そういう聴き方も随分しましたが、最後の日だけは、大好きな、優しく甘美な音楽だけに包まれていたい。

あたふたとつくっているのは「甘いプレイリスト」です。

300曲くらいは聴けるかな。

 

作業を始めた途端、そんな「甘いプレイリスト」の筆頭にくる曲たちをつくる作曲家が旅立ってしまいました・・・。

 

Eric Carmen(享年74才)

淋しい。

シンプルなロックンロールのようでいて、甘味成分をたっぷり含んだ曲をつくる名手。

 

そんな甘味成分多めの曲の一つが

Let's Pretend   (1973)

作曲者であるEricがボーカルを担当していたThe Raspberries の名曲。

最初に聞いたのは小学生の頃。

Bay City Rollersのカバーバージョンでした。

RollersのLeslie(彼も旅立ってしまいました・・・)の甘いボーカルも素敵でしたが、後に聴いたオリジナルバージョンでの、頼りなげな優しいEricの声に魅せられてしまいました。

 

ちなみにカバーバージョンが入ったBay City RollersのアルバムDedicationは、RaspberriesのプロデューサーだったJimmy Iennerがプロデュースしたもの。

だから両者、同じ肌触りを持ってるんですね。

 

曲の考察など、また余裕があったらしたいと思いますが、
今日は、自分のリスナー生活を優しく彩ってくれたEricに感謝を込めて、
彼の曲をたくさん聴きたいと思います。

 

花粉のせいかもしれないけれど、涙が止まりません。

 

Let's Pretend   (1973)    The Raspberries

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Let's Pretend     Bay City Rollers(口パクですが・・・)

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二巡目の受験生

娘の高校受験が済んだようです。

結構な難関校を受けたようですが、本人は悠然と構えております。

心配してもキリがありませんし、本人が大丈夫と言ってるんだから大丈夫ということにして、またのんきな日々に戻ろうと思います。

 

自分も、高校と大学の受験、各種資格試験など散々受けてきました。

それも一級建築士で打ち止めにして、もう試験などという厄介なものとはオサラバだと思っていたのですが・・・。

わかってはいたものの、二巡目がスタートしています。

また受験生をやり直すみたいです。

自分で受ける方がよっぽど気楽です。

といっても、面倒はすべて奥様に見てもらっていましたが・・・。

思うところあって、途中から自分はほぼノータッチでいくことにしていたのです。

家族総出で一丸となっていたら、プレッシャーですからね。

遠くから見守るだけです。

柱や壁の陰からチラチラと垣間見る程度に。

星飛雄馬のお姉さんや古葉監督のようでした。

 

それでも流れ弾のように勉強内容は耳に入ってくるので、気にはなります。

英文法や歴史の前後関係について母娘で議論している時など、もしや質問されるのではないかと、慌ててこっそりネットで下調べをしたりしていました。

訊かれませんが・・・。

あてにされていません。

しかし、それが心地よい今日この頃ではあります。

 

流れ弾で入ってくる歴史の年号。

最近お気に入りの語呂合わせは

1918年 シベリア出兵

「行く?」(19) 「イヤッ!」(18)  シベリア出兵
 

人に頼って明るく自立する

年齢は一の位を切り捨てるルール(笑)。

この姑息な「丸め」をもってしても、あと数年で大台に乗ります。

少しずつできないことも増えてきました。

 

しぶとく続けているピアノの練習も、楽譜を読むのがやや困難に。

それで、奥様に一小節ずつ押さえる鍵盤を教えてもらったりしています。

スローになりましたが、急ぐ旅でもないので。

運転を代わってもらうことも増えてきました。

 

この頃、何となくこれが心地良くなってきました。

何が何でも「自分で何とかしよう」と思っていた頃より、楽なのはもちろんですが、かえって自分の足で立っている実感があるのです。

上手く説明できないのですが、人どうしのエネルギーのやり取りの輪から離れているのは、自立というより孤立している感じがしていたんですよね。

 

10年以上前に読んだ、安冨歩さん「生きる技法」という本の影響があるのかもしれません。

帯に書かれている言葉が、その本の内容を一言で表現しています。

「助けてください」と言えたとき、

人は自立している

逆説的なこの言葉の意味が、今はよくわかります。

もう少し正確に言えば、

より多くの人に

「助けてください」と言えた時、

人はより自立している。

ということだと思います。

誰にも依存していないつもりでも、人は一人では生きていけないので、僅かに依存した少数の人に、人は隷属してしまいます。

国際的な貿易や安全保障などにも通じますね。

 

だから、これから、より多くの人に助けられたり、助けたりしながら楽しく自立していこうと思います。

↓本の帯

9年前に他界した兄の、子どもの頃のキャッチフレーズは

「人に頼って明るく生きる」

しっかりものの次男(私)は若干軽蔑(笑)していましたが、

案外、慧眼の持ち主だったのかもしれません。

ゼームス坂と智恵子さんのレモン

30代のおよそ10年間は東京の大井町京浜東北線)に住んでいました。

南品川のゼームス坂沿いにあるマンション。

 

何だか失われた10年のような期間でした。

元々ぎりぎりバブル世代なのですが、30歳手前でキャリアをリセットして、20代を無かったことにしてしまったので、結果的にロスジェネ世代になってしまいました。

 

勢いで、勤めていた放送局を辞めて建築の学校に入り直し、手当たり次第に資格をとったものの、世間はとんでもない不景気。

新卒でない者を採用する企業などなく、伝手で入ったベンチャー企業は今でいうブラック企業でした。

何故か会長に目をかけてもらい、設計者として順調に仕事をしていたものの、上層部の近くにいたからか、早々にその怪しさを察知してしまいました。

 

この人たち計画倒産しようとしてる?。

というか事業自体が詐欺かも。

そして一年も経たずに脱出。

逃げるときは、躊躇せず全速力で逃げます(笑)。

 

元同僚に聞くと、その2か月後には給料が不払いになり、被害者の会みたいなものが結成されていました。

後日報道で知ったのは、某有名芸能人の関わる未公開株をめぐる事件の舞台に、その会社がなっていたということ。

人の出入りを観察していると、何となくわかりますね。

 

失業保険をいただいたり、ハローワークの列に並んで職を探したり、そこで氷のような対応をされたり、ほんの少しだけ社会の歪みや痛みを知った頃でした。

 

仕方なくフリーターとして設計やデザインを細々とやっていたある日、仕事の依頼があって指定された事務所にのこのこと出かけました。

事務所に入った瞬間チラ見した、奥の部屋にあったものを見逃しませんでしたよ。

一応挨拶をして話を聞いていると、案の定、そこは某宗教団体の関連会社。

「仕事を定期的にあげますから、まずは○○を勉強していただいて・・・。そのためにもこの〇〇を購読していただいて・・・。」

担当者が横を向いた隙に、渡していた名詞をスーっと引き寄せ、それを掴むと後は全速力で逃げました(笑)。

 

何だか格好悪く、情けない日々。

でも、下を向いてとぼとぼと歩いていた、あの頃の自分を嫌いにはなれません。

 

暮らしていたゼームス坂のマンションから歩いて1分のところに、「レモン哀歌」の歌碑がありました。

高村光太郎さん「レモン哀歌」ですね。

そこは、智恵子さんが入院していたゼームス坂病院がかつて建っていた場所。

歌碑の前には、いつもレモンが置いてありました。

 

あの情けない30代を思う時、あのレモンも同時に思い出されます。

思い出は、酸っぱいというより「しょっぱい」かな。

 

「レモン哀歌」は30代の自分と苦労をかけた奥様の、何かを鎮めるためのうたでもあります。

10年間、智恵子さんの見た同じ空を、いつも眺めていました。

私達の本籍は、思い出の南品川ゼームス坂に残したまま。

当時は生まれていなかった静岡生まれの娘も道連れです(笑)。

 

朗読は奥様。

それにあわせて曲をつくり、うっすらとかぶせました。

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「うたのおにいさん」の「本当は・・・」を、ずっと考えていた

(お金をとる)放送局に勤めていた20代。

自分には不向きな世界でストレスだらけだったけれど、ただ一つの癒しのお仕事、

おかあさんといっしょ

子ども達の笑顔に、自分の汚れた心が洗われていくようでした。

 

あまりそんな機会は無かったのですが、一度だけ、出演者、スタッフ揃っての打ち上げに参加しました。

たまたま「うたのおにいさん」の近くに座りました。

どのくらい直接お話できたのか覚えていないのですが、(大きな声が出ないので宴会では「負けて」しまうのです)

おにいさんの語った一言を印象深く記憶しています。

 

「本当は・・・」

少し照れていました。

「演歌歌手になりたかったんですよ・・・。」

 

そのギャップに驚きました。

なりたかったというより、一度演歌歌手としてデビューされていたとのことでした。

その後、オーディションを受けて「うたのおにいさん」になったそうです。

 

私には「おかあさんといっしょ」の「うたのおにいさん」は天職のようにみえました。
輝いていました。

実際、その後「うたのおねえさん」とともに大人気になり、

ある年齢以上の人は誰でも口ずさめる大ヒット曲も生まれ、

紅白にも出場しました。

本当は演歌であのステージに立ちたかったのかな。

 

私は勢いでそこを辞めてしまったので、その後お会いする機会はありませんでしたが、何となくおにいさんの「本当は・・・」がずっと気にかかっていました。

 

その後十年以上を経て、おにいさんが大変重い人生を背負ったことを報道で知りました。

それでも、おにいさんはそのお人柄のまま、誠実に真摯にその事実に向き合い、数年後また歌の世界に戻られました。

変わらず、その歌で、多くの人に愛されているようです。

歌は演歌ではありません。

 

おにいさんの「本当」はシンプルに、「歌う」ことだったんだと思います。

「本当」は歌で人の心を温めること。

 

おにいさんの言葉を通じて、ずっと自分の「本当」のことを考えていました。

 

子どもの頃から抱えていた眼のトラブルが悪化して、図面を描くことが困難になってしまいました。

本当は、図面をバリバリと描いて

本当は、自他ともに認める建築家になって

本当は、世界中を駆けまわって

本当は、後世に残る建築を残したかった。

リハビリ次第ですが、少し難しそうです。

 

ただ、おにいさんのはにかんだ笑顔を思い出すたび、自分の本当って本当なんだろうかって考えます。

もし、おにいさんの「本当」が「演歌歌手」ではなく、「歌う」ことだったなら・・・。

自分の「本当」は、ただ

「美しい空間をつくること」、なのでは。

もう建築に拘る必要はないのかも。

空間を満たすものは、音や光、香りや詩であってもいい。

本当は、何か美しいものを残したい。

多くの人の目や耳に触れなくても構わない。

誰にも知られなくていいから、

本当は、美しいものをひっそりと、この世界に残して、ここを去りたい。

 

図面を描けない自分に、何か月も落ち込んだままでいたけれど、

そろそろ切り替えないと。

もう顔を上げよう。

 

途中から新年(遅)の抱負になってしまいました。

公立高校志願状況と「競争」についての娘への(たぶん渡さない)手紙

公立高校の志願状況が発表されました。

志望校の倍率は、およそ1.2倍。

それが高いのか低いのか、よくわかりません。

 

倍率とか、ときには競争率なんていうけれど、そもそもその表現自体が不正確なので、それが2倍だろうと3倍だろうと構いません。

抽選で入学者を選ぶのなら、「倍率」は重要です。

しかし、入試は「くじ」ではありません。

必要な点数を目標に定めて、そこを1点でも上回るように地道に愚直に準備するのが受験勉強。

だから、倍率も関係ないし、ましてや他の子との「競争」なんかでは、絶対にありません。

 

対峙するのは自分自身。

それから目標をクリアする。

それだけです。

 

競争を煽ることで、誰かが利益ー金銭や地位を得ていくシステム。

そんな、どうしようもないものがある事は早晩理解すると思います。

しかし今はただ、煽りに踊らされず、これは「競争ではない」ということだけ、強く思っていてください。

 

教育行政に「熱心」だという首長の主張を聞いてみようと、ある議会を傍聴したことがあります。

今でも、そのときのメモが残っています。

読み返すと愕然とします。

首都圏とこの田舎を比較した、勇ましいけれど卑屈な言葉が続いたあと、

「これから恐ろしい競争社会がやって来ます。ですから、その競争に勝ち抜いていける子ども達を育てなければいけません。」

 

・・・・・いやいやいや、ちょっと待って、

その「恐ろしい競争」をしなくていい社会をつくるのが大人の役目なのでは。

その「競争」に敗れて途方に暮れる子や、その「競争」に参加さえできない子のことを思うのが大人の役目なのでは。

発想の柔軟な子ども達に教えを乞うのは大人の方なのでは。

声をあげそうになったけれど、つまみ出されそうなので我慢しました。

 

もちろん、目標に向かって努力すること、それから、互いの切磋琢磨は大切です。

仲間同士、そういう意味で競いあい高めあっていくのは素晴らしいこと。

けれど、自分が受かれば、その分誰かが落ちる、

そこを勝ち抜いていく、そんな弱肉強食の世界だとは決して思わないでください。

人間の世界は思っているほど捨てたものではありません。

 

一緒に受験する友達はみんな合格するように。

試験会場で隣になった子や同じ会場にいる子たちは、四月には同級生になる仲間。

生涯の友もその中にいるかもしれません。

ここにいる子、全員揃って合格しよう。

そう願いながら試験に臨んでください。

きれいごとを言っているのではありません。

本当に強い人はそういう発想をするものです。

最後の授業参観と成長のドア

今日は最後の授業参観。

幼稚園の頃から中三までの12年間。

たくさんの思い出がぐるぐる巡って、廊下で倒れそうになりました。

 

様々なことがひとつずつ静かに終わっていきます。

何か新しく始めないと、このまま何もかも終わってしまいそう。

 

この土地にこの家を建てたのは、娘の小中学校に近かったから。

通学路になっている前の道には、いつも登下校の子どもたちの賑やかな声が響いています。

その渦に紛れて娘も出かけていきました。

まもなくそこから離れます。

この家の役目も、もう終わろうとしています。

自分で設計して、できる範囲で施工もした家だけど、不思議と終の棲家には思えませんでした。

いつかここを離れることの予感をはらんでいたのかも。

私達はドリフターなので、また旅に出るのかもしれません。

 

まあ、それでも、感傷に浸っているのは(父)親だけで、子どもの方は諸々なぎ倒して前に進んでいきます。

 

真島 昌利さんの名曲「夏が来て僕等」の最後の一行。

夏が来て僕等 成長のドアを足であけた

これでいいんですね。

ただ鳥が啼いている

ちいさな可愛らしいメジロが庭にやってくるようになりました。

ローズマリーをつついているようです。

そろそろ、お隣の庭でウグイスが啼き始める時期です。

いつもうちの庭ではなく、お隣です(笑)。

格が違うのか。

 

娘が高校受験の追い込みで、歴史年号の暗記などしています。

同級生の男子も、語呂合わせを一生懸命声に出して覚えているようです。

なくよ ウグイス ホトトギス

・・・ただの鳥の楽園になっています(笑)。

この年頃に覚えたものは一生覚えているものなので、なんとか修正されますように。

 

新しい史料の発見や解釈の変更で年号も変わっていますね。

鎌倉幕府とか。

それに年号の語呂合わせも、自分の頃には無かったようなものもあります。

私のお気に入りは、

満州事変(1931年)


満州事変 日本が番 うそくさい

 

公立入試まであと少し。

気楽に頑張れ。

内申書で悩んだり悩まなかったり

娘が受験生です。

私立が終わり、これから公立。

反抗期の女子中学生で受験生。

三重苦です。

 

高校受験には内申書内申点というものがありますね。

「そんなもの気にするな」って事あるごとに言い続けてきたんですが、それでも、ずっとどこかで気にかかりながら学校生活を送っていたようです。

子どもたちは委縮しますよ。

何だか気の毒でした。

内申書はできてしまっているので、もういいのですが・・・。

 

今の学校は自分の頃と違って、先生方と生徒は驚くほど仲が良く、日常は穏やかなようです。

でも・・・どこか、もやもやとしたものが残ります

生徒からしたら、自分の大切な何かしらを質にとられているようなものだし、波風はたてられませんね。

この微妙な空気を抱えたまま、大人になっていったら社会はどうなってしまうんだろう、・・・というか、もはや、その結果が今の社会ということなのかな。

 

内申書は戦前からあったようですし、試験当日の一発勝負に比重がかかりすぎないようにする趣旨はよくわかるのですが・・・。

 

自分の頃も、もちろん内申書はありました

まったく気にもかけませんでした。

担任が差別的な、人を侮辱するような発言をした時には、クラス全員で授業をボイコットしたりしました。

トイレや何かにみんなで立て籠もって。

女子も含めて全員!。

体育祭や合唱コンクールでは全然だめなのに、そういう時だけ妙な団結力を発揮するクラス(笑)。

担任が謝罪し、30分程遅れて授業は始まりました。

首謀者は私でしたが、何のペナルティーもありませんでした。

あったのかな。

全く覚えていません。

夜、うちに誰か来たような・・・。

あれは、また別の件か(笑)。

 

内申書に何を書かれたのか書かれなかったのか、何もわかりません。

当時は中学生らしい正義の方が大切でした。

本気でぶつかり合わないと、信頼関係は築けませんでした。

それで、良かったと思っています。

そういう気質は後々、多くの面倒事を抱え込むことになりましたが・・・。

 

話がそれました。

本日私が申し上げたいことは、今の学校に流れている、息苦しさをオブラートで包んだような穏やかな空気が少し怖いなということです。

子どもたちが可哀そうです。

それに加えて、卒業を間近に控えた、心の揺れる繊細な季節が受験一色になってしまっている事も本当に残念です。

今に始まったことではないけれど。

だからこそ、文化的社会的な、大きな損失になっているのではないかとさえ思います。

失った季節が欠落したまま、それを是として、あるいはその喪失感を認めたくない「優秀」な人たちが、この国を運営しているからこその息苦しさなのかも。

 

入試、せめて季節の良い、インフルエンザの心配も少ない秋にやってしまえばいいのに。

言ってどうこうなる事でもありませんが。

すみません、ちょっとぼやいてしまいました。

早春のソネット 浅き春に寄せて

立春ですね。

うちには受験生がいることもあり、春はまだまだ先。

それでも時折空気が温む瞬間があって、季節が進んでいることを感じます。

 

早春です。

年齢を重ねるごとに好きな季節が変わってきました。

ずっと若い頃は夏。

花粉症になってからは、春が苦手に。

秋はいつでも大好き。

この頃、この早春を意識するようになりました。

花粉が本格的に舞う前のわずかな、凪いでいるような、この繊細な季節を大切に過ごしたいと思います。

 

ただ、のんきに春の気配なんて味わっていられるのも、温暖な静岡だからかもしれません。

北陸の被災地と静岡の気温の、5℃くらいでも交換出来たらいいのに。

 

立原道造さんの美しい早春の詩、「浅き春に寄せて」を奥様に朗読してもらいました。

4行、4行、3行、3行の14行詩。

ソネットですね。

韻をふんでいないので、正式なソネットではないという話もありますが、詳しいことはよくわかりません。

その清冽な水のような透明感が、ただただ好きです。

浅き春に寄せて 

   立原道造

 

今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪の面につづいた

私の みだれた足跡……それだけ

たつたそれだけ――私には……

言葉のリズムが歌詞のようです。

音をあてやすい、どこまでも優しい詩。

言葉の区切りにあわせて小節を決めて、内容にあわせてコードや音を選んで、弾けもしないピアノで曲をつくりました。

「こいだば まんず うたっここへるに えぇな。」なんて、秋田弁でぼそぼそ言いながら。

静岡は雪が降らないので、雪のことを考えている時には、第二の故郷秋田で暮らしていた頃の自分に戻っています。

youtu.be本歌取りというわけではないのですが、早春の名曲ランキング第1位(自分調べ)「赤いスイートピー」の冒頭メロディーの一部を、途中うっすらと練り込みました。