人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

自分以外みな偉い

このくらいの年齢になってきますと、古い友人や同期だった仲間、年の近い先輩後輩などの活躍ぶりをよく見聞きします。

研究者、起業家、有名なアナウンサーや映画監督、某政党の幹事長。
以前は、自分も頑張らないとなんて思ったり、少しうらやましかったりしたものですが、今ではそうした気持ちがほとんど消えてしまいました。


メディアにほとんど触れなくなったこともあります。
加えて、人知れず何かを成し遂げている偉人の存在に気づくようになったこともあります。
それは一人の会社員だったり、
一人のお父さんお母さんだったり、
両親がお世話になっている介護スタッフのみなさんだったり。
偉大な仕事は人知れず成されている。
それに今頃気づくとは。
自分だけが偉くないことは、相変わらずなのですが。


そんなことを思いながら、石川啄木の朗読音源をつくっていました。


友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ


昨日の自分の日記のようです。

 

虹でございました

大変ご無沙汰しております。

お変わりありませんでしょうか。


長い夏の間に体調を崩してしまい、随分お休みしてしまいました。

リハビリのつもりで少し書いています。


夏の終わりの大きな出来事は、竜巻でした。

史上最大と言われる竜巻がこの町と隣町を襲ったのです。

うちは庭が大荒れになった程度で家は無事でしたが、歩いてほんの10分ほどのあたりは、ちょうどその通り道になっていて、屋根は壊れ、電柱は倒れ、車がひっくり返っていました。

風の恐ろしさをあらためて感じました。

お気の毒に、まだそのあたりの多くの家はブルーシートがかかったままです。

一日でもはやく、もとの生活に戻れますように。


強さや恐ろしさと、しかし、優しさや美しさをも全部ひっくるめての自然。

そんな自然の力を感じた夏でした。


それこそリハビリのつもりで、30秒ほどの、ごく短い朗読音源をつくりました。

音は、詩をぶつぶつつぶやきながらピアノでつくりました。


宮沢賢治「報告」という短い詩です。

 

報告

宮沢賢治

 

さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました

もう一時間もつづいてりんと張つて居ります

 

この詩からもまた、大きな自然の力を感じます。

虹を見た驚きと喜びが宮沢賢治らしく素直に表現されています。


美しいものに出会った感動を誰かと共有したい。

それが芸術や創作の原点なのだとあらためて思います。


短いので縦のショート動画の形式でつくってみました。

短冊っぽくて、詩や和歌の縦書きの表現にむいているのかもしれません。

 

天国でRandyを肩車してるかな

唯一無二、最高のヴォーカリストが旅立ちました。

rollingstonejapan.com

その生き様はHR/HMそのものでした。

どれほどコピーし、学ばせてもらったか。

大好きなRandyを天国で肩車できてたらいいな。

 

2年前に弾いた、下手なDee。

今日も下手なままのDeeを繰り返し弾きます。

youtu.be

オジー・オズボーン #ランディ・ローズ #Dee

十五の心 15の夜

石川啄木の短歌「十五の心」(「不来方の」)の朗読音源を制作していました。

この短歌は、第一歌集『一握の砂』に収められた、三行・分かち書きの作品です。

不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

十五歳という微妙な年齢に宿る、透明で繊細な感情を捉えた名歌ですね。

十代の少年が抱く漠然とした不安、孤独、焦燥、そして夢や可能性。

そうした複雑な思いが、広大な空へと吸い込まれていく。

そんな情景が、印象的に描かれています。

 

短歌や俳句のようにタイトルのないものをどう呼んだらいいのか、いつも迷います。

この歌も、初句「不来方の」で呼ぶのが一般的かもしれませんが、私には「十五の心」という呼び方の方がしっくりきます。

尾崎豊「15の夜」と、どうしても重ねてしまうからです。

 

「十五の心」「15の夜」
石川啄木尾崎豊

ともに、閉塞的な世界から抜け出そうとした若者たち。

 

啄木が憧れた空。

尾崎が見つめた都会の夜に宿る自由。

その視線の先にあるものは、どこかでつながっているように感じます。

 

実はこの詩的な共鳴には、尾崎のプロデューサー・須藤晃氏の文学的素養が大きく関わっていたと言われています。

<インタビュー>須藤晃 ~15にまつわる話 Vol.4「15の夜」~ | Special | Billboard JAPAN

須藤氏は啄木とこの短歌に深く共感していて、「十五」という数字にもこだわりを持っていたようです。

もともと尾崎がこの曲につけていたタイトルは、なんと「無免許」だったそうですが、須藤氏の提案で「15の夜」に変わったのです(GJ)。

尾崎もその提案に「十五夜みたいですね」と応じたとされ、啄木の詩情が、この名曲に息づくこととなりました。

このことからも、啄木の短歌が尾崎の創作に影響を与えたことは間違いないようですね。

 

「十五歳」という、未熟で不安定な時期。

自分と世界の距離を測りかねるような感情。

尾崎はそれらを、啄木の表現を媒介にして再確認し、自らの歌に昇華させたのだと思います。

 

さらに、「卒業」の冒頭の歌詞、

校舎の影
芝生の上
すいこまれる空

この一節も、啄木の

お城の草に寝ころびて
空に吸われし

と、見事に響き合っています。

芝生、空、そして「すいこまれる」という言葉。

啄木の世界を80年後、バブル前夜の十代の感性に置き換えた光景です。

 

そして、啄木と尾崎にはもう一つ、共通点があります。

どちらも26歳という若さでこの世を去ったこと。

啄木は1912年、肺結核で夭折。

尾崎は1992年、急性肺水腫により急逝。

どちらも母親の死の直後、そして東京・文京区で最期を迎えたという奇妙な一致もあります。

こうした偶然の重なりに、私は二人の間に不思議な「縁」のようなものを感じずにはいられません。

 

26年という短い生涯の中で、
啄木は「十五の心」に青春の儚さを刻み、
尾崎は「15の夜」や「卒業」に十代の孤独と希望を焼きつけました。

そこには、生き急ぐような魂の叫びが、時代を超えて共鳴しているように思えます。

 

十九歳の頃、私も不来方城跡(盛岡城跡)を訪れ、空を見上げたことがあります。
(寝転んでみたかったけれど、恥ずかしくてできませんでした。)

それでも、あのとき「十九の心」もまた、確かに空へと吸い込まれていったように思います。

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【コーラスパートはVoiSonaを使用して制作しました。】

 使用ボイスライブラリ:知声

#石川啄木 #十五の心 #不来方の #尾崎豊 #15の夜 #卒業 #朗読 #ナレーション #サントラ #DTM

 

こどもが守られる世界

以前つくった「雪」の朗読音源の音が気に入らなくて直していました。


三好達治


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

たった二行の美しい詩。
短さ故に様々な解釈ができますね。


太郎と次郎は兄弟で、一つ屋根の下に眠っているのか。
それとも、友達やいとこか何かで別々の家なのか。


私は、「太郎」、「次郎」という一般的な名前を使っていることから、
こどもたちすべて、もちろん時差や季節の違いはありますが、
世界中のこどもたちが守られながら安心して眠っている様子を思い浮かべます。


寝かしつけているのは、お母さんなのかお父さんなのか。
おじいさんやおばあさんやお兄さんやお姉さんかもしれません。
私は建築の設計者なので、屋根がこどもたちを守っているイメージにも心を打たれます。


すべてのこどもが、こんなふうに守られる世界になればいいなと思います。

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空から降るものは

どうにも諦めが悪く、一昨年つくった音源をしつこく直しておりました。

 

何となくしっくりこなくて、アレンジを変えて朗読の背景に使ったりしましたが、元の形に戻そうと思い、詩を一部書き直し、いくつもトラックを足してつくりました。

 

遠い国の、戦火のなかの子どもたちを思い、つくったものでした。

 

空から降ってくるものは素敵なものだけ。

そんなの当たり前だよ!って、子どもたちが言える世界になりますように。

 

Snow Song

 

Something is falling from the sky

Drifting down from the winter air

It must be snow, right?

Only lovely things fall from the sky

Every child knows it well

And we sing a snow song

 

Something is falling from the sky

Fluttering down from the springtime breeze

It must be cherry blossoms, right?

Only lovely things fall from the sky

Every child knows it well

And we sing a sakura song

youtu.be

・ナレーション部分は「音読さん」の読み上げです。

    音声:Ana   English(USA)

 

・四声のコーラスセクションはVoiSonaを使用して制作しました。

    使用ボイスライブラリ:知声
 

林檎のイノセンス

折り返し地点を過ぎた帰り道みたいな日々なので、これまで捨ててきたものを拾い集めたり、その答え合わせのようなことをしたり、そんなことをしがちです。

 

これは、もしかしたら「ミッドライフクライシス」の症状なのかもしれません。


過去、特に十代に置き去りにしてきてしまった多くのものと、もう一度出会い直したいと、最近よく思います。

 

そんな出会い直しの一つとして、島崎藤村「初恋」の朗読音源をつくっていました。


たぶん教科書に載っていたと思うんですが、まるでなんとも思わず素通りしていました。

十代のイノセンス

そのようなものは、失ってみないとわからないのでしょう。

 

初恋

島崎藤村

 

まだあげ初めし前髪の

林檎のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の

花ある君と思ひけり

 

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅の秋の実に

人こひ初めしはじめなり

 

わがこゝろなきためいきの

その髪の毛にかゝるとき

たのしき恋の盃を

君が情に酌みしかな

 

林檎畠の樹の下に

おのづからなる細道は

誰が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ

四連構成七五調文語定型詩
これ、テストに出ますね。


でもそんなことより、
なんて可愛らしく美しい言葉たちでしょう。
日本語が母語であることの幸せを思います。

 

それこそ十代のとき、古文の勉強中に出会って好きになったのは、「かなし」という言葉でした。
漢字をあてると「愛し」。
切なさや愛おしさや可愛らしさを含んだふくよかな言葉。
自分がこの「初恋」を一言で表現するとしたら、「愛(かな)し」一択です。

 

愛しいほど美しい「初恋」。

 

十代の皆さん。この「初恋」を(たとえテスト対策であったとしても)ぜひ暗記して、ずっと覚えていて、そして人生の折り返し地点を過ぎた頃、遠い目でたそがれてください。

 

この詩のために可愛らしい音がつくれたら、と思いました。
1行に1小節。
4つの連に4つのパートを。
詩をぼそぼそと呟きながら、言葉の意味やリズム、抑揚を音に置き変えていきました。

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まてどくらせど

「夢二式美人」美人画で知られる画家・詩人の竹久夢二

本の装丁や広告、雑貨や衣類のデザインなども数多く手掛けていて、今風に言えば、グラフィックデザイナーですね。
こういう多才な方に憧れます。

画像は国立国会図書館 NDLイメージバンクからお借りしました。 

 

その竹久夢二の3行詩「宵待草」の朗読音源をつくりました。

宵待草
竹久夢二

 

まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ 

 

こよひは月もでぬさうな。

 

「宵待草」には原詩があります。

遣る瀬ない釣り鐘草の夕の歌が あれあれ風に吹かれて来る
待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草の心もとなき
想ふまいとは思へども 我としもなきため涙 今宵は月も出ぬさうな

この原詩は、1912年(明治45年)雑誌「少女」に発表。
翌1913年(大正2年)、3行詩の形で絵入り小唄集「どんたく」に掲載されました。
これに多忠亮が曲をつけ、その憂いを帯びた美しい歌は今も歌い継がれています。

名曲です。


朗読音源を作る際、この詩にメロディーをつけることも一瞬考えましたが、この名曲を思うと、やはりそれは畏れ多く、シンプルな朗読を自前の曲にのせました。

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多忠亮 作曲の「宵待草」

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最後の道標

道標のような、北極星のような先輩方が次々と旅立っていきます。
いつかはそんな日が来ると、わかってはいるのですが。
大滝詠一バート・バカラックジェフ・ベックエリック・カルメン・・・。
自分の本業は建築なのに、ミュージシャンばかりです。

とうとう、ブライアン・ウィルソンが旅立ってしまいました。
最後の道標でした。

小さな頃からブライアンの音楽がいつも側にあって、ずっと、その魔法のようなコーラスワークに包まれていました。
愛と慈悲に溢れた奇跡の音楽を、ありがとうございました。

2005年のツアーで運良く取れた4列目の中央の席。
手が届くような距離で聴いたアカペラのサーファーガール。
今でも心に響き続ける、宝物の思い出です。

 

何年か前、ブライアンのことを思いながら、サーファーガールをひっくり返してつくったギターの曲です。
ほとんど即興でつくって弾いたファーストテイクなのでノイズだらけですが、思い出にとってあります。
川の音と鳥の声でノイズをごまかしました。

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祇園精舎の鐘の声

20代の終わりに、昭和生まれの若者らしく、仕事を辞めインドを旅しました。
当時も今も自分のアイドル、ブッダ(出家前はシッダールタ)の生誕から入滅まで、ゆかりの地を巡る旅でした。
本当の聖地巡礼です。


祇園精舎にも立ち寄りました。
そこは遺跡を含む歴史公園のようになっていて、発掘など作業が続いていました。
たくさん写真を撮ったのですが、全く整理というものをしませんので、どれがどこなのかさっぱりわかりません。
こどもが可愛かったので、ここが祇園精舎ということにしました(笑)。

平家物語冒頭の「祇園精舎の鐘」というものは実際には存在しませんが、かすかな記憶では、日本の人達が寄贈した鐘があるようなことを現地のガイドさんが言っていました。
平家物語に「寄せた」感じでしょうか。


諸行無常」、「盛者必衰」といった仏教的無常観を基調とする平家物語の、その冒頭にこの「祇園精舎の鐘の声」を持ってきた平家物語の作者。
実際にはそれが無かったとしても、そのイマジネーションの豊かさに心を打たれます。


祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
奢れる人も久しからず、
ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂には滅びぬ、
ひとえに風の前の塵に同じ。


平家物語冒頭の「祇園精舎」。
その朗読音源をつくろうと思い立って最初に考えたのは、その「祇園精舎の鐘の声」ってどんな音?でした。
考えながら何度も暗唱しました。
そのうち心のなかに響いていたのは鐘というよりはもっと繊細なシンギングボウルのような音でした。



シンギングボウル 長く響き続ける優しい音色。

そこで、ネット上にたくさんあるシンギングボウルのフリー音源をいろいろ聴いてみて、気に入ったものをお借りして音楽に取り込むことにしました。
シンギングボウルのピッチを曲のキーにあわせて調整して、その持続する美しい音色を通奏音として響かせて、その上に以前作った音源をサンプリングしたり、新しい音を加えたりしてつくりました。

猛き者も遂には滅びぬ、
ひとえに風の前の塵に同じ。

そろそろ、そんな時期を迎えそうですね。

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人と栖と ずっと鴨長明先輩の背中を見ていました

10代で出会って以来、「方丈記」とは長い付き合いになりました。

ずっと、鴨長明先輩の背中を見て、知らずに随分と影響を受けてきた気がします。

建築、特に住宅の設計を始めてからは、後半の方丈の庵について記された部分を繰り返し読みました。
建築家の書いたよくわからない本よりも、私にとっての住宅設計のバイブルは「方丈記」。
それは、人と家について考えるよすがであり、「小さな家」に向かうベクトルは、長明先輩が道標となったものでした。

 

ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、
又かくのごとし。

 

格調高い名文からはじまる「方丈記」の前半は、当時の都を襲った5つの災厄についてのルポルタージュ

後半は、そんな乱れた世の中で、恵まれた家系に生まれながら父親という後ろ盾を失い、身内の妨害もあって少しずつ没落し負け続けてゆく様、住む家の大きさが1/10、1/100という風に小さくなり、山中に方丈の庵を結ぶまでの経緯、それからそこでの、今風に言えばミニマリストシンプルライフ讃歌へと続いていきます。
そこでは、都の名声や財産や、そんな執着から離れた自然のなかでの暮らしの素晴らしさが綴られています。

ただ、私が長明先輩を好きなのは、最後の方のくだりがあるからなんです。

この庵や、そこでの暮らしを愛している事、そもそも仏道修行をしつつも、こんなことを書いている事自体が執着であって、実のところ全然悟りきれていないんだと言うことを、苦笑いするような感じで記し、筆を置いているんです。
そして心の奥では、自分の芸術を世間に認めてもらいたいという気持ちがどこかに残っていたのではないかと思います。

それがいいんです。
そんな中途半端にしか悟れない、見方によっては、ちょっと負け惜しみととられなくもないようなものを綴っている長明先輩の弱さ、人間らしさこそが、彼と「方丈記」の魅力であり、およそ800年もの長きにわたり愛され、読みつがれている所以なのだと思います。


先輩が方丈記を記した年齢に、私も近づいてきました。
機が熟したら、いつかは自分なりの「方丈記」を書きたいと思っています。


その前に、まずは方丈記の朗読音源をつくろうと思っているのですが、長いのでとりあえず冒頭の部分だけ録音しました。
背景の音楽として、ことばのひとつひとつを丁寧に音に変えていきました。

方丈記」オープニングのサウンドトラックです。


長い道のりですが、「方丈記」を声と音で表現することもライフワークの一つになりそうです。

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10歳の家

自宅を建てて10年が経ち、工務店の皆さんが10年点検に来てくれました。


特別不具合もなく、シロアリの被害もなく、銀鼠の渋い光を放つデッキなど良い感じに年齢を重ねた経年美を褒めてくれました。


設計・施工中は、お互い良いものをつくりたいという思いで随分衝突をしましたが、それも日薬というのか、そんな事なかったかのように、3時間近く建築の話を喋り倒していました。


木造のこと、様々なディテール、
それから、
吉田五十八吉村順三、ライト、ミース、コルビュジエ、アアルト。


楽しかった。
そういえば長い間、建築のことなんか話してなかった・・・。


目の具合が悪くなって図面が描けなくなり、設計事務所をたたんで、もう建築の世界からは離れたつもりだったけれど・・・、やっぱり自分は建築が好きなんだなとあらためて思い、なんだか心が揺れた10年点検でした。

 

市井に住むこと 太宰治「市井喧争」の朗読音源をつくりました

ご無沙汰しております。


気候も良くなり、少し大柄な猫の額ほどの庭作業など始めました。
花粉の時期もようやく終わり、しかも外であまり蚊にさされないという、ごく短い、有り難い季節です。

下手な剪定などしていますと、ご近所の先輩方に時折声をかけていただくことがあり、貴重なコミュニケーションの機会ともなっています。
一方で、咄嗟の対応力が試されるような場面も多々あり、後で反省したり、微妙な気持ちになったり、市井に住むということの滋味深さを感じたりもします。


そんな「市井に住むことの、むずかしさ」を綴った、太宰治のエッセイ「市井喧争(けんそう)」の朗読音源をつくりました。


ここに描かれている、「何かを売りに来た人への対応」というのは、私もなかなか器用にはできず、主人公=太宰の気持ちがよくわかります。


私の経験では、女性の方が、たどたどしい日本語で「おくすり要りませんか!」って言ってきたときが一番ビビリました・・・。

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すきとおったほんとうのたべもの

ご無沙汰しております。

 

宮沢賢治注文の多い料理店 序」の朗読音源をつくっていました。


この「序」は、宮沢賢治の初めての、結果的には唯一の童話集「注文の多い料理店」の冒頭に綴られているものです。

 

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

これは賢治さんの、物語を紡ぐ創作の秘密であり、

 

わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

賢治さんの、決意表明のマニフェストでもあるのだと思います。


以前、建築の設計をしていました。


与条件、必要な空間、法規、構造強度など、複雑な連立方程式をひたすら解いていくのですが、それだけでは、どうしても思うような建築は設計できません。
そんな時は、多くの設計者がするように敷地をぐるぐると歩き回ったり、ぼんやりしたりします。


朝昼晩、晴れた日、雨の日、可能なら春夏秋冬。
そんなことを繰り返していると、もうどうしても、こんなものが建ってほしいと思うようなイメージが、地面から生えてくるような建築のイメージがわいてくることがあります。


分野は違いますが、注文の多い料理店 序」を読むと、そんな、その「場」から何かを掴もうとする開いた心持ちが感じられますし、また、同志であるような、少しうれしい気持ちにもなります。

 

紡がれている言葉の意味やリズム、ひとつひとつにあわせて音をつくってみました。

あっているのかどうかはわからないのですが、「もうどうしてもこんな気がしてしかたないということを、わたくしはそのとおり」つくってみたという感じです。

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うつり香がうすくなってゆく 「うつり香の」清原元輔

久しぶりに和歌の朗読音源をつくってみました。

もともと百人一首の和歌に音をつけてみようと張り切って始めたものの、20首つくったところで早くも息切れして、長いこと止まっていました。

百人一首はもちろん名歌揃いなのですが、あまり自分の好みに合わないものも多くて、意欲が薄れていました。

考えてみたら、誰に強制されているわけでもないですし、謎の百人一首縛りという軛から解き放たれることにしました。

なんだかすっきりしました。


再開の一首目は清原元輔の、この大変美しいうたを選びました。

うつり香の
うすくなりゆく
たきものの
くゆる思ひに
消えぬべきかな


(現代語訳)
あなたのうつり香が
うすくなってゆきます
そんな薫き物の煙のように
焦がれる想いで
私も消え果ててしまいそうです

 

清原元輔(きよはらのもとすけ)

平安中期の貴族・歌人三十六歌仙の一人。

清少納言のお父様ですね。

己の禿頭をいじらせて笑いをとるような愉快な方だったようですが、一方でこのような甘美な哀しみをうたってしまう、そんなギャップに惹かれます。

このうたの切なさを音でデザインできていたらいいなと思います。


細かい話ですが、二句切れの微妙なリズムの揺れをどう表現するか、随分悩みました。
これからの課題です。

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