人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

離れても、またいつの日か逢いましょう   崇徳院の祈り

不義の子として生まれ、父である鳥羽天皇に忌み嫌われ、政治の中枢から追いやられた挙句、保元の乱に敗れ流罪に。

亡くなったあとでさえも、都でおきる飢饉や大火を「崇徳院の祟り」だという噂を立てられるなど、崇徳院は数奇な運命に翻弄された悲劇の帝です。

瀬をはやみ
岩にせかるる
滝川の
われても末に
逢はむとぞ思ふ

          崇徳院

 

現代語訳:

川の流れが速いので、
岩にせき止められた急流が、
二つに分かれても、また一つになるように、
今は離ればなれになっても、
またいつの日か逢おうと思う。

 

このうたを、政治の表舞台に返り咲こうとする執念を表したものとすることもできるかもしれませんが、私は純粋に清冽な美しい恋愛のうたと解釈しています。

怨念のなかで、このような美しい恋のうたを詠めるとは、とても思えないからです。

常に逆境にあった苦難の人生であったとしても、詩歌を愛した崇徳院の心に、雅で安らかな刹那があったことを信じたいと思います。

 

激しい怒りのさなか、一瞬の凪に訪れた静かな祈りを想って、音を添えてみました。

youtu.be