人と栖と

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公立高校志願状況と「競争」についての娘への(たぶん渡さない)手紙

公立高校の志願状況が発表されました。

志望校の倍率は、およそ1.2倍。

それが高いのか低いのか、よくわかりません。

 

倍率とか、ときには競争率なんていうけれど、そもそもその表現自体が不正確なので、それが2倍だろうと3倍だろうと構いません。

抽選で入学者を選ぶのなら、「倍率」は重要です。

しかし、入試は「くじ」ではありません。

必要な点数を目標に定めて、そこを1点でも上回るように地道に愚直に準備するのが受験勉強。

だから、倍率も関係ないし、ましてや他の子との「競争」なんかでは、絶対にありません。

 

対峙するのは自分自身。

それから目標をクリアする。

それだけです。

 

競争を煽ることで、誰かが利益ー金銭や地位を得ていくシステム。

そんな、どうしようもないものがある事は早晩理解すると思います。

しかし今はただ、煽りに踊らされず、これは「競争ではない」ということだけ、強く思っていてください。

 

教育行政に「熱心」だという首長の主張を聞いてみようと、ある議会を傍聴したことがあります。

今でも、そのときのメモが残っています。

読み返すと愕然とします。

首都圏とこの田舎を比較した、勇ましいけれど卑屈な言葉が続いたあと、

「これから恐ろしい競争社会がやって来ます。ですから、その競争に勝ち抜いていける子ども達を育てなければいけません。」

 

・・・・・いやいやいや、ちょっと待って、

その「恐ろしい競争」をしなくていい社会をつくるのが大人の役目なのでは。

その「競争」に敗れて途方に暮れる子や、その「競争」に参加さえできない子のことを思うのが大人の役目なのでは。

発想の柔軟な子ども達に教えを乞うのは大人の方なのでは。

声をあげそうになったけれど、つまみ出されそうなので我慢しました。

 

もちろん、目標に向かって努力すること、それから、互いの切磋琢磨は大切です。

仲間同士、そういう意味で競いあい高めあっていくのは素晴らしいこと。

けれど、自分が受かれば、その分誰かが落ちる、

そこを勝ち抜いていく、そんな弱肉強食の世界だとは決して思わないでください。

人間の世界は思っているほど捨てたものではありません。

 

一緒に受験する友達はみんな合格するように。

試験会場で隣になった子や同じ会場にいる子たちは、四月には同級生になる仲間。

生涯の友もその中にいるかもしれません。

ここにいる子、全員揃って合格しよう。

そう願いながら試験に臨んでください。

きれいごとを言っているのではありません。

本当に強い人はそういう発想をするものです。