人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

はじめてのともだち

諸先輩方の通った道をきれいにトレースしてきたようです。

 

娘(万年反抗期)が生まれる前は「とにかく無事に生まれてくれればそれでいい」だったのに、生まれたら新しい望みが次々増殖していきました。

将来の不安に対処するため(これが間違いのもと!)だったり、よくよく考えれば自分のエゴだったり様々でしたが、10年位あれこれ画策した後、「結局何をやってもやらなくても結果はだいたい同じ」(自分調べ)ことに気づいて愕然とし、今はただ遠い目でありのままを眺めています。

 

前向きに考えれば、樹木は自然樹形が一番美しいように、子どももその枝葉を伸ばしたい時に、伸ばしたい方向に、自由に伸ばすのが最善なのではないかということに、10年かかって気づいたということになるかもしれません。

 

伸ばす先に障害物があったら、こっそり全力で払いのけてあげるくらいが、せいぜいできることかな。

学校に持っていくものを準備して、玄関に並べるとそれで安心して、全部置いて手ぶらで出かけるようなポンコツぶりを遺憾なく発揮していますが、これも個性として伸ばしていけばいいのかな。

どう伸ばせばいいのか、さっぱりわからないけれど(笑)。

 


娘の個性も、外の大人からみると違う姿を持つようです。

学校の先生によると、事情があって中途半端な時期に転校してきた子や外国籍の子がクラスに入ってきたり、一人ぼっちの子がいたりすると、娘は真っ先に声をかけ、あっという間に、その子にとっての「はじめてのともだち」になっているようなのです。

最初はああそうなのか、くらいに聞いていたのですが、しだいにこれは娘の個性というより、何かの才能なのではないかと思うようになりました。

 

これさえあれば、もうあとは何もいらないかな。

多くを望みすぎてはいけませんね。

多少のポンコツぶりには目をつぶろう。

 

だいたい、自分は誰かの「はじめてのともだち」になったことなんてあったかな。

 

その、何かの才能を持つ娘を少し尊敬し始めています。


今は、これを素直に伸ばせるような環境をつくることが自分の仕事なのかなと思っています。

障害物はこっそり払いのけよう。

女の子だから、いつかは「馬の骨」的な問題(笑)に直面するかもしれないけれど、まあそれはもう少し先だろうから、それはその時ということで・・・。