トキワマンサクの子ども達が、いたるところで育っています。
特に生垣から落ちた種がたくさん育って側溝のあたりでニョキニョキ出てくるので、時々救出に向かいます。
ワンちゃんたちの「お小水」のターゲットになっている向きもありますので(笑)。
うちの庭にあるトキワマンサクのほとんどが、造園屋さんの林に打ち捨てられた状態になっていたのを、これまた救出してきたものです。
無残な格好で、横に倒れたまま折り重なっていながらも、けなげに根を土まで伸ばし、なんとか生きている状態でした。
ひとつひとつ、からまった根や枝をほぐして、ちゃんとお金を払って(笑)引き取ってきました。
最初は、割りばしみたいな、細い棒切れみたいな・・・、頼りない感じでした。
3~4年で随分立派になりました。
こぼれ種が、環境によっては5~6メートルの大木になって、種を落とし、その子がまた種を・・・。
側溝で生まれた小さな芽が、百億千億という命の「可能性」を胎蔵しています。
そんなことを考えていると、何だか宇宙のはてまで飛ばされたような、心細いような、怖いような不思議な気持ちになってしまいます。
ちょっと、おかしいのかもしれません・・・。
J・クリシュナムルティがこんなことを書いています。
長い一生の終わり、または生まれたばかりの赤ん坊の終わり、私は以前、小さな新しい植木を持っており、それは生長して見事な樹木になるはずでした。
しかし、ある無考えで不注意な通りすがりのひとが足で踏みつけたのです。
もう決して大きな木にはなりません。
それもまた死の姿です。
「最後の日記」 J・クリシュナムルティ 高橋重敏 訳
そんなこんなで、時々せっせと救出作業に勤しんでいるのですが、いつも頭の中で、この曲が流れます。
森山直太朗さんの「青い瞳の恋人さん」。
君の瞳が青いのは君の母さんの瞳が青かったから
君の母さんの瞳が青いのは君の婆さんの瞳が青かったから
何処までも何処までもそれを辿ってゆくと
何故だろう 何故なんだろう
涙が零れ落ちていきそうさ
涙がやがて海になるといいな
君は僕を笑うかな 青い瞳の恋人さん
青い瞳の恋人さん
私には、同じことのように感じるんです。
同じように、宇宙のはてまで飛ばされたような、現在も過去も未来も同時に抱えこんでいるような、たまらない気持ちになります。