人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

光のオルガン  宮沢賢治「告別」

うっかり醜悪な茶番をみてしまいました。

記者会見とされてはいましたが、

確かにそれは茶番劇でした。

 

楽しいこと、美しいもの、

音楽とかエンターテインメントってなんだっけ・・・。

 

すっかり具合が悪くなってしまいました。

これが嫌でテレビを捨てたのに。

 

自分のための「おくすり」を処方し、調合しました。

 

「おくすり」は、宮沢賢治「告別」

 

同じく賢治の「農民芸術概論綱要」と同様、

頭が混乱してしまった時の道標。

 

宮沢賢治が花巻農学校の教師だった頃、

大変な音楽の才能を持つ沢里武治という生徒がいました。

ところが沢里は農家を継がなくてはならず、音楽の道を断念。

沢里が卒業する年、

賢治も「本当の百姓」になるために、教師の職を辞します。

 

「告別」は、その際に、沢里や生徒たちにあてて書いた詩です。

 

宮沢賢治

春と修羅 第二集 より

告別


おまへのバスの三連音が

どんなぐあひに鳴ってゐたかを

おそらくおまへはわかってゐまい

その純朴さ希みに充ちたたのしさは

ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた

もしもおまへがそれらの音の特性や

立派な無数の順列を

はっきり知って自由にいつでも使へるならば

おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう

泰西著名の楽人たちが

幼齢弦や鍵器をとって

すでに一家をなしたがやうに

おまへはそのころ

この国にある皮革の鼓器と

竹でつくった管とをとった

けれどもいまごろちゃうどおまへの年ごろで

おまへの素質と力をもってゐるものは

町と村との一万人のなかになら

おそらく五人はあるだらう

それらのひとのどの人もまたどのひとも

五年のあひだにそれを大抵無くすのだ

生活のためにけづられたり

自分でそれをなくすのだ

すべての才や力や材といふものは

ひとにとゞまるものでない

ひとさへひとにとゞまらぬ

云はなかったが、

おれは四月はもう学校に居ないのだ

恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう

そのあとでおまへのいまのちからがにぶり

きれいな音の正しい調子とその明るさを失って

ふたたび回復できないならば

おれはおまへをもう見ない

なぜならおれは

すこしぐらゐの仕事ができて

そいつに腰をかけてるやうな

そんな多数をいちばんいやにおもふのだ

もしもおまへが

よくきいてくれ

ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき

おまへに無数の影と光の像があらはれる

おまへはそれを音にするのだ

みんなが町で暮したり

一日あそんでゐるときに

おまへはひとりであの石原の草を刈る

そのさびしさでおまへは音をつくるのだ

多くの侮辱や窮乏の

それらを噛んで歌ふのだ

もしも楽器がなかったら

いゝかおまへはおれの弟子なのだ

ちからのかぎり

そらいっぱいの

光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

「告別」の朗読動画を(自分のために)猛スピードで制作し、何十回も聴きました。

「いやにおもふ」情報は捨ててしまおう。

デトックスです。

 

朗読は奥様にお願いしました。

ほぼ初見のファーストテイクです。

感心します。

うっすらと流れているピアノは、以前、これも自分用につくったピアノの練習曲に手を入れて尺を合わせたものです。

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