娘が受験生です。
私立が終わり、これから公立。
反抗期の女子中学生で受験生。
三重苦です。
「そんなもの気にするな」って事あるごとに言い続けてきたんですが、それでも、ずっとどこかで気にかかりながら学校生活を送っていたようです。
子どもたちは委縮しますよ。
何だか気の毒でした。
内申書はできてしまっているので、もういいのですが・・・。
今の学校は自分の頃と違って、先生方と生徒は驚くほど仲が良く、日常は穏やかなようです。
でも・・・どこか、もやもやとしたものが残ります
生徒からしたら、自分の大切な何かしらを質にとられているようなものだし、波風はたてられませんね。
この微妙な空気を抱えたまま、大人になっていったら社会はどうなってしまうんだろう、・・・というか、もはや、その結果が今の社会ということなのかな。
内申書は戦前からあったようですし、試験当日の一発勝負に比重がかかりすぎないようにする趣旨はよくわかるのですが・・・。
自分の頃も、もちろん内申書はありました
まったく気にもかけませんでした。
担任が差別的な、人を侮辱するような発言をした時には、クラス全員で授業をボイコットしたりしました。
トイレや何かにみんなで立て籠もって。
女子も含めて全員!。
体育祭や合唱コンクールでは全然だめなのに、そういう時だけ妙な団結力を発揮するクラス(笑)。
担任が謝罪し、30分程遅れて授業は始まりました。
首謀者は私でしたが、何のペナルティーもありませんでした。
あったのかな。
全く覚えていません。
夜、うちに誰か来たような・・・。
あれは、また別の件か(笑)。
内申書に何を書かれたのか書かれなかったのか、何もわかりません。
当時は中学生らしい正義の方が大切でした。
本気でぶつかり合わないと、信頼関係は築けませんでした。
それで、良かったと思っています。
そういう気質は後々、多くの面倒事を抱え込むことになりましたが・・・。
話がそれました。
本日私が申し上げたいことは、今の学校に流れている、息苦しさをオブラートで包んだような穏やかな空気が少し怖いなということです。
子どもたちが可哀そうです。
それに加えて、卒業を間近に控えた、心の揺れる繊細な季節が受験一色になってしまっている事も本当に残念です。
今に始まったことではないけれど。
だからこそ、文化的社会的な、大きな損失になっているのではないかとさえ思います。
失った季節が欠落したまま、それを是として、あるいはその喪失感を認めたくない「優秀」な人たちが、この国を運営しているからこその息苦しさなのかも。
入試、せめて季節の良い、インフルエンザの心配も少ない秋にやってしまえばいいのに。
言ってどうこうなる事でもありませんが。
すみません、ちょっとぼやいてしまいました。