人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

5歳児(50代)のためのエチュード

天地真理さんの「ひとりじゃないの」がチャートを賑わしている頃、田舎の5歳児の頭の中では、この曲の滋味深く美しいメロディーが毎日ぐるぐるとまわっていました。

一度ターンテーブルがまわり始めてしまうと、止め方がわかりませんでした。

今も変わりませんが・・・。

 

ある日、幼稚園からこんなお知らせがありました。

「オルガン教室を始めます。」

何か新しいことが始まりそうな予感に心が躍りました。

音楽が大好きで、もちろんオルガンをやってみたかったんです。

 

申込制の自由参加だったので、家に帰って両親に伝えました。

でも、

 

「お兄ちゃんが3日でやめたから、どうせ続かないよ。」

・・・・・

 

「どうせ」の一言で、目の前の扉が閉ざされました。

「どうせ」なんていう忌み言葉、辞書から消えてしまえばいいのに。

でも悪いのは自分。

「どうしてもやってみたい。」

どうしてその一言が言えなかったのか。

あろうことか、その時とっさに心の中でうそぶいたのは、

「ああ、これで面倒なことをやらなくて済むよ・・・。」

痛恨のミス。

5歳で自分の心に嘘をついてしまいました。

 

結局、参加しなかったのは、私とK君の二人だけ。

2人で、オルガンの響く園舎を背に「はやく帰れてラッキー!」みたいなノリで家路についていました。

 

家にピアノはありましたが、それを弾くのは姉だけ。

姉は先生について習っていました。

私も興味は確かに持っていたはずなのですが、ピアノの事を考えると思考停止のような状態になってしまって、自分が「ピアノを弾く人」になるなんて考えることもできませんでした。

「どうせ」という言葉が呪いになっていたのかも。

「あんたはピアノを弾く人じゃないよ」って。

 

3日でやめるような飽きっぽいタイプではないんです。

むしろ執念深く(笑)、実際兄から奪うようにして始めたギターは47年も弾いてますし。

 

ピアノも、コードを弾いて何かの伴奏をしたりはできます。

でも、ベートーベンやショパンドビュッシーやなんかをきちんと弾ける、「ピアノを弾く人」になりたかったんです。ずっと。

 

一年少し前のことでした。

何の拍子だったか、屋根の上でカラスが暴れている音を聞いた時だったような気がします。

急に、あれっ、なにこれ・・・・・、「ピアノ練習しよう」ってなったんです。

たぶんカラスの足音で50年の呪いがとけたんだと思います。

その日から、自然にピアノを練習するようになりました。

 

以前も書いたような気がしますが、教本は娘が幼稚園児の頃使っていた「ぴあの どりーむ」を使っています。

「大人が始める・・・」みたいな教本もたくさんあります。

でも、5歳のあの日から始めないと、ちょっと物騒な言い方ですが、落とし前がつかないような気がしているんです。

オルガンを背中で聴きながら、とぼとぼ歩いていた5歳の男の子。

あの子の魂を救えるのは自分しかいません。

もしかしたらこれが、癒されていないインナーチャイルドなのかも。

だから小さな子のための教本がいい。

 

あの日、嘘をつかずに「どうしてもやりたい」って言って、5歳でオルガンを始めた結果の「今」にしたい。

過去を悔やむのではなく、バック・トゥ・ザ・フューチャーのマーティーみたいに、過去に働きかけて今を変えたい。

時間はかかるかもしれないけれど、そうやって時空をゆがめてみたい。

 

「真理ちゃんスマイル」に憧れていた5歳の自分、50代の私の中にいるインナーチャイルドのための練習曲をつくってみようと思いました。

当時の自分(今の超初心者の私)でも弾けるような、
ハ長調のやさしくておおらかで、1分くらいのものを。

夏休みの宿題のつもりでつくりました。

(暑さのせいか、ちょっとどよーんとした日記を書いてしまいました。長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。)

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