ハル・デヴィッド / バート・バカラックの名曲ですね。
A chair is still a chair
Even when there's no one sitting there
But a chair is not a house
And a house is not a home
When there's no one there to hold you tight,
And no one there you can kiss good night.
A House Is Not A Home Hal David / Burt Bacharach
ハル・デヴィッドの美しい詞を、多くの方が美しい日本語で訳されてきました。
しかし、どの方もタイトルでもある、”a house is not a home”を上手く訳せず、悩まれているようです。
もちろん私など、手に負えるものではありません。
名詞は”house”と”home”のみ。
でも、訳しわけることができないんです。
あなたがいなければ、この家は単なる「建物」にすぎない、ということと理解しているのですが、これでは詞になりません・・・。
「家」は「家庭」ではない。
だいたい、ここに落ち着かざるを得ないようですが、「家庭」がどうしてもひっかかってしまいます。
「家庭」という日本語に染みついてしまった、何だか言葉にできない「嫌な」感じがぬぐえないのです。
鴨長明の方丈の庵も、私はhomeだと思っています。
一人の家も、二人の家も、三人の家もhomeです。
”a house is not a home”を、ストンと腹に落ちる美しい日本語で表現できて、なおかつそのhomeを図面に表現することができたのなら、私のような場末の文系建築士でも、何がしか成し遂げたことになるような気がしますが、果たしてそんな日が来るのでしょうか。