人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

風立ちぬ /美しい村 憧憬   小さな家の由来記7

家を建てるための土地探しの旅。

文学作品の舞台になった憧れの地をいくつかまわりました。

そんなエリアの一つ、浅間山山麓八ヶ岳山麓は随分たくさんの土地を見させてもらいました。

 

これだと思う理想の土地にも出会いました。

敷地の左右と奥は林の状態のまま、未舗装の可愛らしい道を挟んだお向かいには素敵なお家が建っています。

敷地にあわせた簡単な図面(今住んでいる家はその時のプランをもとに設計しました)も描いて、そこでの生活をあれこれ思い描きました。

 

不動産屋さんによると、

「作家の〇〇さんの奥様がご健在で、お向かいにお住まいですよ。」とのこと。

胸が高鳴ります。

これこそ運命なのでは・・・。

その作品世界に憧れてこの地を歩いているんですから。

 

でも、どうして自分はこんななんだろう、と思います。

 

一瞬の後、急に怖気づくというのか尻込みするというのか、スルスルとムーンウォークのように気持ちが後退してしまいます。

本当は高揚しているはずなのに、ここで人並外れた自己評価の低さを発揮してしまいます。

 

自分などがご近所になるわけにはいかない・・・。

 

その作家の生涯と作品とこの地は溶け合ってひとつの世界を形作っている。

その世界に対して抱いている強い憧れ。

 

上手く例えられなさすぎにも程があるのですが、よくタイムマシンで過去に行ってあれこれすると現在が変わってしまうプロットがありますよね。

あんなかんじで、その世界のほんの微細な部分であっても、そこに自分が関わって何かしらの影響を与えてしまうと、自分が憧れていた世界が変質してしまうんじゃないかという・・・。

随分拗らせています。

己の扱いが面倒です・・・。

 

それで、美しい村は美しい村のまま、心の中にそっとしまっておくことにしてしまったのでした。

どなたかがおっしゃっていたのですが。

大阪万博で何時間も並んで「月の石」を見たけど、がっかりしたと。

何だ毎晩眺めてる月の方が美しいじゃないか!。

 

裸の大将放浪記」で、山下清画伯が富士に憧れ、登ってみるのですが、その荒涼とした風景に深く傷つくシーンがありました。

 

憧れは遠くで眺めているからこそのもの。

ちょっとだけ後悔もありますが、あれで良かったんだと思うことにしています。