人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

いただきものの収支を忘れるとき

故郷に戻ってきて十数年、この家を建ててからも8年。

 

それまでずっと都会暮らしをしていたので、

生まれ故郷とはいっても田舎ならではのものに馴染むのに時間を要しました。

お祭りや回覧板や個人情報のまわるスピードや・・・。

 

なかでもずっと手こずっていたのが、「いただきもの」。

幸いご近所に恵まれていて、とにかくいろんなものをいただきます。

お庭で採れた野菜や、出かけた先で買ったお魚や。

「買いすぎちゃったから」なんておっしゃるんですが、

どう考えてもうちに買ってきてくれてるんですよね。

本当にありがたいです。

 

ただ、以前はその「収支」ばかりを気にしていました。

いただいたから、その分のお返しをしなくちゃ、という感じで、

何となくプレッシャーのように感じてさえいました。

確かに「田舎暮らしなめんな!」みたいな記事にはその種の事がよく書かれていますね。

でも、少なくともこの辺りではそんな空気は感じません。

 

問題は、その「収支」のようなものをつい考えてしまう自分自身の小ささで、

それをなんとか、時間をかけて克服してきました。


いただいたときは心から感謝していただく。

自分が出かけた時など、これをあげたいなと思ったら買っていく。

いつどちらが何をあげた、もらったなどということを考えないように。

 

これが自然にできるようになったとき、

真の田舎人になれたような気がしました。

 

むしろ、「何かもらったらその分返す」なんてことをしていると、

そこで人との関係が切れてしまう気さえします。

それでは対価を金銭で払うことで貸し借り無しの状態にして清算する、

「商取引」になってしまいますよね。

 

先日、お隣のお母さんがネット接続の調子が悪いと相談にみえました。

伺ってカチャカチャやっているうちに、たまたま接続に成功。

(というか80代でZOOMを使って仕事の打ち合わせをしているというだけで驚愕なのですが・・・。)

こういう無償の、ものや行為のやりとり(お駄賃でアイスをもらいましたが 笑)が日常になっているうちに、

「収支」的な小さい考えは消えていくんだろうなと思いました。

 

修学旅行のお土産を、娘がお隣のお母さんに渡してきてくれました。