人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

「うたのおにいさん」の「本当は・・・」を、ずっと考えていた

(お金をとる)放送局に勤めていた20代。

自分には不向きな世界でストレスだらけだったけれど、ただ一つの癒しのお仕事、

おかあさんといっしょ

子ども達の笑顔に、自分の汚れた心が洗われていくようでした。

 

あまりそんな機会は無かったのですが、一度だけ、出演者、スタッフ揃っての打ち上げに参加しました。

たまたま「うたのおにいさん」の近くに座りました。

どのくらい直接お話できたのか覚えていないのですが、(大きな声が出ないので宴会では「負けて」しまうのです)

おにいさんの語った一言を印象深く記憶しています。

 

「本当は・・・」

少し照れていました。

「演歌歌手になりたかったんですよ・・・。」

 

そのギャップに驚きました。

なりたかったというより、一度演歌歌手としてデビューされていたとのことでした。

その後、オーディションを受けて「うたのおにいさん」になったそうです。

 

私には「おかあさんといっしょ」の「うたのおにいさん」は天職のようにみえました。
輝いていました。

実際、その後「うたのおねえさん」とともに大人気になり、

ある年齢以上の人は誰でも口ずさめる大ヒット曲も生まれ、

紅白にも出場しました。

本当は演歌であのステージに立ちたかったのかな。

 

私は勢いでそこを辞めてしまったので、その後お会いする機会はありませんでしたが、何となくおにいさんの「本当は・・・」がずっと気にかかっていました。

 

その後十年以上を経て、おにいさんが大変重い人生を背負ったことを報道で知りました。

それでも、おにいさんはそのお人柄のまま、誠実に真摯にその事実に向き合い、数年後また歌の世界に戻られました。

変わらず、その歌で、多くの人に愛されているようです。

歌は演歌ではありません。

 

おにいさんの「本当」はシンプルに、「歌う」ことだったんだと思います。

「本当」は歌で人の心を温めること。

 

おにいさんの言葉を通じて、ずっと自分の「本当」のことを考えていました。

 

子どもの頃から抱えていた眼のトラブルが悪化して、図面を描くことが困難になってしまいました。

本当は、図面をバリバリと描いて

本当は、自他ともに認める建築家になって

本当は、世界中を駆けまわって

本当は、後世に残る建築を残したかった。

リハビリ次第ですが、少し難しそうです。

 

ただ、おにいさんのはにかんだ笑顔を思い出すたび、自分の本当って本当なんだろうかって考えます。

もし、おにいさんの「本当」が「演歌歌手」ではなく、「歌う」ことだったなら・・・。

自分の「本当」は、ただ

「美しい空間をつくること」、なのでは。

もう建築に拘る必要はないのかも。

空間を満たすものは、音や光、香りや詩であってもいい。

本当は、何か美しいものを残したい。

多くの人の目や耳に触れなくても構わない。

誰にも知られなくていいから、

本当は、美しいものをひっそりと、この世界に残して、ここを去りたい。

 

図面を描けない自分に、何か月も落ち込んだままでいたけれど、

そろそろ切り替えないと。

もう顔を上げよう。

 

途中から新年(遅)の抱負になってしまいました。

最後の授業参観と成長のドア

今日は最後の授業参観。

幼稚園の頃から中三までの12年間。

たくさんの思い出がぐるぐる巡って、廊下で倒れそうになりました。

 

様々なことがひとつずつ静かに終わっていきます。

何か新しく始めないと、このまま何もかも終わってしまいそう。

 

この土地にこの家を建てたのは、娘の小中学校に近かったから。

通学路になっている前の道には、いつも登下校の子どもたちの賑やかな声が響いています。

その渦に紛れて娘も出かけていきました。

まもなくそこから離れます。

この家の役目も、もう終わろうとしています。

自分で設計して、できる範囲で施工もした家だけど、不思議と終の棲家には思えませんでした。

いつかここを離れることの予感をはらんでいたのかも。

私達はドリフターなので、また旅に出るのかもしれません。

 

まあ、それでも、感傷に浸っているのは(父)親だけで、子どもの方は諸々なぎ倒して前に進んでいきます。

 

真島 昌利さんの名曲「夏が来て僕等」の最後の一行。

夏が来て僕等 成長のドアを足であけた

これでいいんですね。

雨の国の屋根の家

その敷地にどんな屋根を浮かべたいか。

そこから考えます。

堅牢かつ軽量で美しい屋根。

形状・素材・性能・軒の出。

 

もし2階建であれば、その屋根の荷重を支える2階の設計をします。

それから、屋根と2階の荷重を支える1階の設計をします。

その後、そのすべてを支える基礎の設計です。

上から下に向かって設計します。

もちろん平面プランも頭の隅に置きつつですが。

それでも、屋根とそれを支える構造を最優先します。

 

雨の国の家は「屋根の家」

シドニーのオペラハウスで有名な建築家ヨーン・ウッツォンは、日本建築のスケッチで、基壇とその上に浮かぶ屋根だけを描きました。

その慧眼で本質を見事に捉えています。

と言いつつ、もちろん陸屋根に屋上防水が適している場合だってあります。

ケースバイケースですね。

あと、好みですね。

 

軒の深い屋根は傘。

陸屋根と防水処置は雨合羽。

好みです。

自分は傘が好きですが。

あまりにも美しい、わずか2行の珠玉。

三好達治「雪」

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

この詩を奥様に朗読してもらいました。

「太郎の屋根」「次郎の屋根」という表現が胸を打ちます。

私にとって、「雪」の詩でもあり、子どもたちを優しく守る「屋根」の詩でもあります。

朗読すると20秒たらず。

音楽をつけるのにはあまりに短いのですが、つくってみました。

太郎に2小節、次郎に2小節(笑)

それぞれ割り当てました。

youtu.be

風信子の家 4.3坪の夢

自宅は経済の事情で小さな平屋になるようで、設計をしていた10年ほど前、古今東西の「小さな家」研究を随分としました。

同時代のもの、特に戦後の日本は物資の不足や土地の狭さなどもあり、それは一つのジャンルのようなものを形成していて、有名建築家の実験的な「小さな家の系譜」のようなものが存在しています。

ただ、建築家特有の難しい理屈に馴染むことができず、次第に、もっと「本質だけ」でできているような古典作品に範を求めるようになっていきました。

 

古くは(古すぎますが)

鴨長明先輩の「方丈の庵」

それから、

HDソロー「森の小屋」

ル・コルビュジエカップマルタンの休暇小屋」

そして、

立原道造さんの「ヒアシンスハウス」

 

特に、「ヒアシンスハウス」のスケッチには心を奪われました。

まだ実作の無い、若い建築家の夢の結晶。

立原道造さん(1914-1939)

建築家で詩人。

東京帝国大学工学部建築学科では丹下健三さんのひとつ上の学年。

丹下さんも憧れの眼差しを注ぐほどの才能だったようです。

在学中に辰野賞を3度受賞。

一方、詩人としても、中原中也賞の第1回受賞者。

私にとっては、建築家・詩人というより、「ものをつくる人」としての理想の存在です。

 

病のため24歳で夭逝してしまったため、「ヒアシンスハウス」は、実際に建築されることはなかったのですが、現在はスケッチをもとに、さいたま市別所沼公園に再現されています。

 この動画でわかりやすく紹介されています。

youtu.be

僅か4.3坪のワンルーム

(おそらく恋人と過ごす)週末住居の想定ということで、キッチンと浴室がありません。

 

我が家は24坪ありますが、それでも平屋のワンルームなので、空間の雰囲気は近いものがあります。

自分にとっての「ヒアシンスハウス」になっていればいいなと思います。

 

最近、立原道造さんの詩をよく読んでいます。

「ヒアシンスハウス」のスケッチを眺めながら、それらを読むと、より心に響くものがあります。

生前は実作を建てる機会に恵まれなかったけれども、その世界は詩と共に永遠のものになりました。

 

ここのところ、半年で壊してしまうハリボテを設計して上気している「建築家」に辟易していたのと、以前は多少なりとも彼らに憧れていた己の節穴ぶりに落ち込んでいたのですが、そんな自分への「おくすり」になっています。

 

どこまでも透明で美しい詩

「夢みたものは・・・・」

奥様に朗読してもらって、繰り返し聴いていました。

夢見たものは‥‥

立原道造

 

夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

 

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

 

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

この詩には木下牧子さんによる、大変美しい曲がつけられています。

youtu.be・・・と、自分で極限までハードルをあげつつ。

私もこの詩にあてて、曲をつくってみました。

朗読を聴いている時に自分の中に流れていた音をなんとか引っ張り出して、弾けもしないピアノで徒につくったものです。

youtu.be

宴たけ宣言と三幕構成

私は、お酒を一滴も飲めません。

昔ビールを2~3杯飲んで救急車で運ばれました。

サイレンの音は微かに聴こえたのですが、

朝、意識が戻った時には病院のベッドの上。

 

山の中の小さな病院でした。

窓から白い光が差し込み、

樹々の梢からは小鳥のさえずりが。

ディズニーのプリンセスになったみたいでした。

両腕に点滴が刺さっていましたが(笑)。

そんな走馬灯。

 

そういう具合なので、宴会では「お前しらふだろ」、ということで

会の進行やら会計やら諸々雑用がまわってくる羽目になります。

お酒が入るとやや荒くれる皆様に囲まれていました。

宴会は収拾がつかない状態になりがち。

そのうち、一旦、中締めが必要なタイミングがやって来ます。

そんな時には終始冷静な自分が、

「え~、宴もたけなわですが・・・」

という「宴たけ宣言」を発出して、強制終了させます。

そして、二次会へ。

そして、その繰り返し・・・(泣)。

 

前置きが長くなりましたが。

景気循環でいったら、「クズネッツの波」くらい、

20~30年周期で、

自分の中にいる「賢人」のような人(白い髭をたくわえている)が、

その「宴たけ宣言」を高らかに発することがあります。

 

20代の終わり頃にそれで一度、衝動的に辞表を出しました。

そしてもう2~3年したらそろそろかなと思っていたら、

先日、突然「え~、宴もたけなわですが・・・」が脳内で響き渡りました。

収拾がつかない状態をリセットする「宴たけ宣言」

 

眼の状態が悪化したこともあるのかもしれませんが、

もやもやを断ち切らないと前に進めない、

それをよく知っている賢人さんー直観のようなものー、が

私を操縦しているような気がします。

 

自分でも何故そんな事をしているのかわからない

そんな時はその直観に素直に操縦されてしまおう。

意味はそのうちわかるかな。

 

長いこと加入していた業界団体と協会の退会手続きを準備しています。

お世話になりました。

世間的なかたちとしては、一旦廃業に向かうことになります。

でも、新しく始めたいことが山ほどあって、楽しみでしかありません。

一級建築士であることは変わらないので、

場末の文系建築士として、

建築にも今までとは違うかたちで向き合っていこうと思っています。

むしろ、幅がひろがりそう。

 

あの、意識が戻った朝の白い光のように、希望が差し込んできます。

 

「発端」・「中盤」・「結末」

「設定」・「葛藤」・「解決」

ハリウッドの脚本にある「三幕構成」のようなものかもしれません。

一幕目も二幕目も自ら強引に下ろしました。

これから三幕目。

新しい宴。

どんなエンディングに向かうかはわかりませんが、楽しみです。

 

家族の皆様の深い理解に感謝。

恋しい家こそ 私の星空

家について

あれこれと七面倒なことを時々言ったりしますが、

本当は何でもいいと思っています。

 

木造でも、鉄骨造でも、RC造でも

外断熱でも、内断熱でも

屋根は切妻でも、寄棟でも、片流れでも

壁は白でも、黒でも

持ち家でも、賃貸でも

なんでも、人それぞれ

全部まとめて、大正解。

 

日が暮れた頃、

ああ、早く家に帰りたいなあ、

そう思えたら、

恋しい家になったら、

それはもう名作住宅。

 

夕暮れに 仰ぎみる 輝く青空
日が暮れて たどるは 我が家の細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の灯影の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

 

私の青空」 My Blue Heaven     訳詞 堀内敬三

1927年に発売された、アメリカのスタンダードナンバー My Blue Heaven

Blue Heaven堀内敬三さんは「青空」と訳しました。

ちなみに、大滝詠一さんはこのMy Blue Heavenをカバーした際に
タイトルを「私の天竺」としました。

大滝さんらしいです。

日が暮れた後だから、私は星空がいいなと思います。

youtu.be

昨夜のふたご座満月。

少しだけ顔を見せてくれました。

家も根を張る

昔の写真データを時々整理します。

娘の赤ちゃんの頃の写真なんかを眺めていると日が暮れます。

 

我が家の赤ちゃんの頃の写真も出てきて、しばらく眺めていました。

久しぶりに会ったような気がします。

今は緑に覆われていてほぼ屋根しか見えないので、いろいろ忘れていました。

こんなプロポーションの家だったのか、へえーみたいな感じです。

宇宙船が不時着したみたいで、変な感じ。

敷地に馴染んでいません。

模型を地面に置いたようでもあり、風が吹いたら飛んで行ってしまいそうです。

夜景。

今は、庭やお隣さんの緑と相まって、家も土地に根を張ったように環境と一体化しています。

建築そのもののデザインは自分でするけれど、その後は自然の差配。

風化・ウェザリングも含めて。

少し手は入れるけれど、あとはお任せです。

家を、庭をapprivoiser(アプリヴォワゼ)する 「星の王子さま」から学んだこと

蚊が出なくなったので、久しぶりに庭のパトロール

4本あったキンメツゲのうち、1本が枯れていました。

そこそこ日も当たるし、水も撒いていたのですが・・・。

 

枯れた一本だけは窓から見えない位置にあったのでした。

ですから、それにまったく気づきませんでした。

そういえば長いことキンメツゲのこと、考えたこともなかった。

 

自分調べの、何の根拠もない定理。

半年間視野に入らず、意識にものぼらなかった植物は枯れる(ことがある)。

 

枯れたキンメツゲも「見られることもないなら、存在してても・・・」みたいな、存在するのをやめたかのような枯れ方でした。

「誰もいない森で倒れる木は音をたてるのか」みたいな、認識論あるいは量子力学的な問いを思いました。

思い出したのは、星の王子さまに出てくる、王子さまとキツネとの会話。

そこでは、おそらく最も重要な単語apprivoiser(アプリヴォワゼ)が登場します。

「君とは遊べないよ。僕はまだapprivoiserされてないから。」

 

長い間、apprivoiser「飼いならす」と訳されてきたようですが、学生時代、フランス語の授業か何かで読んで以来、しっくりこない謎の言葉でした。

「仲良くする」「なじみになる」など様々あるようですが、多分ぴったり当てはまる日本語が無いのでしょう。

 

何度も読むうち、「飼いならす」の部分は自分の中で別のイメージをもって読むようになっていました。

そのイメージは「ずっと気にかけていること」

それから「それで何かを失ったとしても、かけがえのない関係を築くこと」

 

人が住まなくなり、放置された家は朽ちてきます。

庭も、人の手が入らなくなるとすぐに荒れてしまいます。

家も庭も、いつも気にかけていないと、自分の心が離れてしまうと、途端に駄目になってしまいます。

 

愛憎入り混じりつつも、この家や庭をapprivoiserしています。

王子さまが星に残してきたバラを想うように。

 

西日で痛めつけられた外壁や基礎を何度でも補修し、葉が焼けたヒメシャラに、できるだけの手当てをします。

心無い工事で綻びのある部分を、どんなに手間がかかっても執念で直し、取替え、本当の自分の家に変えていきます。

時間をかけます。

時間をかけるということは、命を使うということ。

星の王子さま」文中の表現を借りて言い換えれば、

私が、私の家と庭のために失った時間こそが、私の家と庭をかけがえのないものにしているのです。

 

原始とか言われてるし

私の家、自分としてはモダンデザインを施したつもりなのですが・・・。

娘(イヤイヤ期継続中)の通う中学の男子は、この家のことを「平安」とか「縄文」とか呼んでおりました。

「江戸時代より前は大昔」みたいな雑な歴史認識。それが男子中学生。

 

以前ラジオで2500年前の、確かブッダの話題に触れていた時に、若いアイドルの方が「いやいや、今2020年なんですけど、プッ」みたいにツッコんでいました。

2020年なのに2500年前って(笑)・・・ということのようでした。

大体そんな感じのようです。

 

中学男子たち、最近は「原始」とか言っております。

ヴィンテージ感をアップしてきました。

この家のインテリアは、近くにある登呂遺跡竪穴式住居をモチーフにしています。

誰も気づいてくれないので、いつも自分から言ってしまいます。

中心に炉(キッチン)を置き、周辺に居間と寝間を配置し、四本の柱と梁で屋根を支える。

いろいろあって細かいデザインをしている余裕がなかったので、そんなざっくりとしたコンセプトのみで設計しました。

目を見張るようなディテールがない代わりに、家の祖型のようなものは表現できたような気がします。

左が登呂遺跡の竪穴式住居、右がうち。

中学男子よ、惜しい。

うちは「平安」でも「縄文」でもなく、「弥生」でした。

頑張って勉強するのだ!。

 

悲しい時にそっと始まった家づくりがありました

ハウスメーカーさんのCMは夢に溢れていますね。

若いパパ、ママと可愛いお姉ちゃんと弟さんが白い朝日を浴びて幸せそうです。

実のところ、家づくりは思ってもみなかった困難に直面したりして、つらいこともあったりします。

ですから、出会いから引き渡しまで、できるだけそんな幸福のイメージのなかで家づくりを経験できるように、手を尽くしてくれるハウスメーカーさんのお仕事は、それをサービス業と捉えても大変価値のあることだと思っています。

わざわざ辛い思いをする必要はありませんからね。

困難を優しくオブラートで包んで、可視化しないというのもプロの大切な仕事かと思います。

 

私の場合は自分が建築士で、かなりイレギュラーな家づくりをしているので、もちろん自分を守ってくれるそのような優しいオブラートはありません。

そのうえ、体調が良い時でないと書くことはもちろん、思い出すことも苦痛なほど、次々とやってくる不幸と周囲の無理解や裏切りの中で、誰にも祝福されない塗炭の苦しみの中での家づくりでした。

 

娘の小学校入学に間に合わせたい。

ただただ、それだけの理由でがむしゃらに図面を描いていました。

 

思い通りの設計や施工ができるはずもなく、夢に描いていたプランの半分も実現できていません。

竣工後も、見るのも嫌なくらいこの家を憎んでいて、出かけて帰宅するときなど、この角を曲がったら全部無くなって更地になっててくれないかな、なんて本気で思っていました。

できることなら、一からやり直したいと。

 

暗いトーンの文面ですみません。

 

ところが、です。

それから9年近くたって、何故かはわかりません、この家に対して少し愛おしさが生まれてきているんです。

「幸先」とか「縁起」とか「始め良ければ」みたいな言霊に苦しむことは少なからずあるのですが、それでも、悲しみのさなかに建てたこの家が愛おしくなりつつあるんです。

 

そんなことを考えつつ、ぼんやり天井なんかを眺めながら、学生の頃から大好きな、浅香唯さんの名曲「セシル」を聴いていました。

 

恋は楽しい時より 悲しい時に

そっと始まった方が 長く続くね

 

「セシル」浅香唯  作詞 麻生圭子 作曲 NOBODY

 

・・・たぶん、これです。

上手く説明できません。

でも、これなのです。

 

悲しい時にそっと始まった家づくり。

何もオブラートに包まない、むき出しで体験した家づくり。

涙を流しながら描いた図面。

だからこその、強さもあるのだと思います。

youtu.be

まとまりの無い文になってしまいました。

でも、もし必ずしも恵まれた状況ではない中で家づくりに向き合っている方がいらしたら、

きっと大丈夫ですよ!。

もしよかったら「セシル」を聴いてみてください。

多くの方と同じように、私もこの曲に救われた一人です。

 

環境に呼応する建築   とらや工房・安曇野ちひろ美術館

先日、御殿場の東山旧岸邸に伺ったのですが、同じ敷地内に「とらや工房」がありました。

www.toraya-kobo.jp

内藤廣さんの設計ですね。

なにやら行列ができていました。

皆様の会話によると「おこわ」かなにかの列のようでした。

行列がはけてから、お茶をいただきながらゆっくり見学することができました。

 

写真で見て想像していたより、こぢんまりとした素敵な建築でした。

実物が想像より小さい建築は名建築が多いような気がします。

それがヒューマンスケールということなのかなと思います。

敷地が本当に素晴らしく、建築もその環境に呼応していました。

 

内藤さん設計といえば、昨年伺った「安曇野ちひろ美術館」も素敵でした。

chihiro.jp

当日は曇っていたので、公式ホームページから写真をお借りしました。

何故曇っているとダメなのかというと・・・、

この背景!。

安曇野ちひろ美術館 公式ホームページより

背後の安曇野の山並みのリズム、勾配と呼応しています。

それこそヒューマンスケールの建築と、発想のスケールの大きさ。

この対比が見事です。

建築に限らず、こんな仕事ができたらいいなと思います。

 

我が家の屋根。

方角的には屋根の向こうに富士山があるのですが、建て込んでいて見えません。

ですから、誰も気づいてくれなくて当然なのですが、屋根の勾配をこっそり富士山の平均傾斜に寄せています。

そして、自分から言うことにしています(笑)。

 

高校受験 シフトアップをした15の夜

友達が高校の募集定員の載った新聞記事を持ってきてくれました。

情弱ぶりをよくわかってくれています(笑)。

ありがたいです。

 

うちには受験生がいたのでした。

 

娘はマンガやアニメが大好きです。

できるだけ好きな事にはのめりこんでほしいので、勉強のことはあれこれ言わないできました。

大切な15歳の時間を受験勉強だけで埋めてしまうのは寂しいので。

 

ただ、試験まであと4か月、集中してやりきってしまうのにちょうど良い期間。

一気に加速して手ごたえを感じてほしい。

そこで、話し合って中期の計画をたてました。

 

もともと自分で工夫して勉強していたようなので、補足する程度でしたが、上手くのりきれそうです。

アニメを観る時間をどう捻出するかも話し合いました。

こんな親は珍しいのかもしれません。

 

私には、ちょっと受験名人のようなところがありました。

もちろん試験が好きなはずもなく、嫌いです。

ですから、低能力にもかかわらず、できるだけ効率よく、一度で済ませたい一心で様々なテクニックを編み出してきました。

 

細かい内容は忘れましたが、女子レスリングの有名選手がこんなことをおっしゃっていたように記憶しています。

相手選手の体臭がきついので頭にきて、一刻もはやく勝負をつけたいと思い、それで勝ってきた。

ちょっとそれに似ています(笑)。

 

テクニックを、少しずつ娘に伝授しています。

万年反抗期なのに、これだけは素直にきいてくれます。

一目置いてくれているのか。

 

娘は、大丈夫だと思います。

 

うちは全体がワンルームで勉強部屋が無いので、観葉植物とゾウさんのモビールで結界をつくって、勉強スペースの完成です。

 

生垣は見通し優先で

うちは角地にあります。

庭をぼんやり眺めていると、時々自転車どうしが衝突しそうになっているのを見かけます。

「自転車は左側通行」ということを守ってくれれば良いのですが、子ども達には通用しません。

 

高校生ぐらいになると、ノーブレーキはもちろん、鈴鹿八耐かっ!ていうくらいにハングオンしてコーナーを攻めてきます。

角の隅切りのところは見通しを確保するために、もともと生垣を作っていないのですが、見通しがあればあったで更にチャレンジをしてきます。

月に一度くらいは一人でコケている子もいます。

もしかしたら、見通しが悪すぎるくらいの方が用心するのかも、などと思ったりもしますが・・・。

 

事故がおきてから後悔しても仕方ないので、さらに見通しを良くするために、せっかく育ったトキワマンサクの生垣ですが、鋭意剪定をしております。

 

生垣は見栄えよりも見通し優先で!。

※剪定中の生垣

本当は緑のおじさんみたいに、ずっと角で見張っていたいくらい。

角のところでババヘラアイス的なもの、やってみようかな。

ババヘラ、ご存じですか?。

第2の故郷秋田のソウルフードです。

youtu.be

 

敷居のカモフラージュ 東山旧岸邸

吉田五十八さん設計の東山旧岸邸の思ひ出を小出しに書いています。

他に見学者がいなかったこともあって、あれこれ質問しまくる私に、案内の方が熱心に説明してくださいました。

この建物への愛情をひしひしと感じました。

 

和室ゾーンに入る襖のところ。

テンションのあがってきた案内の方が、養生で敷いてあったカーペットをおもむろにめくりあげたそこに、それはありました。

写真ではわかりにくいかもしれませんが、襖の敷居です。

敷居といっても床材に細い溝が切ってあるだけです。

床材の連続性を損なわないためですね。

さらに、

写真の2の部分が本来の敷居部分ですが。1,3,4,5と等間隔に床材にわざわざ同様の溝を切ってあります。

素敵ぢゃありませんか!。

「もともとこういう床材だったから、たまたまあったその溝を使いました」みたいな感じですね。

こういう遊び心、たまらなくなってしまいます。

設計や施工を愛情を込めて、楽しみながらやっていた様子が目に浮かぶようです。

 

大先輩に失礼ではありますが、大変な親近感を感じます。

私にも、ちょっとさういふところが・・・。

 

我が家の大きな格子戸は垂木に固定した鴨居から吊っていて、
下部に取り付けたアングルをデッキの隙間をガイドにして、滑らせています。

格子戸を奥に引いてしまうと何も残らず、単純にデッキの床面だけになります。

「たまたまあったデッキの隙間を使いました」という「てい」の設計です。

本当は、工務店の方と一緒に随分頭をひねって考えました。

大事な部分で抜けているものは多々あるのに、そんな部分だけやたらと精力を傾けてしまいます。

見学にいらした方も、誰も気づいてくれないので、いつも自分から言っています(笑)。

 

でも、そんな遊び心も、なにもかも平和あってこそのものですね。

あらためて思います。

東山旧岸邸の逆さ庭

御殿場にある吉田五十八さん設計の東山旧岸邸

リビングテーブルの天板は鏡のよう。

庭の緑を映し出すように計算して天板を選び、配置したそうです。

逆さ富士のように庭が美しく映し出されます。

紅葉の季節にまた訪れたいと思います。

家の中に素敵な場所があるのって良いですね。

季節や時間帯によって突然現れるマジックアワー。

そんな時間を家の中で体験できるような設計をしたいと思います。

 

自分の家には計算して、あるいは図らずも生まれたそんなスポットがいくつかあって、日々楽しんでいます。