人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

こどもが守られる世界

以前つくった「雪」の朗読音源の音が気に入らなくて直していました。


三好達治


太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ。

たった二行の美しい詩。
短さ故に様々な解釈ができますね。


太郎と次郎は兄弟で、一つ屋根の下に眠っているのか。
それとも、友達やいとこか何かで別々の家なのか。


私は、「太郎」、「次郎」という一般的な名前を使っていることから、
こどもたちすべて、もちろん時差や季節の違いはありますが、
世界中のこどもたちが守られながら安心して眠っている様子を思い浮かべます。


寝かしつけているのは、お母さんなのかお父さんなのか。
おじいさんやおばあさんやお兄さんやお姉さんかもしれません。
私は建築の設計者なので、屋根がこどもたちを守っているイメージにも心を打たれます。


すべてのこどもが、こんなふうに守られる世界になればいいなと思います。

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人と栖と ずっと鴨長明先輩の背中を見ていました

10代で出会って以来、「方丈記」とは長い付き合いになりました。

ずっと、鴨長明先輩の背中を見て、知らずに随分と影響を受けてきた気がします。

建築、特に住宅の設計を始めてからは、後半の方丈の庵について記された部分を繰り返し読みました。
建築家の書いたよくわからない本よりも、私にとっての住宅設計のバイブルは「方丈記」。
それは、人と家について考えるよすがであり、「小さな家」に向かうベクトルは、長明先輩が道標となったものでした。

 

ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と栖と、
又かくのごとし。

 

格調高い名文からはじまる「方丈記」の前半は、当時の都を襲った5つの災厄についてのルポルタージュ

後半は、そんな乱れた世の中で、恵まれた家系に生まれながら父親という後ろ盾を失い、身内の妨害もあって少しずつ没落し負け続けてゆく様、住む家の大きさが1/10、1/100という風に小さくなり、山中に方丈の庵を結ぶまでの経緯、それからそこでの、今風に言えばミニマリストシンプルライフ讃歌へと続いていきます。
そこでは、都の名声や財産や、そんな執着から離れた自然のなかでの暮らしの素晴らしさが綴られています。

ただ、私が長明先輩を好きなのは、最後の方のくだりがあるからなんです。

この庵や、そこでの暮らしを愛している事、そもそも仏道修行をしつつも、こんなことを書いている事自体が執着であって、実のところ全然悟りきれていないんだと言うことを、苦笑いするような感じで記し、筆を置いているんです。
そして心の奥では、自分の芸術を世間に認めてもらいたいという気持ちがどこかに残っていたのではないかと思います。

それがいいんです。
そんな中途半端にしか悟れない、見方によっては、ちょっと負け惜しみととられなくもないようなものを綴っている長明先輩の弱さ、人間らしさこそが、彼と「方丈記」の魅力であり、およそ800年もの長きにわたり愛され、読みつがれている所以なのだと思います。


先輩が方丈記を記した年齢に、私も近づいてきました。
機が熟したら、いつかは自分なりの「方丈記」を書きたいと思っています。


その前に、まずは方丈記の朗読音源をつくろうと思っているのですが、長いのでとりあえず冒頭の部分だけ録音しました。
背景の音楽として、ことばのひとつひとつを丁寧に音に変えていきました。

方丈記」オープニングのサウンドトラックです。


長い道のりですが、「方丈記」を声と音で表現することもライフワークの一つになりそうです。

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10歳の家

自宅を建てて10年が経ち、工務店の皆さんが10年点検に来てくれました。


特別不具合もなく、シロアリの被害もなく、銀鼠の渋い光を放つデッキなど良い感じに年齢を重ねた経年美を褒めてくれました。


設計・施工中は、お互い良いものをつくりたいという思いで随分衝突をしましたが、それも日薬というのか、そんな事なかったかのように、3時間近く建築の話を喋り倒していました。


木造のこと、様々なディテール、
それから、
吉田五十八吉村順三、ライト、ミース、コルビュジエ、アアルト。


楽しかった。
そういえば長い間、建築のことなんか話してなかった・・・。


目の具合が悪くなって図面が描けなくなり、設計事務所をたたんで、もう建築の世界からは離れたつもりだったけれど・・・、やっぱり自分は建築が好きなんだなとあらためて思い、なんだか心が揺れた10年点検でした。

 

すきとおったほんとうのたべもの

ご無沙汰しております。

 

宮沢賢治注文の多い料理店 序」の朗読音源をつくっていました。


この「序」は、宮沢賢治の初めての、結果的には唯一の童話集「注文の多い料理店」の冒頭に綴られているものです。

 

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。
 ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。

これは賢治さんの、物語を紡ぐ創作の秘密であり、

 

わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

賢治さんの、決意表明のマニフェストでもあるのだと思います。


以前、建築の設計をしていました。


与条件、必要な空間、法規、構造強度など、複雑な連立方程式をひたすら解いていくのですが、それだけでは、どうしても思うような建築は設計できません。
そんな時は、多くの設計者がするように敷地をぐるぐると歩き回ったり、ぼんやりしたりします。


朝昼晩、晴れた日、雨の日、可能なら春夏秋冬。
そんなことを繰り返していると、もうどうしても、こんなものが建ってほしいと思うようなイメージが、地面から生えてくるような建築のイメージがわいてくることがあります。


分野は違いますが、注文の多い料理店 序」を読むと、そんな、その「場」から何かを掴もうとする開いた心持ちが感じられますし、また、同志であるような、少しうれしい気持ちにもなります。

 

紡がれている言葉の意味やリズム、ひとつひとつにあわせて音をつくってみました。

あっているのかどうかはわからないのですが、「もうどうしてもこんな気がしてしかたないということを、わたくしはそのとおり」つくってみたという感じです。

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帰ってきた座敷わらし【朗読】宮沢賢治「ざしき童子のはなし」

大変ご無沙汰しております。

ここのところ、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をせっせとつくっておりました。

 

以前、座敷わらしの姿が見えなくなったという記事を書きました。

akekurenote.hatenablog.com

あの子が戻って来たのは昨年の夏のことでした。

娘の志望校のオープンキャンパスに参加するために仙台に行ったのですが、その時ついてきたようなのです。

30年振りくらい(昔、仙台市民だったのです)で「甘味処 彦いち」さんにずんだ餅をいただきに行ったときのことでした。

 

親子3人でお店に入ると、店員さんが「4名様ですか?」という、久々のくだりが(笑)。

いえ3人です、と答えるとなんだか首をかしげています。

席につくとお水とおしぼりが4つずつでてくるのも懐かしい展開でした。

随分遠くまでついてきたものです。

ずんだを食べたかったのかな。

 

家に戻ると以前のような、あの子の気配が戻っていました。

 

ここのところ、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をつくっていて、「わらし」への感度が上がっていたからなのかもしれませんが、その気配を頻繁に感じるようになってきました。

昨年の暮、はじめてその子の声を聞きました。

ヘッドホンで音楽を聴いていたとき、突然「痛いっ!」ていう子どもの可愛い声が聞こえたんです。

すぐに窓から外を見てみましたが誰もいません。

かなり大きめの音量で音楽を聴いていたので、そもそも外からの音はほぼ聞こえないのです。

頭の中に直接届くような声でした。

ちょうど暮れの大掃除をしていて、玄関近くの物置のあたりは段ボール箱や何やらが散らかっていたから、たぶん何かに足でもぶつけたんでしょう。

どこにいるのかわかりませんでしたが、とりあえず「ゴメンね」って謝っておきました。

それから、数日前はじめてその姿(シルエットだけですが)を見ました。

夜中に枕元でサラサラと音がするので見てみると、小さな子が屈んでいました。

すると一瞬でその姿は消えて、今度は部屋の隅に立っていました。

夜中、突然のことだったので驚いて声をあげてしまいました。

すぐにその子は消えました。

驚かせてしまったかなって、少し後悔しています。

その後、気配を感じないので、またどこかに行ってしまったかな。

またそのうち戻って来てくれればいいけど。

いずれにしても、うちのざしきわらしは巷で言われているような「繁栄」は一切もたらしていません(笑)。

それでも、子どもがもう一人増えたようで、なんだか可愛いのです。

繁栄しなくても、それほど良いわけでも悪いわけでもない、「ちょうど良い感じ」でいられるのは「わらし」のおかげかな、なんて思っています。


少し前まで建築、特に住宅の設計をしていました。

「高気密高断熱の家」とか「子どもが賢くなる家」とかいろんな謳い文句がありますが、「ざしきわらしの住む家」なんていうのをやってみれば良かったかな・・・。

 

前置きが長くなりましたが、宮沢賢治「ざしき童子のはなし」の朗読音源をつくりました。

ちょっとだけこわいけれど、美しく幻想的で可愛らしい物語です。

眠れない夜にでもお聴きいただければ幸いです。

youtu.be

 

 

海風 山風 五感のリセット

先日、静岡市では40℃超という記録的な猛暑に。

この辺りは静岡市からはそれほど離れてはいないのですが、海沿いということもあってか、32℃ほどですみました。

地形でこんなに違うものなのか、と驚きます。

室内は29~30℃でした。

クーラーを使わなくても(無いのですが 笑)、扇風機でしのげる程度です。

海風や緑陰のありがたさ、心地よさを感じた一日でした。

建築の世界には、環境分野の様々な数値や基準がたくさんあります。

○○値みたいなものですね。

講習会や研修会に参加して、かつて一生懸命学びました。

十分理解していたつもりでしたが、「詳しいお施主さんの方がはるかに詳しい」現実に、すっかり自信を無くして、何となくその世界から離れていきました。

○○値も○○ハウスも再生可能エネルギーもSDGSも、もはや遠い世界に。

 

けっして、逆張りや何かということではなく、今はただ五感を信じて建築を考えたいというだけです。

海風、山風、木陰の冷気、朝晩の涼しさ(宿題は朝の涼しいうちに!)、西日を遮ること、軒を深く出すこと、打ち水・・・。

打ち水はかえって水蒸気が・・・、みたいな話もありましょうが、もうそういうやりとりからも、そっと距離を置いています。

気持ちが涼しくなればいいから。

風鈴も吊るしています。

その音色は自分の体感では1℃位下がります。

世界が内も外もひどいことになっていて、すべてにまともに向き合っていたら心がもちません。

環境の数値と同じように、かつては様々な情報を集めて勉強し、どんな事に対しても自分の考えを言えるように心がけてきました。

「ちょっと、よくわかりません。」っていうのは恥ずかしい事だと思ってたんです。

でも、情報を入れれば入れるほど感覚が麻痺して、疲れるようになってきました。

その「自分の考え」というのも、誰かの考えのリミックスだったりしますし。

 

現状から目を背けるというわけではないのですが、最近はできるだけ情報を遮断して、五感のリセットをするようにしています。

もうマスメディアやネットニュースに触れなくなって、ずいぶん経ちますが、それでもどこかしら自分の中にそういったものは侵入してきます。

使える時間とエネルギーは限られているから、もう少し絞らなくては。

 

信頼できる人の本や記事を読んで、信頼できる人と話をする。

いつも読ませていただいているブログの記事も、自分にとっては信頼できる人との対話です。

本やブログの記事を読んで、こんな謎の日記を書きながら、五感をリセットしていこうと思っています。

 

すでに蝉が全力で鳴いています。

フレーミングで「なかったことにする」インテリア写真

随分昔のことですが、一級建築士を取得する前にインテリアコーディネーターの資格を取得しました。

まだ経験の浅い頃でしたので、たくさんの優れたインテリアや家具などを見てまわって、もちろんテキストでも懸命に勉強しました。

更新料がもったいなくて、結局、資格そのものは失効させてしまったのですが・・・。

あんなに頑張ったのにって、失効する直前は少しだけ逡巡しましたが、あの勉強した日々と得た知識・経験こそが大事だなんて納得して、そのまま失効させました。

もう、履歴書にのせてどうこうということも無さそうでしたし。

 

試験会場だった晩秋の青学のキャンパス。

秋の冷たい空気に触れると、今でもあの雰囲気を懐かしく思い出します。

 

それで、本当はインテリアには相当な思い入れがあります。

仕事としてはなかなか機会がなくなったので、せめて自宅だけは、と思っているのですが、今はひたすら散らかしてエントロピーを増大させる一方の生き物が一人いるので、なかなか思うようにはなりません。

 

インテリア。

娘が独り立ちしたら、思う存分やってみようと思っています。

そういう意味では自宅のインテリアコーディネートは、まだスタートしてもいないのかもしれません。

 

それでも室内の経年変化は定期的に写真に収めるようにしています。

まともに撮ったら大変な状態が写り込みます。

ただ、いくら片づけても無駄なのですっかり諦めて、もうそのままです。

カメラのフレーミングのみで乗り切ります。

そうと決めたら、意地でも片づけません(笑)。

修正も無しです。

ここしかない、という構図を決めてパシャパシャと撮っていきます。

フレームの外側は、なかったことにさせてもらいます。

意外と何とかなるものです。

あと30cmずれたらカオスです。

理想のインテリアを夢見て、図面とパースと脳内で妄想する日々は、あと数年続きそうです。

 

どこに行くのかデスクツアー

ネット上でよく見かける「デスクツアー」みたいな写真を撮ってみようと、うっかり思ってしまったのですが、どうにもお洒落でなく、早々に諦めました。

奥の方で仙台四郎さんが座ってたりします。

仙台市民なので、仙台四郎さんは大切にしています

特に商売繁盛はしませんでしたが、贅沢をしなければ己のようなものでも何とか食べてはいけるので、四郎さんのおかげかもしれません。

 

自分は本来一級建築士で、建築やインテリアをやる人のはずなのですが、もはや机からその面影は感じられません。

パソコン上に立ち上がるのもCAD(製図ソフト)よりDAW(作曲ソフト)の方が多くなりました。

眼のリハビリが進めば復帰するつもりなのですがいつになるやら。

 

机の隅には建築士であることを忘れないように、愛用のシャーペンと三角スケール、ブラシが置いてあります。

そして、ややこしいのですが、そもそも文学部の出身なので、それも忘れないように「日本古典文学全集」も一番近くに置いてあります。

自分はいったいどこに行くのか・・・。

リハビリ次第だけど、成り行きにまかせようかな。

「うたのおにいさん」の「本当は・・・」を、ずっと考えていた

(お金をとる)放送局に勤めていた20代。

自分には不向きな世界でストレスだらけだったけれど、ただ一つの癒しのお仕事、

おかあさんといっしょ

子ども達の笑顔に、自分の汚れた心が洗われていくようでした。

 

あまりそんな機会は無かったのですが、一度だけ、出演者、スタッフ揃っての打ち上げに参加しました。

たまたま「うたのおにいさん」の近くに座りました。

どのくらい直接お話できたのか覚えていないのですが、(大きな声が出ないので宴会では「負けて」しまうのです)

おにいさんの語った一言を印象深く記憶しています。

 

「本当は・・・」

少し照れていました。

「演歌歌手になりたかったんですよ・・・。」

 

そのギャップに驚きました。

なりたかったというより、一度演歌歌手としてデビューされていたとのことでした。

その後、オーディションを受けて「うたのおにいさん」になったそうです。

 

私には「おかあさんといっしょ」の「うたのおにいさん」は天職のようにみえました。
輝いていました。

実際、その後「うたのおねえさん」とともに大人気になり、

ある年齢以上の人は誰でも口ずさめる大ヒット曲も生まれ、

紅白にも出場しました。

本当は演歌であのステージに立ちたかったのかな。

 

私は勢いでそこを辞めてしまったので、その後お会いする機会はありませんでしたが、何となくおにいさんの「本当は・・・」がずっと気にかかっていました。

 

その後十年以上を経て、おにいさんが大変重い人生を背負ったことを報道で知りました。

それでも、おにいさんはそのお人柄のまま、誠実に真摯にその事実に向き合い、数年後また歌の世界に戻られました。

変わらず、その歌で、多くの人に愛されているようです。

歌は演歌ではありません。

 

おにいさんの「本当」はシンプルに、「歌う」ことだったんだと思います。

「本当」は歌で人の心を温めること。

 

おにいさんの言葉を通じて、ずっと自分の「本当」のことを考えていました。

 

子どもの頃から抱えていた眼のトラブルが悪化して、図面を描くことが困難になってしまいました。

本当は、図面をバリバリと描いて

本当は、自他ともに認める建築家になって

本当は、世界中を駆けまわって

本当は、後世に残る建築を残したかった。

リハビリ次第ですが、少し難しそうです。

 

ただ、おにいさんのはにかんだ笑顔を思い出すたび、自分の本当って本当なんだろうかって考えます。

もし、おにいさんの「本当」が「演歌歌手」ではなく、「歌う」ことだったなら・・・。

自分の「本当」は、ただ

「美しい空間をつくること」、なのでは。

もう建築に拘る必要はないのかも。

空間を満たすものは、音や光、香りや詩であってもいい。

本当は、何か美しいものを残したい。

多くの人の目や耳に触れなくても構わない。

誰にも知られなくていいから、

本当は、美しいものをひっそりと、この世界に残して、ここを去りたい。

 

図面を描けない自分に、何か月も落ち込んだままでいたけれど、

そろそろ切り替えないと。

もう顔を上げよう。

 

途中から新年(遅)の抱負になってしまいました。

最後の授業参観と成長のドア

今日は最後の授業参観。

幼稚園の頃から中三までの12年間。

たくさんの思い出がぐるぐる巡って、廊下で倒れそうになりました。

 

様々なことがひとつずつ静かに終わっていきます。

何か新しく始めないと、このまま何もかも終わってしまいそう。

 

この土地にこの家を建てたのは、娘の小中学校に近かったから。

通学路になっている前の道には、いつも登下校の子どもたちの賑やかな声が響いています。

その渦に紛れて娘も出かけていきました。

まもなくそこから離れます。

この家の役目も、もう終わろうとしています。

自分で設計して、できる範囲で施工もした家だけど、不思議と終の棲家には思えませんでした。

いつかここを離れることの予感をはらんでいたのかも。

私達はドリフターなので、また旅に出るのかもしれません。

 

まあ、それでも、感傷に浸っているのは(父)親だけで、子どもの方は諸々なぎ倒して前に進んでいきます。

 

真島 昌利さんの名曲「夏が来て僕等」の最後の一行。

夏が来て僕等 成長のドアを足であけた

これでいいんですね。

雨の国の屋根の家

その敷地にどんな屋根を浮かべたいか。

そこから考えます。

堅牢かつ軽量で美しい屋根。

形状・素材・性能・軒の出。

 

もし2階建であれば、その屋根の荷重を支える2階の設計をします。

それから、屋根と2階の荷重を支える1階の設計をします。

その後、そのすべてを支える基礎の設計です。

上から下に向かって設計します。

もちろん平面プランも頭の隅に置きつつですが。

それでも、屋根とそれを支える構造を最優先します。

 

雨の国の家は「屋根の家」

シドニーのオペラハウスで有名な建築家ヨーン・ウッツォンは、日本建築のスケッチで、基壇とその上に浮かぶ屋根だけを描きました。

その慧眼で本質を見事に捉えています。

と言いつつ、もちろん陸屋根に屋上防水が適している場合だってあります。

ケースバイケースですね。

あと、好みですね。

 

軒の深い屋根は傘。

陸屋根と防水処置は雨合羽。

好みです。

自分は傘が好きですが。

あまりにも美しい、わずか2行の珠玉。

三好達治「雪」

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

この詩を奥様に朗読してもらいました。

「太郎の屋根」「次郎の屋根」という表現が胸を打ちます。

私にとって、「雪」の詩でもあり、子どもたちを優しく守る「屋根」の詩でもあります。

朗読すると20秒たらず。

音楽をつけるのにはあまりに短いのですが、つくってみました。

太郎に2小節、次郎に2小節(笑)

それぞれ割り当てました。

youtu.be

風信子の家 4.3坪の夢

自宅は経済の事情で小さな平屋になるようで、設計をしていた10年ほど前、古今東西の「小さな家」研究を随分としました。

同時代のもの、特に戦後の日本は物資の不足や土地の狭さなどもあり、それは一つのジャンルのようなものを形成していて、有名建築家の実験的な「小さな家の系譜」のようなものが存在しています。

ただ、建築家特有の難しい理屈に馴染むことができず、次第に、もっと「本質だけ」でできているような古典作品に範を求めるようになっていきました。

 

古くは(古すぎますが)

鴨長明先輩の「方丈の庵」

それから、

HDソロー「森の小屋」

ル・コルビュジエカップマルタンの休暇小屋」

そして、

立原道造さんの「ヒアシンスハウス」

 

特に、「ヒアシンスハウス」のスケッチには心を奪われました。

まだ実作の無い、若い建築家の夢の結晶。

立原道造さん(1914-1939)

建築家で詩人。

東京帝国大学工学部建築学科では丹下健三さんのひとつ上の学年。

丹下さんも憧れの眼差しを注ぐほどの才能だったようです。

在学中に辰野賞を3度受賞。

一方、詩人としても、中原中也賞の第1回受賞者。

私にとっては、建築家・詩人というより、「ものをつくる人」としての理想の存在です。

 

病のため24歳で夭逝してしまったため、「ヒアシンスハウス」は、実際に建築されることはなかったのですが、現在はスケッチをもとに、さいたま市別所沼公園に再現されています。

 この動画でわかりやすく紹介されています。

youtu.be

僅か4.3坪のワンルーム

(おそらく恋人と過ごす)週末住居の想定ということで、キッチンと浴室がありません。

 

我が家は24坪ありますが、それでも平屋のワンルームなので、空間の雰囲気は近いものがあります。

自分にとっての「ヒアシンスハウス」になっていればいいなと思います。

 

最近、立原道造さんの詩をよく読んでいます。

「ヒアシンスハウス」のスケッチを眺めながら、それらを読むと、より心に響くものがあります。

生前は実作を建てる機会に恵まれなかったけれども、その世界は詩と共に永遠のものになりました。

 

ここのところ、半年で壊してしまうハリボテを設計して上気している「建築家」に辟易していたのと、以前は多少なりとも彼らに憧れていた己の節穴ぶりに落ち込んでいたのですが、そんな自分への「おくすり」になっています。

 

どこまでも透明で美しい詩

「夢みたものは・・・・」

奥様に朗読してもらって、繰り返し聴いていました。

夢見たものは‥‥

立原道造

 

夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

 

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

 

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

この詩には木下牧子さんによる、大変美しい曲がつけられています。

youtu.be・・・と、自分で極限までハードルをあげつつ。

私もこの詩にあてて、曲をつくってみました。

朗読を聴いている時に自分の中に流れていた音をなんとか引っ張り出して、弾けもしないピアノで徒につくったものです。

youtu.be

宴たけ宣言と三幕構成

私は、お酒を一滴も飲めません。

昔ビールを2~3杯飲んで救急車で運ばれました。

サイレンの音は微かに聴こえたのですが、

朝、意識が戻った時には病院のベッドの上。

 

山の中の小さな病院でした。

窓から白い光が差し込み、

樹々の梢からは小鳥のさえずりが。

ディズニーのプリンセスになったみたいでした。

両腕に点滴が刺さっていましたが(笑)。

そんな走馬灯。

 

そういう具合なので、宴会では「お前しらふだろ」、ということで

会の進行やら会計やら諸々雑用がまわってくる羽目になります。

お酒が入るとやや荒くれる皆様に囲まれていました。

宴会は収拾がつかない状態になりがち。

そのうち、一旦、中締めが必要なタイミングがやって来ます。

そんな時には終始冷静な自分が、

「え~、宴もたけなわですが・・・」

という「宴たけ宣言」を発出して、強制終了させます。

そして、二次会へ。

そして、その繰り返し・・・(泣)。

 

前置きが長くなりましたが。

景気循環でいったら、「クズネッツの波」くらい、

20~30年周期で、

自分の中にいる「賢人」のような人(白い髭をたくわえている)が、

その「宴たけ宣言」を高らかに発することがあります。

 

20代の終わり頃にそれで一度、衝動的に辞表を出しました。

そしてもう2~3年したらそろそろかなと思っていたら、

先日、突然「え~、宴もたけなわですが・・・」が脳内で響き渡りました。

収拾がつかない状態をリセットする「宴たけ宣言」

 

眼の状態が悪化したこともあるのかもしれませんが、

もやもやを断ち切らないと前に進めない、

それをよく知っている賢人さんー直観のようなものー、が

私を操縦しているような気がします。

 

自分でも何故そんな事をしているのかわからない

そんな時はその直観に素直に操縦されてしまおう。

意味はそのうちわかるかな。

 

長いこと加入していた業界団体と協会の退会手続きを準備しています。

お世話になりました。

世間的なかたちとしては、一旦廃業に向かうことになります。

でも、新しく始めたいことが山ほどあって、楽しみでしかありません。

一級建築士であることは変わらないので、

場末の文系建築士として、

建築にも今までとは違うかたちで向き合っていこうと思っています。

むしろ、幅がひろがりそう。

 

あの、意識が戻った朝の白い光のように、希望が差し込んできます。

 

「発端」・「中盤」・「結末」

「設定」・「葛藤」・「解決」

ハリウッドの脚本にある「三幕構成」のようなものかもしれません。

一幕目も二幕目も自ら強引に下ろしました。

これから三幕目。

新しい宴。

どんなエンディングに向かうかはわかりませんが、楽しみです。

 

家族の皆様の深い理解に感謝。

恋しい家こそ 私の星空

家について

あれこれと七面倒なことを時々言ったりしますが、

本当は何でもいいと思っています。

 

木造でも、鉄骨造でも、RC造でも

外断熱でも、内断熱でも

屋根は切妻でも、寄棟でも、片流れでも

壁は白でも、黒でも

持ち家でも、賃貸でも

なんでも、人それぞれ

全部まとめて、大正解。

 

日が暮れた頃、

ああ、早く家に帰りたいなあ、

そう思えたら、

恋しい家になったら、

それはもう名作住宅。

 

夕暮れに 仰ぎみる 輝く青空
日が暮れて たどるは 我が家の細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の灯影の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

 

私の青空」 My Blue Heaven     訳詞 堀内敬三

1927年に発売された、アメリカのスタンダードナンバー My Blue Heaven

Blue Heaven堀内敬三さんは「青空」と訳しました。

ちなみに、大滝詠一さんはこのMy Blue Heavenをカバーした際に
タイトルを「私の天竺」としました。

大滝さんらしいです。

日が暮れた後だから、私は星空がいいなと思います。

youtu.be

昨夜のふたご座満月。

少しだけ顔を見せてくれました。

家も根を張る

昔の写真データを時々整理します。

娘の赤ちゃんの頃の写真なんかを眺めていると日が暮れます。

 

我が家の赤ちゃんの頃の写真も出てきて、しばらく眺めていました。

久しぶりに会ったような気がします。

今は緑に覆われていてほぼ屋根しか見えないので、いろいろ忘れていました。

こんなプロポーションの家だったのか、へえーみたいな感じです。

宇宙船が不時着したみたいで、変な感じ。

敷地に馴染んでいません。

模型を地面に置いたようでもあり、風が吹いたら飛んで行ってしまいそうです。

夜景。

今は、庭やお隣さんの緑と相まって、家も土地に根を張ったように環境と一体化しています。

建築そのもののデザインは自分でするけれど、その後は自然の差配。

風化・ウェザリングも含めて。

少し手は入れるけれど、あとはお任せです。