蚊が出なくなったので、久しぶりに庭のパトロール。
4本あったキンメツゲのうち、1本が枯れていました。
そこそこ日も当たるし、水も撒いていたのですが・・・。
枯れた一本だけは窓から見えない位置にあったのでした。
ですから、それにまったく気づきませんでした。
そういえば長いことキンメツゲのこと、考えたこともなかった。
自分調べの、何の根拠もない定理。
半年間視野に入らず、意識にものぼらなかった植物は枯れる(ことがある)。
枯れたキンメツゲも「見られることもないなら、存在してても・・・」みたいな、存在するのをやめたかのような枯れ方でした。
「誰もいない森で倒れる木は音をたてるのか」みたいな、認識論あるいは量子力学的な問いを思いました。
思い出したのは、「星の王子さま」に出てくる、王子さまとキツネとの会話。
そこでは、おそらく最も重要な単語apprivoiser(アプリヴォワゼ)が登場します。
「君とは遊べないよ。僕はまだapprivoiserされてないから。」
長い間、apprivoiserは「飼いならす」と訳されてきたようですが、学生時代、フランス語の授業か何かで読んで以来、しっくりこない謎の言葉でした。
「仲良くする」、「なじみになる」など様々あるようですが、多分ぴったり当てはまる日本語が無いのでしょう。
何度も読むうち、「飼いならす」の部分は自分の中で別のイメージをもって読むようになっていました。
そのイメージは「ずっと気にかけていること」。
それから「それで何かを失ったとしても、かけがえのない関係を築くこと」。
人が住まなくなり、放置された家は朽ちてきます。
庭も、人の手が入らなくなるとすぐに荒れてしまいます。
家も庭も、いつも気にかけていないと、自分の心が離れてしまうと、途端に駄目になってしまいます。
愛憎入り混じりつつも、この家や庭をapprivoiserしています。
王子さまが星に残してきたバラを想うように。
西日で痛めつけられた外壁や基礎を何度でも補修し、葉が焼けたヒメシャラに、できるだけの手当てをします。
心無い工事で綻びのある部分を、どんなに手間がかかっても執念で直し、取替え、本当の自分の家に変えていきます。
時間をかけます。
時間をかけるということは、命を使うということ。
「星の王子さま」文中の表現を借りて言い換えれば、
私が、私の家と庭のために失った時間こそが、私の家と庭をかけがえのないものにしているのです。