人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

もう一度逢いたい

昨年、旅先でふらっと寄った八代亜紀さんの作品展。

油絵も素敵だったのですが、書道の迫力にも感激しました。

特に会場の奥に展示されていた「舟唄」。

八代亜紀さん以外、他の誰にも書くことのできない「舟唄」。

唄声が聞こえてくるような唯一無二の存在感を放っていました。

写真を撮れなかったので眼に焼き付けて帰ってきました。

帰宅してからは、すっかり八代亜紀さんブームに。

今度、BLUENOTEのステージがあったら絶対行きたい、なんて話していたら病気療養のニュースが。

それから、あっという間に旅立ってしまわれました。

 

憧れの先輩方の旅立ちの報に触れることが増えてきました。

年齢的には仕方のないことかもしれませんが、寂しいです。

 

私もハスキーなのでハスキーの大先輩。

亜紀姐さんの数ある名曲・名唱の中で大好きなのは「もう一度逢いたい」。

ハチロクのロッカバラード。

詩・曲・アレンジ、そしてもちろん歌唱。

全てが完璧な「正調ニッポンのブルース」ですね。

youtu.be若い頃勤めていた(お金をとる)放送局では、たくさんの演歌歌手の皆様とお会いすることができたのですが、八代亜紀さんにはその機会がありませんでした。

ですから、「もう一度逢いたい」ではなくて「一度でいいからお会いしたかった」です。

 

冠二郎さんも旅立たれましたね。

まだ新人で、ろくに仕事もできない私に、本当に気さくに優しく接してくださいました。

時々、その優しさを思い出します。

冠二郎さんは本当に優しかった・・・」なんて、ご飯を食べながら話していた2日後の訃報でした。

 

本当に寂しいことが増えてきました。

昨年、ジェフベックの訃報に接したときも思ったのですが、もともと会うことは叶わないんだから、どこかで生きていると思うことにしようと思います。

雨の国の屋根の家

その敷地にどんな屋根を浮かべたいか。

そこから考えます。

堅牢かつ軽量で美しい屋根。

形状・素材・性能・軒の出。

 

もし2階建であれば、その屋根の荷重を支える2階の設計をします。

それから、屋根と2階の荷重を支える1階の設計をします。

その後、そのすべてを支える基礎の設計です。

上から下に向かって設計します。

もちろん平面プランも頭の隅に置きつつですが。

それでも、屋根とそれを支える構造を最優先します。

 

雨の国の家は「屋根の家」

シドニーのオペラハウスで有名な建築家ヨーン・ウッツォンは、日本建築のスケッチで、基壇とその上に浮かぶ屋根だけを描きました。

その慧眼で本質を見事に捉えています。

と言いつつ、もちろん陸屋根に屋上防水が適している場合だってあります。

ケースバイケースですね。

あと、好みですね。

 

軒の深い屋根は傘。

陸屋根と防水処置は雨合羽。

好みです。

自分は傘が好きですが。

あまりにも美しい、わずか2行の珠玉。

三好達治「雪」

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪降りつむ。

次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪降りつむ。

この詩を奥様に朗読してもらいました。

「太郎の屋根」「次郎の屋根」という表現が胸を打ちます。

私にとって、「雪」の詩でもあり、子どもたちを優しく守る「屋根」の詩でもあります。

朗読すると20秒たらず。

音楽をつけるのにはあまりに短いのですが、つくってみました。

太郎に2小節、次郎に2小節(笑)

それぞれ割り当てました。

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風信子の家 4.3坪の夢

自宅は経済の事情で小さな平屋になるようで、設計をしていた10年ほど前、古今東西の「小さな家」研究を随分としました。

同時代のもの、特に戦後の日本は物資の不足や土地の狭さなどもあり、それは一つのジャンルのようなものを形成していて、有名建築家の実験的な「小さな家の系譜」のようなものが存在しています。

ただ、建築家特有の難しい理屈に馴染むことができず、次第に、もっと「本質だけ」でできているような古典作品に範を求めるようになっていきました。

 

古くは(古すぎますが)

鴨長明先輩の「方丈の庵」

それから、

HDソロー「森の小屋」

ル・コルビュジエカップマルタンの休暇小屋」

そして、

立原道造さんの「ヒアシンスハウス」

 

特に、「ヒアシンスハウス」のスケッチには心を奪われました。

まだ実作の無い、若い建築家の夢の結晶。

立原道造さん(1914-1939)

建築家で詩人。

東京帝国大学工学部建築学科では丹下健三さんのひとつ上の学年。

丹下さんも憧れの眼差しを注ぐほどの才能だったようです。

在学中に辰野賞を3度受賞。

一方、詩人としても、中原中也賞の第1回受賞者。

私にとっては、建築家・詩人というより、「ものをつくる人」としての理想の存在です。

 

病のため24歳で夭逝してしまったため、「ヒアシンスハウス」は、実際に建築されることはなかったのですが、現在はスケッチをもとに、さいたま市別所沼公園に再現されています。

 この動画でわかりやすく紹介されています。

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僅か4.3坪のワンルーム

(おそらく恋人と過ごす)週末住居の想定ということで、キッチンと浴室がありません。

 

我が家は24坪ありますが、それでも平屋のワンルームなので、空間の雰囲気は近いものがあります。

自分にとっての「ヒアシンスハウス」になっていればいいなと思います。

 

最近、立原道造さんの詩をよく読んでいます。

「ヒアシンスハウス」のスケッチを眺めながら、それらを読むと、より心に響くものがあります。

生前は実作を建てる機会に恵まれなかったけれども、その世界は詩と共に永遠のものになりました。

 

ここのところ、半年で壊してしまうハリボテを設計して上気している「建築家」に辟易していたのと、以前は多少なりとも彼らに憧れていた己の節穴ぶりに落ち込んでいたのですが、そんな自分への「おくすり」になっています。

 

どこまでも透明で美しい詩

「夢みたものは・・・・」

奥様に朗読してもらって、繰り返し聴いていました。

夢見たものは‥‥

立原道造

 

夢見たものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

 

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊ををどつてゐる

 

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

 

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と

この詩には木下牧子さんによる、大変美しい曲がつけられています。

youtu.be・・・と、自分で極限までハードルをあげつつ。

私もこの詩にあてて、曲をつくってみました。

朗読を聴いている時に自分の中に流れていた音をなんとか引っ張り出して、弾けもしないピアノで徒につくったものです。

youtu.be

イツモシヅカニワラッテヰル

年老いた両親は日ごと子どもにかえっていきます。

毎週、娘の顔を見せに行きますが、ただいつも静かに笑って、こちらの体の心配なんかしています。

もとは、二人ともなかなか厳しい人で、私とは衝突続きでした。

「二度と敷居をまたぐな」とか「葬式にも来るな」とか、何度も言われましたが、
今は「いらっしゃい」なんて言って、ニコニコしています。

 

自分の経験から、こういった状態になったとき、さらに厳しい性格になることを覚悟していたのですが、拍子抜けするほど穏やかです。

 

父は元数学の教師らしく娘の数学の心配ばかりしていて、タンジェントがどうとかずっと言っています。

整理整頓好きで几帳面な母は、カレンダーの数字が綺麗に順番に並んでいることをしきりに感心したり、先月と似ていてややこしいなどと困惑していたりします。

長女と長男を立て続けに失ったり、苦労続きだったから、この方が幸せなのかな、よくできてるな、なんて思ったりします。

恩寵。

こんな日々が続けばいいなと思います。

 

自分も、何かと戦ったりするのは十分やったので、もう勘弁してもらって、これからは「いつも静かに笑っている人」になりたい。

そう思う、年の初めです。

 

宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。

若い頃にはピンとこなかったけれど、今は心に染みます。

私もサウイフモノになりたい。

 

東北弁ネイティブの奥様に「雨ニモマケズ」を朗読してもらい、先日作った曲をリサイクルして、うっすらかぶせました。

youtu.be

 

悲愴感に沈んでしまわないように

放っておいたらどこまでも沈んでしまいそうな時には、
古の諸先輩方のことば達に耳を傾けます。

どこか疼いたとしても、いつかは思い出に変わる時が来るのかもと思えれば、
なんとかやっていけます。

百人一首 68番歌

心にも

あらでうき世に

ながらへば

恋しかるべき

夜半の月かな

   三条院

【現代語訳】

心ならずも

このはかない現世で

生きながらえていたなら

きっと恋しく思い出されるに違いない

この夜更けの月を

 

藤原道長のハラスメントや眼病に苦しみながら眺めた月。

三条院がどんな気持ちで、その冬の月を眺めていたのかを考えると胸が苦しくなります。

ただ、寂寥のなかにも生きる望みを感じられるのが、このうたの救いです。

 

悲しみの中に小さな光が灯る救済のうた。

こんなに悲しい年の初めの、自分へのおくすりです。

 

悲愴感に沈んでしまわないように、
「『悲愴』(ベートーヴェン  ピアノソナタ第8番 第2楽章)になりそうでならない曲」をつくって、このうたをのせてみました。

オマージュなんていうには稚拙すぎますので、
パロディのようなものです。

今日、突貫工事でつくったので雑なものですが、
令和6年(昭和99年!)の年初の心象スケッチとして残しておきたいと思います。

 

朗読は奥様にお願いしました。

英語部分は「音読さん」の読み上げです。

youtu.be

 

 

うちの二戒は大方正しかったと思った昭和98年の大晦日

昨年からサンタクロースも来なくなり、
娘が受験生ということもあって、
気がついたらクリスマスも過ぎ、大晦日になっていました。

独学派だった娘も塾の冬期講習に通うことになり、
塾の送り迎えという受験生の親らしいお勤めを楽しんでいます。

元日は朝から夜まで講義があるらしく、
昭和(明日から昭和99年です)みたいです。

それも良い思い出になるのかなと思っています。

やりたいことを思い切りやって
悔いのない10代を過ごしてほしいです。

 

小さな頃は、将来こんなことをやってくれたら、
なんて少しは思ったりしましたが、
早いうちにそれは親のエゴだと気づき、
庭の木が自由に枝を伸ばすように、
その都度興味のあることに全力で取り組んでくれれば、
それが一番だなと思うようになりました。

見守るだけです。

 

ただ2点だけ、小学生の頃から言い聞かせ続けてきたことがあります。

権力(権威)

芸能界

この2つには決して近づいてはいけない。

うちの二戒です。

娘も良くわかっているようです。

大きなポイントを外さなければ将来も安心でしょう。

 

今年はそれが大方正しかったことを実感する一年でした。
時代の変わり目ですね。
ようやく昭和も終わる感じです。

子ども達や弱い人が泣かない社会に、
少しづつでも変わっていけばいいなと思います。

 

眼の具合がよくなくて、投稿のペースが落ちてきましたが、
マイペースで続けていこうと思います。
今後ともよろしくお願いします。

皆様、良いお年をお迎えください。

その大物感が欲しい

「いってきます」(少し不機嫌)

「ただいま」(少し不機嫌)

娘のそんな声も、あと数年。

大切に聞かないと、なんて思います。

 

先日の朝、いつものように「いってきます」(少し不機嫌)が聞こえたので振り返ると、娘がTシャツに短パン姿で、鞄を背負って玄関を出ようとしています。

「えっ、・・・ちょっ、ちょっと・・・」

「あ、制服着るの忘れてた・・・」

 

荷物を準備して、玄関に全部きれいに揃えて、そのまま手ぶらで出かけたことは何度かありますが、制服を着ないで出かけようとしたのは初です。

なかなかの大物感をまとっております(笑)。

 

私は自分で嫌になるくらい、とにかく慎重。

大きな失敗はしない代わりに、何だかつまらない人のような気がしていました。

この小物感は今更ぬぐえないかもしれませんが、これからは娘のように「雑」に生きたいなと思う年の瀬です。

「雑」に生きることを新年の抱負にする人はいないでしょうが、娘を師と仰ぎ、来年は気楽にやりたいと思います。

 

何十年も抱えてきた面倒な「責任感」をそろそろ捨てよう。

今までお疲れ様。

何かあっても、そのうち誰かが何とかしてくれる。

もう、それでいいや。

新食感 飴パン 【今日のおやつ】

そういうシリーズは無いのですが(笑)。

長い文を書けないので、ただ「おやつを食べた」という日記です。

 

自分も含めて、家族はアレルギー体質なので、よく自家製のおやつをつくります。

水に砂糖を入れて火にかけて、カラメル状になったら、パンに塗って乾かす。

雑なレシピです。

ただ、相当美味い。

パンも自家製です。

りんご飴のパン版ですね。

パリっとした面白い食感です。

ちいさな ちいさな おんなのこ

本の読み聞かせをした記憶は大切な宝物です。

その時は体力的にも精神的にも疲れ果てていたような気がするけれど、
もうディテールなんかとんでしまって、何か温かいものだけが残っています。

 

絵本は一冊だって処分できません。

幼稚園の園服なんかは卒園したら、すぐ人に譲りました。

もともと譲ってもらったものだし。

でも本だけは無理なようです。

 

中でも大切なのは
「ちいさな ちいさな おんなのこ」

フィリス・クラシロフスキー 文 / ニノン 絵 / 福本 友美子 訳(福音館書店

昔あるところに小さな女の子がいました。
猫より犬より薔薇の木よりも小さくて、垣根の向こうも見えないほどの。
でも、少しずつ大きくなって、できなかったことが少しずつできるようになります! 
金魚鉢に手が届くし、猫もだっこできるし、新しい大きなベッドだって買ってもらいました!
誰もが経験したことのある、成長することの素朴な喜びを、淡く繊細な絵と平明な言葉で描きます。
小さなあなたにも、小さかったあなたにも、みんなに届けたい、あたたかなストーリー。

 

   出版社の紹介文より

 

絵も文も美しい大好きな絵本。

こんな風に「おねえさん」になっていくなんて、

はるかかなたの遠い未来のように感じていた日々。

そんな成長を見守るのが楽しみでした。

 

ところが、ドタバタと嵐を避けて、

降りかかる火の粉を払いのけているうち、

気が付くと赤ちゃんだった娘は、

この本の中で成長した「おねえさん」をあっという間に抜き去って、

何やら面倒な反抗期娘に・・・。

 

うっかりしていました。

一番大切なときを見ていませんでした。

どんなに後悔しても時は巻き戻せません。

だから、もう何があっても目を凝らして、目を離さない。

これからも嵐はやってくるかもしれないけれど、

大切なものと、どうでもいいことを見極める目を持とう。

そう決めたのでした。

 

Drifterに憧れて ちっちゃい役人さんにさよならを

あちらこちら電話したり書類を送ったりして、
本日、世間的なかたちでは廃業しました。

清々した!。

監督官庁」というものから少し自由になりました。

建築士免許はあるから、まだ完全な自由ではありません。

首から身分証明書をぶら下げたちっちゃい役人さんが
頭の上に座ってるようで、何だか落ち着かないんですよね。

 

事務所名も同時に失いました。

デザインの仕事や家づくりの相談や暮らし方の提案なんかはしていくつもりなので、何か適当な名前を考えなくては。

なまはげ総研とかにしようかな。

・・・何だかわからないな。

 

社会の中で「所属」しているものは、町内会の隣組だけになりました。

幸い良い人たちに恵まれているので、ここは当分お仲間にいれてもらいます。

 

いつかは、自分の目指す最終形態ーDrifterになれたらいいな。

 

肝の据わった奥様と娘に感謝。

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左利きの風来坊

スプーンを持つのも、

お絵かきするのも、

ボールを投げるのも、

打つのも、

蹴るのも左。

 

小さな娘のそんな姿を見て心が躍りました。

私は右投げ右打ち。

(ある調査※によるとメジャーリーガーの63%が右投げ右打ち)

娘は左投げ左打ち。

(同調査では16%が左投げ左打ち)

正真正銘の、憧れの左利き。

矯正するなんてもったいない。

野球選手にはならないだろうけど。

少し困ったのは、小学校に上がって書道を習い始めた頃。

左で書くか右で書くか。

結局、先生の指導に従って本来の姿、

右で筆を持つことになりました。

 

並大抵の苦労ではなかったようです。

始めた頃は納得がいかなくて、よく泣いていました。

 

少し前に、その書道で何やら立派な賞をいただきました。

賞そのものについては素人でよくわかりません。

ただ、親バカではあるけれど驚くのは、

利き手ではない右手で書いた作品が、

一万点ほどの中から選んでもらえたということ。

 

後日、受賞のあいさつ文を提出することになった際に、

「利き手でなかったので苦労しました」みたいなことを書いてみたら~、

なんて私は言ったのですが、それは一切無視で(笑)、

娘は周囲への感謝の言葉だけサラッと書いて出してしまいました。

 

クールすぎだろ、

と思いつつ、自分のお猪口並みの器の小ささを思い知ったのでした。

 

左利きの人が持つ能力。

右脳や左脳や、

そんな脳科学的な観点から語られることが多いような気がするけれど、

左利きの強みは、そんなクールな適応力なのではないかと私は思っています。

 

ユニバーサルデザインが提唱されて久しく、

建築・インテリアの世界でもそれは大前提になっていますが、

それでも、まだまだ社会は右利きに最適化されたまま。

そんな社会の中で不便を感じながらも、

サラッと(本当は努力して)それに適応していく力。

そこに強さがあるのではないかと、娘を見ていて思います。

 

キリンジの名曲、ポップコーン

「左利きの風来坊」はこの曲の歌詞に出てきます。

このフレーズ、何だか好きなのです。

目の前の困難をなぎ倒して進む感じが、娘のようです。

youtu.be

野茂英雄さんがモデルとも言われています。

野茂さんは右投げですが。

でも、この曲のイメージにピッタリです。

 

※The Success of Sinister Right-Handers in Baseball

https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMc1711659

宴たけ宣言と三幕構成

私は、お酒を一滴も飲めません。

昔ビールを2~3杯飲んで救急車で運ばれました。

サイレンの音は微かに聴こえたのですが、

朝、意識が戻った時には病院のベッドの上。

 

山の中の小さな病院でした。

窓から白い光が差し込み、

樹々の梢からは小鳥のさえずりが。

ディズニーのプリンセスになったみたいでした。

両腕に点滴が刺さっていましたが(笑)。

そんな走馬灯。

 

そういう具合なので、宴会では「お前しらふだろ」、ということで

会の進行やら会計やら諸々雑用がまわってくる羽目になります。

お酒が入るとやや荒くれる皆様に囲まれていました。

宴会は収拾がつかない状態になりがち。

そのうち、一旦、中締めが必要なタイミングがやって来ます。

そんな時には終始冷静な自分が、

「え~、宴もたけなわですが・・・」

という「宴たけ宣言」を発出して、強制終了させます。

そして、二次会へ。

そして、その繰り返し・・・(泣)。

 

前置きが長くなりましたが。

景気循環でいったら、「クズネッツの波」くらい、

20~30年周期で、

自分の中にいる「賢人」のような人(白い髭をたくわえている)が、

その「宴たけ宣言」を高らかに発することがあります。

 

20代の終わり頃にそれで一度、衝動的に辞表を出しました。

そしてもう2~3年したらそろそろかなと思っていたら、

先日、突然「え~、宴もたけなわですが・・・」が脳内で響き渡りました。

収拾がつかない状態をリセットする「宴たけ宣言」

 

眼の状態が悪化したこともあるのかもしれませんが、

もやもやを断ち切らないと前に進めない、

それをよく知っている賢人さんー直観のようなものー、が

私を操縦しているような気がします。

 

自分でも何故そんな事をしているのかわからない

そんな時はその直観に素直に操縦されてしまおう。

意味はそのうちわかるかな。

 

長いこと加入していた業界団体と協会の退会手続きを準備しています。

お世話になりました。

世間的なかたちとしては、一旦廃業に向かうことになります。

でも、新しく始めたいことが山ほどあって、楽しみでしかありません。

一級建築士であることは変わらないので、

場末の文系建築士として、

建築にも今までとは違うかたちで向き合っていこうと思っています。

むしろ、幅がひろがりそう。

 

あの、意識が戻った朝の白い光のように、希望が差し込んできます。

 

「発端」・「中盤」・「結末」

「設定」・「葛藤」・「解決」

ハリウッドの脚本にある「三幕構成」のようなものかもしれません。

一幕目も二幕目も自ら強引に下ろしました。

これから三幕目。

新しい宴。

どんなエンディングに向かうかはわかりませんが、楽しみです。

 

家族の皆様の深い理解に感謝。

恋しい家こそ 私の星空

家について

あれこれと七面倒なことを時々言ったりしますが、

本当は何でもいいと思っています。

 

木造でも、鉄骨造でも、RC造でも

外断熱でも、内断熱でも

屋根は切妻でも、寄棟でも、片流れでも

壁は白でも、黒でも

持ち家でも、賃貸でも

なんでも、人それぞれ

全部まとめて、大正解。

 

日が暮れた頃、

ああ、早く家に帰りたいなあ、

そう思えたら、

恋しい家になったら、

それはもう名作住宅。

 

夕暮れに 仰ぎみる 輝く青空
日が暮れて たどるは 我が家の細道
狭いながらも 楽しい我が家
愛の灯影の さすところ
恋しい家こそ 私の青空

 

私の青空」 My Blue Heaven     訳詞 堀内敬三

1927年に発売された、アメリカのスタンダードナンバー My Blue Heaven

Blue Heaven堀内敬三さんは「青空」と訳しました。

ちなみに、大滝詠一さんはこのMy Blue Heavenをカバーした際に
タイトルを「私の天竺」としました。

大滝さんらしいです。

日が暮れた後だから、私は星空がいいなと思います。

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昨夜のふたご座満月。

少しだけ顔を見せてくれました。

満月は欠けているけれど

今夜は、ふたご座満月。

アメリカの農事暦ではビーバームーンと呼ぶそうですね。

ビーバーを捕まえるワナを仕掛ける時期という説、ビーバーがダムをつくり始める時期という説、様々あるようです。

お天気はどうかな。

月は美しいですね。

この世で最愛のものかもしれない。

地球の衛星でいてくれてありがとう。

 

百人一首のうたにも月は多く詠われていて、数えてみると12首。

・・・そんなに多くなかった(笑)。

もっとありそうな気がするけど。

でも素敵なうたが多い。

 

月見れば
千々に物こそ
悲しけれ
わが身ひとつの
秋にはあらねど

  大江  千里  

 

嘆けとて
月やは物を
思はする
かこち顔なる
わが涙かな

  西行法師  

 

夏の夜は 
まだ宵ながら
明けぬるを
雲のいづこに
月やどるらむ

     清原深養父

 

有明
つれなく見えし
別れより
暁ばかり
憂きものはなし

  壬生 忠岑  

有明の」には、月という言葉は無いけれど、「有明の月」を詠んでいると思うので、私はこれを「月のうた」に入れます!。(有明宣言)

 

 

私の眼で見る満月は欠けています。

藤原道長に教えてあげたい。

 

比較的体は丈夫なんですが、すべての災厄が眼に集中するらしく、子どもの頃から徐々に悪化して、視野は少し歪んで濁っています。

どんなに美しい景色でも、その本当の姿を見ることは叶いません。

だから自分が撮る写真は、「見ているはずのものは、本当はこういう景色です」という記録。

 

それでも夜は暗闇で濁りをマスクしてくれるから、少し嬉しい。

陰翳礼賛。

時々、世界がずっと夜だったらいいのに、と思うことがあります。

月は歪んでるけど。

 

ただ、人の体は大したもので、網膜では歪んでいても、脳に行きつくまでに根性で、ある程度補正することができます。

Photoshopに実装されている、AI補正みたいなものです。

人工じゃないからNI(Natural Intelligence)かな。

いやただの「I」か。

まあ、どうでもいいですが(笑)。

でも、その根性の「I補正」も少し疲れます。

 

一生に一晩だけでいいから、まんまるの満月を眺めてみたいな。

道長、代わって!。

 

それでも、月が好き。

欠けていても歪んでいても月への愛は変わりません。

 

今までつくった、「月のうた」につけた音楽。

拙い音たちだけど、月愛が溢れている気がします。

叶わぬ恋みたいなものかな。

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The Show Must Go On

眼の具合が悪く、すべての作業はお休み。

朝早くからクイーンのアルバムを聴いていました。

ファーストアルバム、QUEENの一曲目「Keep Yourself Alive」からフレディ生前のラストアルバムINNUENDO「The Show Must Go On」まで順に、途中ライブアルバムやフレディのソロを挟みつつ。

使い物にならない目を閉じて、全身が耳になっていた一日。

 

32年前、出張先に向かう電車の中で読んだスポーツ新聞でフレディが旅立ったことを知りました。

ウォークマンに入っていたLIVE KILLERSのカセットを聴きながら車中でシクシクしている変な人になっていました。

 

子どもの頃から大切にしているLIVE KILLERS(1979年発売)のレコード。

初回盤はカラーレコードでした。

フレディーのピンナップはソロアルバムの初回盤に入っていたもの。

こうしてキリっと見つめられると、

「大丈夫だ。なんでもやってみろ。」って背中を押されているようで、勇気が湧いてきます。

Freddie Mercury  1946年9月5日 - 1991年11月24日

 

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最近、The Show Must Go Onという言葉に軽薄なイメージがこびりついてしまって困っています。

今年の汚れは今年のうちに。

早く洗い流そう。

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