人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

ポーチは深く   [家と言葉]

ポーチ[porch]
西洋風の建築で、玄関先に屋根を張り出した所。車寄せ。[旺文社 標準国語辞典]

 

可能であれば、ある程度の奥行きが欲しい部分です。

 

玄関がドアの場合、日本では外開きが多いので、「いらっしゃい!」と元気よくドアを開けられたときに、頭を強打するか、避けようと後退したときに、うしろに転倒する可能性があります・・・。

 

どうして、日本では「外開き」なのかといいますと、主に雨仕舞の関係です。

「内開き」の場合、ドアの沓摺(下枠)が外側になるため、下部から雨が吹き込んでしまう可能性があります。(降雪量の多い地域の場合、内開きの方が良いという意見もあります。)

もう一つ。日本では玄関で靴を脱ぐため、家族が多くてたくさん脱ぎ散らかしてあると、開けた際、靴たちが「ザーッ」となります(笑)。

我が家は引き戸なので、どちらにせよ「ザーッ」となりません。

 

雨降りの日、傘をさしたりたたんだりするのにも、奥行きのあるポーチは助かります。
我が家では、外側に張り出すのではなく、2メートル位、深く引き込んだトンネルのようなポーチを設計しました。

ポーチは、気持ちの切り替えの場でもありますね。

例えば、友達とけんかをして仲直りをしに行ったとしたら・・・。

玄関の前で立ち止まって、いろんなことを考えます。

なんて言ったら仲直りできるだろう。

許してもらえないかな。

やっぱり、このまま帰ろうかな・・・。

こんな気持ちを優しく包んでくれる空間であったらいいなと思います。

 

折々の小さな物語が、染み込むように記憶を織り込んでいった先に、初めて単なる「建物」が「家」になるんだと思っています。

 

アプローチを、なんとか、頑張って、少しでも、長くしたい・・・  [家と言葉]

アプローチ[approach]
道路・門・から建物・玄関口までの通路または導入室間。[三省堂 スーパー大辞林]

 

門をくぐり、木々を眺めながら曲がりくねった小道をしばらく歩くと、ようやく家の姿が現れ・・・・。

敷地に余裕があればこんな設計をしてみたいと思いますが、なかなかそうもいきません。

 

我が家も建物から全面道路まで、軽自動車一台分の離れしかありませんので、そういうアプローチは夢のまた夢として、せめて少しでも距離を稼ぐために、ゆるくカーブして玄関ポーチに向かうようにつくりました。

植栽のために穴を掘っていると、やたらと大きな石が出てくるので、(写真ではわかりにくいですが)敷石にしています。

 

緑のトンネルを抜ける感じにしたいと思っていますが、あと10年位はかかりそうです。

わかってはいたものの、キンモクセイとソヨゴの成長スピードは本当にのんびりしていますね。

気長に待ちたいと思います。

家づくりは焦らず、そして楽しく

先輩の建築家からいただいた年賀状に、このように書かれていました。

「久しぶりに木造やりましたが、大変なことになってますね。」

本当に大変なことになっています。

 

国際的な要因については、もはやどうすることもできません。

それから、次々やってくる法改正や様々な規制・・・。

私も建築士なので、資料や講習会などで一生懸命勉強して、対応できるようにはしているのですが、何だか、何のために設計や家づくりのお手伝いをしているのか、わからなくなってしまうのです。

 

お正月からそんな事ばかり考えていました。

 

子どもの頃、新聞にはさまってくる建売住宅の間取り図を、時を忘れて眺めていました。

そういう方も結構いらっしゃるのではないでしょうか。

あの頃みたいな気持ちで図面を描けたらどんなに良いだろうかと思います。

そんな気持ちで家づくりが進められたら楽しいですよね。

 

嵐はいつかは過ぎ去りますし、夜は必ず明けますので、ここはどんと腰を据えて、焦らず、この嵐の間にじっくり(枝葉末節の情報に振り回されるのではなく)家づくりについて学んでみるのも良いかもしれません。

人に話しかけているふりをして、本当は自分に言い聞かせているんですが(笑)。

 

我が家のことで言えば、土地探しに5年、土地を入手してから着工するまで3年半の月日が流れ(てしまい)ました。

それでも決して無駄な時間ではなかったと、これもまた自分に言い聞かせています。

 

年のはじめということもありますし、少し初心にかえってみたいなと思っています。

いわゆる脱サラをして建築の学校に入りなおしたのですが、その頃は建築のことを学ぶのが楽しくて仕方ありませんでした。

学校で使った教科書や資料は全部とってあります。

世にいうリスキリングとはちょっと違いますが、もう一度学びなおしです。

 

誰の役に立つわけではないのですが、ノートやこの場に時々まとめていきたいと思っています。

本当に誰の役にも立たないと思います・・・。自分のためなのです。

壬生 忠岑と桑田佳祐  1000年の憂い

百人一首 第30番歌


有明

つれなく見えし

別れより

暁ばかり

憂きものはなし

     壬生 忠岑  古今和歌集

 

壬生 忠岑(みぶのただみね)。

平安時代前期の歌人で、三十六歌仙の一人。

 

逢瀬の翌朝、いわゆる「後朝(きぬぎぬ)の別れ」の切なさを詠んだうたで、藤原定家古今和歌集のなかでのフェイヴァリットに挙げていたそうです。

 

このうたから感じる情感って何かに似てるなと思い、いろんな小説とか映画とか考えてたんですが、思い出したのはサザンの名曲でした。

 

夜明けの街で

すれ違うのは

月の残骸と

昨日の僕さ

     

サザンオールスターズ 「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」(詩/曲  桑田佳祐) 

 

名曲、「LOVE AFFAIR 〜秘密のデート」の冒頭の部分です。

 

1000年の時間を隔てても変わらない憂い。

 

逢瀬の翌朝、いそいそと彼女のところに向かう昨日の自分と、憂鬱な夜明けの自分がすれ違い、それを月の残骸(かけら)が見ている・・・。

違う解釈もあるのかもしれませんが、自分にはそんな風に感じます。

 

時空を超えた描写と、ちょっと情けなくてかっこ悪い男の愛らしさが、この歌詞を忘れがたいものにしています。

桑田さんは天才だなとあらためて思います。

 

壬生 忠岑や藤原定家とは同時代人になれなかったけれど、桑田佳祐さんと同じ時代に生きられて本当に良かったと思います。

 

壬生 忠岑のうたにあわせて音をつくったのですが、なんだか恥ずかしくなってしまいました・・・。

それでも、せっかくつくったので(笑)。

フィリーソウルっぽい感じになりました。

youtu.be

いろいろな「基本」

気がついたら1月3日になっていました・・・。

もとより平常運転を愛するタイプなので、正月といっても特別なことは無く、毎日が「昨日の今日」の連なりです。

 

情報が多すぎですね。

以前から情報のデトックスをしていますが、それでも自分には負担が大きすぎて、時々具合が悪くなります・・・。

「知らない人と知らない人が結婚して、それから離婚した」的な情報が流れてきます。

何だかわからなさすぎて処理しきれない分、かえって負担が大きいのかもしれません(笑)。

 

私のかろうじて属している、住宅業界もあらゆるスペックのデータにあふれていて、その情報の森の中で迷子になっている方が多いようです。

 

私は、考えすぎるといろんなことが面倒になってしまう質なので、これからも基本に忠実に、本質的なことだけに目を向けていきたいと思います。

 

「正月も昨日の今日」とか言いながら、今年の抱負のようになってしまいました・・・。

 

29歳の時にインドで出会った人たちのことを時折思い浮かべて、「基本」を忘れないようにしています。

 

こどもの基本。 全力で、今日に集中していました。

 

商売の基本。 こんなふうに働きたい。

 

学校の基本。 教える大人と学びたいこども。それだけで十分。

 

犬の基本(笑)。 自由にふらついています。

 

男の世界。  マンダム。

 

冬の庭は寂しいけれど  それとベテラン小学生の件

落葉樹はとうとう全部葉を落とし、一面を覆っていたリッピアも茶色になって、ちょっと寂しい冬の庭になりました。

それでも葉が生い茂っていた頃と違い、明るい庭になるので好きな季節ではあります。

私のバイブル、カレル・チャペック先生の「園芸家12か月」にあるように、この時期は春のための準備をしておこう。

そんなことを考えながらぼんやり庭を眺めていると、前の道には友達を待っているらしい、近所の小学生が。

しばらくきょろきょろしたり、背伸びをしたりしながら待っていたようなのですが、そのうちふと思い出したように、側溝にさっと「立ちお小水(笑)」をしました。

ほんの2~3秒。

小さく「あっ」と声をあげたあと、「ほう」と感心してしまいました。

我慢できなくてというより、「待ち合わせ中にちらっとスマホを見る」くらいの軽いしぐさに不意をつかれたのです。

思わずカレンダーで今2022年であることを確認しました・・・。

そのカジュアルタッチといいますか、スナック感覚といいますか、軽やかな「昭和しぐさ」にベテラン小学生の風格のようなものを感じ、敬服した次第です。

一年の終わりにこんな話ですみません。

皆様、良いお年を。

 

 

ルイスポールセン トルボーとラウンドテーブル   光の求心力

ダイニングに使う照明はルイスポールセン一択。

最初にこのトルボーありきで、これにあうテーブルを探しました。

 

テーブルもまた、ラウンドテーブル一択。

ラウンドテーブルはインテリアのレイアウト上、なかなか難しいのですが、トルボーと組み合わせた時の、その「求心力」に強く惹かれました。

 

トルボーとラウンドテーブル。
「食卓を囲む」という表現に、これほど合う組み合わせはないのではないか、とさえ思います。

 

白熱灯と比べるとLEDはやや暗めになってしまう(ガラスの凸部が若干暗くなります)のですが、それでも全方向・広配光タイプを使えば、このシェード全体を美しく光らせることができます。

 

うちには、美術品のようなものはまったくないのですが、このトルボーの姿と光はただただ美しく、美術品のように時々うっとりと鑑賞しています(笑)。

うちにはたまたまテレビがありません。
子どもの頃から、家族がテレビを見ながら「黙食」している状態に恐怖心を感じていましたので、そのトラウマから解放された今は、「食卓を囲んで」、穏やかな気持ちでご飯をいただけています。

www.louispoulsen.com

 

 

インド・ネパールでブッダの生涯をたどる  カピラヴァストゥで目から水が流れた件

以前、自己紹介でも少し書きましたが、私は(お金をとる)放送局を退職してから、インド・ネパールの旅に出ました。

29歳の時です。

インド・ネパールと国境をまたいで移動したのは、ブッダの生誕の地ルンビニ(ネパール)から入滅の地クシナガラ(インド)まで、その生涯をたどったからです。

特に仏教徒というわけではないのですが、ブッダの「生涯」に興味があったのです。

 

それぞれ、様々な感慨がありましたが、私にとっての主な目的地は、カピラヴァストゥでした。

カピラヴァストゥは、ブッダが青年ガウタマ・シッダールタとして育った城の跡地であり、四門出遊の伝説にある、彼が出家を決意し、城を出た「門」のあった場所とされています。

とはいっても現在発掘されているのは紀元前2世紀以降のもので、ブッダが生きた紀元前5世紀(諸説あり)頃の遺構はさらに深い地中にあるようです。

 

出家したのは彼が29歳の時(これも諸説ありますが)と伝えられ、同じ29歳で、大きな組織を後先考えずに飛び出して、どこにも行く当ての無い自分にとって、どうしても立ってみたい場所だったのです。

シッダールタが城を出た門の跡に立ってみると、「2500年前もこんな感じだったんだろうな」と思えるような、荒涼とした平原がどこまでも続いていました。

強い決意があったとはいえ、この景色の中に向かって進むのは、どんなに心細かっただろうなどとぼんやり考えていると、突然目から水が流れてきました。

悲しいわけでもなく、もちろん泣いてなどいないので、涙ではない、「水」が、ただ流れ続けました。

幽霊も一回しか見たことがありませんし(笑)、特別何か見えたり感じたりするタイプではないので、その時は不思議と、「こういうこともあるんだろうな」位にカジュアルにとらえていました。

 

特にオチはなく、ただそれだけなのですが(笑)、それでもその後は、霧が晴れるようにモヤモヤがとれ、特段の理由は無いものの「建築の道に進もう」と、新しい進路を決めることができました。

結果的に、あの時あの場に立ったのは、自分の生涯の前半戦で最も大切で意味のある出来事でした。


他にもインド・ネパールでは得難い経験をたくさんすることができました。

地球の歩き方」を穴の開くほど読み込んで、生水にも注意していましたし、旅もほぼ順調でした。

 

あの時、道端で名前も知らない果物を口にするまでは・・・(笑)。

春の野 若菜 雪   透明度の高い清新な一首

百人一首歌人として登場する天皇の中で、誰より親しみを感じるのは光孝天皇

9歳で即位した先帝の陽成天皇と比べると、はるかに遅い55歳での即位です。

それだけ親王時代が長かったということですが、大変質素な暮らしをしていたようで、自炊をしていたとも伝えられています。

即位してからも、その頃の苦労を忘れないように、自炊をしていた部屋をそのままにしておいたというエピソードもあるようです。

また自分の子どもたちが皇位につかないように、すべて臣籍に降下させたとのこと。

頭が下がります。

 

このうたは、不遇の時代でもあった親王時代に詠んだものです。

 

君がため

春の野に出でて

若菜摘む

わが衣手に

雪は降りつつ


心優しい親王が大切な人のために、降る雪も気にかけず一心に若菜を摘んでいる情景が目に浮かんでくるような、透明感のある愛おしいうたです。


これも奥様に朗読してもらって、音を添えてみました。

詠われている季節はもう少し先なのですが、アレンジしていたらクリスマスっぽくなってしまいました・・・。

www.youtube.comちょこっと入れたギターを後で聴いてみたら、「虹伝説」の頃の高中正義さんっぽくなっていました。(マニアックですみません)

中学生の頃、一生懸命耳コピしたのが指に残っていたような感じです。

「中2の魂百まで」とでも言ったらいいのか、普段、全然違うジャンルのギターを弾いていても、マイケル・シェンカーやリッチー・ブラックモアやランディー・ローズ達が顔を出します・・・。

「クリスマスを知らない」ムーミン一家がおこす、優しく静かな奇跡   「もみの木」

短編集「ムーミン谷の仲間たち」に収録されている9編はいずれも名作なのですが、最終話の「もみの木」は、まさに珠玉の短編といえる美しい物語です。

 

ムーミン一家は冬眠するので、クリスマスを知りません。

「もみの木」は、冬眠中に起こされてしまったムーミンたちが、「クリスマスという面倒な怖いお客様が来る」と勘違いすることで展開する楽しい騒動と、小さな命たちに訪れる優しく静かな奇跡の物語。

 

読後、部屋の中が穏やかな光に包まれるような、温かい気持ちになります。
そして会う人会う人に勧めまくることになる可能性があります(笑)。

ネタばれはいけないので、機会がありましたら是非読んでみてください。

 

最近、小説や映画、アニメなど、特に子供向けのもので、「闇」を描くことで「光」を表現しようとするものが多い気がしませんか。

あえての残酷さといいますか、子供も現実を見た方がいいというような空気といいますか・・・。

現実から目を背けるとか、臭いものに蓋をするとかという意味ではなく、私は「光は光として描きたい」という願いを強く持っています。

建築でも、空間をいったん闇で満たしたうえで、一筋の光を導くようなデザイン手法があります。

確かに、劇的な効果や感動があり、私もそういったものに憧れをもっていました。

一方で、しだいに何か作為といいますか、ある種の「わざとらしさ」のようなものも感じるようになってきました。

難しいことかもしれませんが、私は建築に限らず、すべての創作で「光は光として」、「闇は闇として」描くことを目指しています。

 

その点、この「もみの木」は、私にとって理想的な「光の物語」。

そして、作者のトーベ・ヤンソンさんは憧れのクリエイター。

ムーミン谷の仲間たち」は、ひとつひとつの物語も、短編集としての流れも素晴らしく、またいつかそれぞれについて書いてみたいと思います。

うちのツリーは「もみの木」ではなく、松ぼっくりです・・・。

皆様、よいクリスマスを!。

格子戸でファサードを着替える

小柳ルミ子さんがメッシについて熱く語っています。

おかげでワールドカップ以降、時々頭の中で「わたしの城下町」がかかります。

それで、格子戸の件なのですが(笑)。

 

夏の暑い夜は窓を開けて寝たいのですが(クーラーを設置しなかったのです・・・)、平屋なので防犯上格子戸(施錠可)をつけようと考えました。

そして、せっかくなのでデザイン的に何か工夫できないかということで、思い切ってかなり巨大なものを制作し、閉じた時と開けた時でファサードのイメージががらっと変化するようにデザインをしました。

竣工から8年ほどが経ち、庭の木々が茂りすぎて、その「がらっと」がわかりにくくなってしまったので、これは家がまだ「若い頃」の写真です。

格子戸を開けると・・・。

10年に一度の「御開帳」みたいになってます。
当時、どなたか手を合わせていたような気がしますが、たぶん気のせいです・・・。

 

今はこんな感じです。


植物の生命力、風化の力を感じます。

ちなみに私は「風化」をポジティブにとらえています。

 

「格子戸」については、いろいろとありますので、またいつか書いてみたいと思います。

今年から「ノーサンタ」だけど・・・  Yes, Virginia, there is a Santa Claus 

親子3人で協議の結果、全員一致で今年から「ノーサンタ」ということになりました(笑)。

「欲しいもの・必要なもの」を「欲しい時・必要な時」に買うという附帯決議付きです。

娘にとっては遅まきながらの「幼年期の終わり」であり、私にとってぱ期間限定で持っていた魔法の杖の喪失です。

寂しさはありますが、それぞれ演じている「役」が少しずつ変化していくようです。

 

有名な「Yes, Virginia, there is a Santa Claus」という、1897年、The New York Sunの社説がありますね。

この時期になると、いろんなところでとりあげられますし、翻訳も可愛らしい本になっていますので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。

私はこの社説を、学生時代の国文学の授業で知りました。

毎年12月、「国文学」の授業で、この社説の「英文」を読むのです。
先生が若い学生に伝えたかった事、その奥深さゆえに、今でも12月になるとこの社説のことを想いますし、英文も翻訳も毎年読み返します。

https://publicdomainreview.org/collection/yes-virginia-there-is-a-santa-claus-1897
https://en.wikipedia.org/wiki/Yes,_Virginia,_there_is_a_Santa_Claus

「ノーサンタ」といっても、それは「有名な清涼飲料水」っぽいカラーリングの服を着た、消費世界を飛び回る「配達屋さん」が来なくなるだけのこと。

 

娘には、この「Yes, Virginia, there is a Santa Claus」で語られている本物のサンタクロースを信じ続けてほしいと思いますし、いつか、世界中の子どもたちに夢のある物語を届けてあげられる人になってほしいと願います。

クリスマスの行燈

11月28日くらいだと思っていたら、12月21日でびっくりしました。


夜、出歩いてみると、ご近所ではお庭のイルミネーションが輝いています。
ひと頃よりは、少し減りましたでしょうか。

我が家はお洒落の質ではないので、そういった装飾には踏み切れませんが、家全体が大きめの行燈になって、「山の賑わい」的に街の灯に参加しています。


和風のイルミネーション、といいますか、中に仏像が安置されていそうな雰囲気です・・・。

 

折々のイベントも生活のメリハリになって楽しいのですが、「平常運転」を愛する私としては、独特の圧に若干のストレスを感じるのも事実です。

ハレとケの、「ケ」の方を楽しむ方が楽しみが多いような気がするのですが・・・。

とはいえ、クリスマスはちょっと浮き立つ気持ちを感じたり、複雑です。

 

世の中に

たえて聖夜の

なかりせば 

師走の心は

のどけからまし

 

家を持参して土地を探す

東京に住んでいる頃、土地探しをスタートしました。

長野・山梨あたりから関東・東北・北海道と、日本の東半分、100か所近くの土地を長い時間をかけて見て回りましたが、紆余曲折あって(ここが長いのですが・・・)、結局、私の地元に土地を求めて家を建てました。

 

建築だけでなく、少しだけ不動産関係にも関わっていたのですが、今日は全くのユーザー側の視点で自分の考えを書いてみたいと思います。

 

光や風などの自然環境、交通・電気・ガス・水道などのインフラ、近隣の施設など、様々な敷地の現状を与条件として、「最適解」としての建築を設計するのが、ある意味建築設計の王道なのだと思います。

建築士としては本当にそう思います。

ただ、すでに土地を所有している人は別として、これから土地を探して、そこに家を建てようとする人にとっては、なかなかの問題があります。

土地を探すときに「よりどころ」が無さすぎるのです。

私自身の経験を思い出しても、土地探しの最中にある、いろいろなプレッシャーや疲労の中で、あわてて、何となく良さそうな土地に決めてしまいがちです。

それで、契約を済ませてしまってから、家の設計にとりかかってみると、その土地では自分の理想の家は建てられないということが往々にしてあります。

それも家づくりの、物語の一部なのかもしれませんが、もう少しなんとかならないものでしょうか。

 

私は、土地探しの前に、「先に家を設計する派」です。

そんな派閥があるのかどうかわかりませんが(ないと思います)、私は途中からそのように方針転換しました。

簡単な図面や、場合によっては模型を作ってしまって、それが建てられる土地を探すようにしたのです。
もちろん、完全に「はまる」土地などそうそうありませんから、東西南北を反転したり、一部足したり引いたり、法規制に適合させる変形などの操作をしながらになりますが・・・。

ただ、そうすると自分にとって必要な敷地の条件が、圧倒的にクリアになるのです。

もちろん、土地取得後、改めて本腰を入れて設計することは言うまでもありません。

 

もし、土地探しに行き詰っている方がいたら、こんな発想の転換も良いのではないかと思います。
お近くの建築士に相談してみて、できたら土地探しの段階から関わってもらうのも良いかもしれません。
ダメだったら私に相談してください(笑)。

 

前に書いたように、与えられた条件の中で最適解を出すのは設計の醍醐味でもあります。困難な制約があるほど、力がみなぎってくるようなところもあります。

私はそうです。

ただこれから家を建てる人にとっては、「理想の家を、それに適した土地に建てる」のが「最適解」であるはずだと思います。

 

私がこんな考えになったのは、建築の勉強を始めたころ読んだ「小さな家」という本の影響です。

近代建築の巨匠、ル・コルビュジエが両親のために設計した小さな家について書いたエッセイです。

最後にほんの一部ですが引用します。

「手袋に手を入れるように」というところが大好きです。

そして、いつもこの家の図面をポケットに入れて持ち歩いた。
敷地に先だった設計ですって?。そう、その通り。この家に適した敷地を見つける計画だったのだ。
(中略)
ポケットに図面をいれて、長い間敷地を探し歩いた。いくつかの候補地を検討したが、ある日、丘の上からまさに思い通りの敷地を見つけ出した。
(中略)
このプランを敷地に合わせてみると、まるで手袋に手をいれるようにぴったりとしていた。

    ル・コルビュジエ 著  森田一敏 訳    「小さな家」 (集文社) 

https://amzn.asia/d/2rzPimJ

 

 

aladdin ブルーフレームヒーター  スタンダードであることの価値 

平屋の約24坪、ほぼワンルームで天井の無い化粧屋根裏。
小さな家ですが容積はそこそこある我が家の、唯一の暖房器具です。

実はこれ一台ではなかなか厳しいのですが・・・、わりと温暖な地であることと、「気の持ちよう」でなんとか過ごしています(笑)。

 

名前に「ブルーフレーム」とついている通り、青い炎が美しく、暖炉や薪ストーブの炎にはかなわないかもしれませんが、眺めていると癒されます。

1930年代から続くデザインは流行に左右されないスタンダードの強さを持っています。

 

ありがたいと思う点は、万一何かあった場合、ずっと「部品の交換や修理ができるという安心感」があることです。
それが、いつまでも長く大切に使い続けたいと思わせてくれるのだと思います。

 

例えばあるLED照明器具などは、LED部分が数年で寿命が尽きて交換しようとすると、何の問題の無い部分も含めて、全体を交換しなければならない仕様、つまり買い替えなければならないようになっていたりします。
さらに形状が変わってしまっていて、取り付けのため新しく壁に穴を開けなければいけないというようなことがあります。
またある電子機器の場合は、故障時には「交換修理」という謎のワードが登場し、閉口したことがあります。

 

こういうことにすごく心が痛むのですが、このaladdinブレームヒーターにはそういうストレスがありません。

もちろん点火・消火時ににおいを出さない工夫や、空焚きをしないような注意(これが重要!)が必要だったりしますが、
それも含めて、手のかかるものに対する特有の愛着を感じています。

もしどうしてもこれ一台では足りないということになったら、同じものをもう一台買います。

aladdin-aic.com