人と栖と

小声で語る 小さな家と本と音楽のこと

宮沢賢治の世界で暮らしたい 小さな家の由来記 4

10代の頃から宮沢賢治の作品に親しんできました。

本だけでなく新潮社の朗読カセットをテープがヨレヨレになるまで聴いたり、アニメ映画の「銀河鉄道の夜」のビデオを50回くらい観たりして・・・。

動物や森の樹々と会話のできる世界がファンタジーとは思えなくなるほど、その世界観が頭の中で育っていました。

 

学生時代から長いこと東北で暮らしていたので、花巻には何度も足を運びました。

研究室のフィールドワークでも花巻を訪れ、地域の古老にインタビューをして、失われつつあるその音韻を記録したりしました。

「寿司」と「獅子」と「煤」の発話を録音したり、その音韻を音声記号で書きとったりするのです。

 

土地探しをする中で、当然のように花巻もその候補にあがりました。
宮沢賢治の世界で暮らしたかったのです。

 

花巻温泉に宿をとって(しっかり旅行も兼ねます 笑)、地元の不動産屋さんに予約をしておいて、随分たくさんの土地を見せていただきました。

近くに美しい川がとうとうと流れていたり、「セロ弾きのゴーシュ」に出てくるような小動物がひょっこり顔を出しそうな林の中だったり、素敵な土地がいくつもありました。

 

ただ、こういう土地の「あるある」ではありますが、敷地の把握の仕方がおおらかですね。

境界杭なんて、たいていありません。

あっても、何かの拍子に抜けてしまって、その辺にころがっていたり・・・。

この辺からこの辺までみたいな感じで。

もちろん後で公図から境界を確定して杭を打ったりするのですが、その公図自体も何だか・・・という感じです。

 

まあ、その辺りは何とかしようということで、秋の木漏れ日の美しい、ある土地を眺めていました。

ああ、賢治さんの世界だなあ、なんて思いながら。

 

広大な敷地の真ん中あたりに、何かがポコッと出っ張っているのに気がつきました。

近くで見てみると石碑のようなものでした。

不動産屋さんにきいてみると、満面の笑みで、

「ああ、それね。江戸時代のお墓ですね。あとで掘って移動しときますから大丈夫ですよ。」

なるほど。掘って移動するから大丈・・・、って大丈夫なのか!

そのまま、不動産屋さんはどこかに行っちゃうし・・・。

 

夫婦で、そのお墓を眺めながら思案の時間が続きました。

しばらくすると、袋から溢れるほどの栗を抱えて、不動産屋さんが帰ってきました。

「こんなに栗が採れますよ!。」

またも満面の笑みなのですが。

確かに秋には毎日栗ご飯が食べられるけど・・・。

 

結局、いろいろあって(というかお墓)断念しました。
栗は、おみやげに持って帰っておいしくいただきました。

はやく秋にならないかな。

「どう生きるか」と言われたけれど

先日、珍しく家族3人でシネコンに行きました。

 

私は映画や何かを、人と一緒に観るのが苦手です。

みんなでドラマや映画、特にCMを黙って見ている光景に底知れぬ恐怖を覚えてしまうのです。

ガヤガヤとツッコミを入れながらだったらいいんですけど。

 

集団視聴恐怖症(mass viewing phobia)

というのは、今私がでっち上げた(笑)病名ですが、たぶんそんな感じのものです。

 

テレビだったら100万人単位の人が、全国で黙って何かの宣伝を見ているって、何だか怖くないですか?。

 

映画館でも上映前のCMをみんなで黙って見ているのにふと気づくと、ゾワゾワッとします。

同じタイプの方がいらしたら、話がしてみたいです。

 

遺伝というのは恐ろしいもので、娘も同じような感覚を持っているようで、できたら一人で観たいそうです。

まあ、娘の場合は親と一緒が恥ずかしい年頃になったというのもあるかもしれません。寂しいけれど・・・。

 

それで、シネコンについたら即、別行動です(笑)。

 

娘はポップコーンを抱え、一人いそいそと「マイ・エレメント」のスクリーンの方に歩いていきました。

 

私は奥様と君たちはどう生きるかを観ました。

 

二人で並んで映画を観るのは20年ぶりくらいだったので緊張しました(笑)。

 

恐怖のCMも頑張って見ましたよ。

 

ただ、そのCMが・・・。

墓石→保険→墓石→樹木葬・・・・・。

 

それで、君たちはどう生きるかって言われても・・・(笑)。

 

映画本編について、私のような素人が考察めいたことをするのは僭越なので避けますが、単純に楽しめました。

このパーツはナウシカで、このセリフはラピュタ、このシーンはハウル、このキャラクターは・・・。

宮崎作品へのセルフオマージュがこれでもかというくらいに散りばめられていて、低速回転する走馬灯のようでしたし、すべての宮崎作品に付された長い追伸のようでもありました。

 

まだパンフレットは発売されていない時期だったので、ポストカードを額装しました。

 

月と六ペンスと建築 小さな家の由来記 3

折り返し地点を過ぎると、「残り時間」というものを否応なく意識してしまうものですが、若い時分は時間が無限にあるように感じたのと、生来のんびりしているのもあって、随分と遠回りなことを平気でしてきました。

 

福島県三春町に家を建てる計画は、退職のタイミングやら何やらが上手くいかなくて、断念しました。

 

そして退職後は、20世紀の青年らしく(笑)インドに行き、あれこれ考え、建築の道に進むことにしました。

あれこれと言っても、一晩考えただけで決めてしまったのですが・・・。


文学部文学科の卒業ということなど関係なく、いきなり理系の人になりました。

 

今考えれば、理想の土地に理想の家を建てるという夢を叶えるなら、他にもいろいろ方法はあったと思うのですが、学校に入り直して建築の勉強をして(リスキリングですね)、一級建築士になって、自分で設計をする、という途轍もなく遠回りなロードマップを描いてしまいました。

えらく面倒です。

インドのせいです(笑)。

それと、飛行機の中で読んでいた「月と六ペンス」(モームのせいでもあります。

せっかくついた仕事を辞めてしまうのは、果たして意思の力が弱いのか。

意思の力?。だが、そういえば、いかにそのほうが充実した、生き甲斐のある生活だと考えたにしても、三十分やそこいらの考慮一つで、決然と一生を棒に振ってしまうというには、果たして意思の力は要らないものだろうか?。さらにはまた、このいったんの決心を、あくまで悔いないというにいたっては、もう一つ強い意志力が要るのではなかろうか?。

「月と六ペンス」モーム)より 中野好夫 訳

 

土地や不動産のことを知るために、その方面の勉強もして宅建もとりました。

宅建「インテリアコーディネーター」二級建築士一級建築士

 

長かった・・・、そして面倒でした(笑)。

 

そんなこんなで、土地探しの旅は8年程お休みになりました。

無駄だったのか無駄で無かったのか、わかりません。

ただ、もう少し効率の良い方法もあったんじゃないかとは思います。

もう一回繰り返すのは嫌です(笑)。

 

土地探しの再開は、結婚後、東京の生活ももういいかなと思い始めた2005年頃からでした。

人間の中には、ちゃんとはじめから決められた故郷以外の場所に生まれてくるものがあると、そんなふうに僕は考えている。
なにかの拍子に、まるで別の環境の中へ送り出されることになったのだが、彼らはたえず、まだ知らぬ故郷に対してノスタルジアを感じている。
(中略)
そしてむろんまだ見たこともない風物の中、また見も知らぬ人々の中に、まるで生まれた日以来、そこに住みつづけていたかのような心やすさをさえおぼえる。そして、そこにはじめて休息を見出すのだ。

「月と六ペンス」モーム)より 中野好夫 訳



土星にやさしく

8月は少し苦手です。

黄色いあいつがやってくるから。

 

暑さのせいもあるけれど、正しさと感動のスコールのようなものにあてられて、いつも少し体調を崩してしまいます。

 

己の不埒を思い知らされるんですよね。

日頃の行いに自信が持てなくなるというか。

 

ザ・クロマニヨンズ土星にやさしく」

 

土星にやさしく

 

パワーワードにも程があります。

上滑りの、空疎で滑稽な欺瞞の言葉たちを、宇宙の果てまで蹴飛ばしてくれそうな、痛快で爽快なフレーズ。

この時期の私にとって、言葉のトランキライザーでもあります。

 

公式チャンネルのMVはなぜか40秒くらいしかないのですが、この後にマラソンしてたりします・・・。

youtu.be

どんな愛でも、地球のご機嫌までは手に負えません。

ただ、目の前の人や生き物にやさしくして、木や花に水をあげていたいと思います。

 

小さな家の由来記 0

建築ブログだったのでした。

 

建築、主に住宅建築について何か参考になるようなことでも書いて、少しでも人様のお役に立ちたいなどと殊勝なことを考えブログを開設したのですが、ただただ人様のブログを読んで「自分の役にたっている」というのが、実際の有様です。

本当は私も一級建築士で、それなりの知識や経験を持っているつもりだったのですが、皆様の家や暮らしに関するブログを拝読するにつけ、そのセンスや熱意、そしてその結果としての豊富な知識量に圧倒され、次第に当初の意気込みもシュルシュルとシュリンクしていったのでした。

 

恥ずかしくて、自分の考えなどとても開陳できたものではありません。

 

建築士などという肩書は伏せて、当初から施主としての思いだけを綴っておいたら良かったのかもしれませんが、もはや手遅れです。

できたら、建築士ということは忘れてください(笑)。

 

それでも、吉村順三さん「小さな森の家」のように、自分の家の物語が綴れたらいいなとは思っています、

私は何かの最中にそれを記録するということが、とにかく苦手です。

小学校から大学まで、ノートというものをほとんどまともにとったことがありません。

土地探しや家づくりの最中も目の前の事に精一杯で、記録をとったり、ましてや文章に残したりということがまったくできていません。(子育てについても同じことが言えるかもしれません。)

ですから、「その最中」にそれを克明に記録し、リアルタイムであっても事後的であっても、公開してくださる方々を心底尊敬しています。

  

 

土地探しからいったら20年近く前なので、随分記憶が怪しくなっています。

さらに、私は「思い出補正」の傾向が強く、辛いことはいい感じに忘れるようにできているらしく、そんな感じの記憶になっています。

結果的にあまり覚えていることがなく、ということは辛い事だらけだったということですが(笑)、なんとか絞り出して、時々書いていこうかなと思っています。

建築ブログなので!。

 

土地探しの頃のものは、幸い少しだけ文章にしたものが残っていました。

ただ、その時でさえ10年程前のことを思い出しながら書いたので、すでに怪しげな代物です(笑)。

 

それでも、完全に忘れてしまう前に、あるいはフィクションの記憶で塗り替えてしまう前に、これから少しずつ「ノンフィクションを原作にしたドラマ」位のふわ~っとした信ぴょう性を持った、謎の記録を残していければと思っています。

 

何だか始末書のようになってしまいました。

 

うなぎが降る

子どもの頃は、よくうなぎが空から降ってきました。

 

うなぎの養殖池(養鰻池)からカラスがそれを盗み、盗んだはいいものの、ヌルヌルしているし、クネクネ動くし、それでポトリと落とすのです。

当たり前のように、そこかしこに落ちていました。

 

一面に養鰻池の広がるまちでした。

確か当時は日本一の生産量だったと思います。

池と池の間の迷路のような通路が遊び場でしたし、小学校の通学路はうなぎの加工場の中を突っ切っていました。

毎日、うなぎをさばいている作業台の横を通って学校に通っていました。

軽いトラウマです・・・(笑)。

 

80年代の円高不況で、まち中に広がっていた養鰻池、少年時代の遊び場は、あれよあれよという間に更地になり、分譲地や公共施設に変わりました。

輸入物にやられてしまったんですね。

時の流れをしみじみと感じます。

 

それでもまだ、残った養鰻池では養殖が続けられていますし、近所のうなぎ屋さんは連日の大行列です。

 

私は、うなぎはちょっと苦手です。

土用の丑の日の波に乗れません。

 

「う」がつけば、梅干しやうどんでもいいみたいですね。

うどんにします。

 

 

余談ですが、料理屋さんでメニューを見ながら「僕はうなぎだ。」というのを「うなぎ文」と言います。

「僕が注文したいものはうなぎだ。」が「僕はうなぎだ。」、”I am an eel.”になってしまうパターンで、日本語文法の難関のひとつです。

うなぎを注文するのは、そもそもうなぎ屋さんなんだから、「僕はうなぎだ。」なんて言わないんじゃないかと、学生時代ツッコんでいましたが。

「生姜焼き文」とかのほうが良かったんじゃないかと・・・(笑)。

 

・・・どうでも良い話にお時間をいただき、すみません。

急に走馬灯がまわってしまったので、忘れないうちにメモしておきました(笑)。

あんまり「うなぎ」って書きすぎて、こんな言葉あったかな、なんて気がしてきました。

 

子どもから「子ども時代」を奪うということは

英語の勉強も兼ねて繰り返し視ている映像があります。

1993年、グラミー賞授賞式でのマイケル・ジャクソンのスピーチです。

(どなたかが字幕をつけてくれたものがありました。)

www.youtube.com

そしてこのスピーチは、私にとってもう一つの子どもの権利条約でもあります。

 

「子どもから子ども時代を奪う」ことがもたらす悲劇。

私達大人が子ども達から何を学ぶべきか。


はじめてこのスピーチを聴いた時の衝撃は、その後の自分を変えてしまうほどのインパクトをもたらしました。

 

子どもたちから学ぶことはたくさんあります。

 

今日、世界は様々な問題を抱えています。

街の犯罪から大規模な戦争やテロなど

これらは、私たちが子どもから楽しい時代を奪った結果です。

マジック 奇跡 神秘

そして子どもたちの無邪気は世界を癒す創造力の種です。

私は、そう信じています。

 

子どもたちから学ぶべきものは子どもっぽさではありません。

彼らは私たちに、どのように生きるべきか教えてくれます。

それが 何よりも大切なことです。

 

子どもたちは私たちの心に潜む神秘を知っています。

私は、世界の子どもたちに感謝します。

  

 Michael Jackson's speech at Grammy Awards 1993

 

「子ども時代を奪われた」大人達が今していることをみたら、マイケルの伝えたかった事がわかる気がします。

「子ども時代を奪われた」大人達が、「子ども時代を奪った」社会に復讐をしている。

そのように、私には見えます。

 

 

ある意図のもとに、私のまちの小学生は、まだ夏休みが始まっていません。

(夏休みは、確か25日間だったと思います。もともと10日間という計画でした。)

炎天下のなか、今朝もランドセルを背負い登校していきました。

私にはその表情はひどく沈んでいるようにみえます。

普段はもっと、みんな元気なのです。

 

その「意図」も、頭では理解しているつもりです。

いろんな方のご苦労もわかります。

でも単純に、子どもたちがかわいそうでかわいそうで仕方ありません。

日本全国「夏休みモード」なのに・・・。


以前、皆で声をあげました。

「子どもたちから夏休みを奪わないで」

歩み寄りはありましたが、変わることはありませんでした。

もう「昭和」じゃないんですよ、みたいなことも言われました。

子どもに「昭和」も何もないと思うんですが・・・。

 

こういった類のものの常として、人と人との間に微かなしこりを残して挫折しました。

 

それでも、私はあの時声をあげて良かったと思っています。

声をあげていなかったら、つまらない大人になっていました。

 

娘もその背中を必ず見ています。

 

ちはやぶる 燃ゆるおもひ

百人一首 17番歌

ちはやぶる

神代も聞かず

龍田川

からくれなゐに

水くくるとは

  在原業平朝臣   古今集

 

【現代語訳】

不思議な神々の時代でも

聞いたことがないですよ

龍田川の水を

紅く括り染めにしてしまうなんて


清和天皇の皇后高子(たかいこ)の描いた、龍田川の屏風絵を題にして詠んだ「屏風歌」です。

龍田川を埋め尽くした紅葉が、まるで水面を括り染め(絞り染めにしているように感じたということですね。

(イメージ)

高子在原業平の以前の恋のお相手。

高子そのものへの最大の賛辞と、変わらぬ想いも込めたうたのようですね。

 

季節外れですね(笑)。

はやく秋にならないかな。

 

以前作った音

akekurenote.hatenablog.com

をリサイクルして、このうたをのせてみました。

 

もともと5・5・4  5・5・4、という変拍子でつくっていたので、アレンジの途中で訳がわからなくなり、力尽きて短めになりました。

昔住んでいたあたりの駅名で、大井町大井町・品川  大井町大井町・品川京浜東北線)、なんて口ずさんでカウントをとりながらつくりました(笑)。

 

朗読は奥様にお願いしました。

youtu.be

百人一首全首に音をつけようという、謎の意気込みで始めた謎プロジェクトですが、現在12首分が完成。

先は長いけれど、12首でキリが良い(12進法 笑)ので、一旦お休みして、また秋になったら再開したいなと思っています。

本当に、どうしてこんなことをしているのか、自分でもわかりません・・・。

 

再生リストです。

youtube.com

忘れじの  Will You Love Me Tomorrow

百人一首 54番歌

忘れじの 

行く末までは 

かたければ

今日を限りの

命ともがな

  新古今集   儀同三司母(ぎどうさんしのはは)   

 

儀同三司母藤原道隆(みちたか)の奥様。

伊周(これちか)定子(ていし)のお母様ですね。

儀同三司伊周の役職

名家に生まれ、和歌や漢詩の才能にも恵まれ、その栄華を極めます。

 

このうたは道隆と出会った頃のもの。

「永遠の愛」なんて信じられないという、それこそ永遠のテーマですね。

 

道隆が病気で急逝すると道隆の弟・道長との権力争いに敗れ、後半生は一気に没落していきます。

微かな予感のようなものも、あったのかもしれません。

 

【現代語訳】

いつまでも忘れない

そんなあなたの言葉は永遠ではないよね

いっそのこと

今日を限りの命だったらいいのに

 

【適当英訳】(たぶんいろいろ間違ってます)

”I'll always remember you.”

Your words like that won't last forever.

I wish my life were only for today

 

このうたに触れるとき、
The Shirelles”Will You Love Me Tomorrow"が頭に浮かびます。

作曲はキャロル・キング

作詞は当時のパートナー、ジェリー・ゴフィン

Tonight you're mine completely

You give your love so sweetly

Tonight the light of love is in your eyes

But will you love me tomorrow?

 

 

”Will You Love Me Tomorrow"

words by Gerry Goffin
music by  Carole King

幸福の中に潜む、微かな不安を繊細に描いた名曲ですね。

いつも思いますが、1000年の時を隔てても何も変わりませんね。

 

The Shirelles”Will You Love Me Tomorrow"

この曲は、なぜかタイトルに”still"が入ったり入らなかったりします。

youtu.be

本家Carole King”Will You Love Me Tomorrow"

youtu.be

以前作った音楽

akekurenote.hatenablog.com

akekurenote.hatenablog.com

をリサイクル(2度目)して、このうたをのせてみました。

日本語の朗読は奥様にお願いし、適当に英訳したものは「音読さん」で読み上げてもらいました。

 

Will You Love Me Tomorrowのサビの部分を本歌取りで織り込みました。

youtu.be

 

ながらへば 【おもひで補正】

百人一首 84番歌

ながらへば

またこのごろや

しのばれむ

憂しと見し世ぞ

今は恋しき

   新古今集  藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)  


【現代語訳】

もし生きながらえたら

今を懐かしく思うかもね

つらいと思った昔も

今は恋しいんだから

 

【適当英訳】(たぶん間違いあり)

If I live long enough

I will miss the present

The old days that were so hard

I miss them now

 

作者の藤原清輔(ふじわらのきよすけ)は、百人一首79番歌の作者藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の息子さん。

 

父親に嫌われ、その才能も認められず、出世にも力添えをもらえないという不遇な青年時代を過ごしたようです。

後年、歌人として認められるようになってから詠んだうたでしょうか。

30代のうたという説もあるようですが、いずれにしても切ないものがあります。

 


私の場合、苦い思い出は未だ苦いまま・・・。

まだ若いということなのかな。

 

以前つくった音楽

akekurenote.hatenablog.com

をリサイクルして、このうたをのせてみました。

 

中学生の時、音楽の期末テスト用に丸暗記した「平行移調」(間違っているかもしれません)を使ってみました。

今頃役にたつとは・・・。

 

日本語の朗読は奥様にお願いし、適当に英訳したものは「音読さん」で読み上げてもらいました。

 

「音読さん」は今のところ無料会員で、ありがたく使わせていただいています。

ありがとうございます。

 

奥様は昔、(お金をとる)放送局や道路交通情報センターでキャスターをしていたので、元プロなのですが、無料で読んでもらえるので助かります。

ありがとうございます。お世話になっております。

youtu.be

好きだった日曜の午後に悲しいことがありました。

心に大きな穴が空きましたが、でも、代わりにそこには、ずっと忘れていた素敵な音楽たちが瞬く間にすべりこんできました。

遅かったけど目が覚めて良かったのかも。

この苦い気持ちもいつかは恋しくなるのかな。

こひすてふ 千年のSilly Love Song

百人一首 41番歌

恋すてふ

わが名はまだき

立ちにけり

人知れずこそ

思ひそめしか

 

壬生忠見(みぶのただみ)  拾遺集 

 

【現代語訳】

恋をしている

そんな私の噂が

もう立ってしまった

誰にも知られないように

そっと想い始めたのに

 

【適当英訳】(たぶん間違いあり)

Rumors have already started 

that I am in love.

I just started having feelings for her quietly

so that no one would know.

 

千年の時空を軽々と飛び越えてきます。

「垣間見(かいまみ)」で出会い、「文(ふみ)」で交際していた時代も、21世紀の今も何も変わりませんね。

恥じらい、初々しさ、瑞々しさが溢れています。

ポール・マッカートニーのいう、Silly Love Songですね。

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作者の壬生忠見(みぶのただみ)壬生忠岑(みぶのただみね)の息子さん。

二人とも三十六歌仙の一人ですね。

 

お父さん、壬生忠岑のうたは百人一首30番歌

お父さんのうたも素敵です。

akekurenote.hatenablog.com

古典を学問や、まして受験古文の枠に押し込んでいたら、勿体ないですね。

自分も「ありおりはべりいまそかり」(ラ行変格活用!)なんて暗記しましたが、もうそんな必要ないので、自由にこの珠玉たちを味わいたいと思います。

 

以前つくった音楽

akekurenote.hatenablog.com

をリサイクルして、このうたをのせてみました。

 

日本語の朗読は奥様にお願いして、英語部分は「音読さん」で読み上げてもらいました。

 

All My Loving(The Beatlesでの、ポールのベースラインを本歌取りして、織り込みました。

youtu.be

本歌取りの本歌。

愛すべき"Silly" なLove Song      All My Loving

youtu.be

お客さんの反応・・・。

音楽の魔法ですね。

youtu.be

勝負の夏

梅雨明けしたかのような空がひろがっています。

セミも鳴き始めました。

山下達郎さん(微妙な立場に追い込まれていますが・・・)のSPARKLEを弾いて景気をつけています。

SPARKLE  永遠の名曲ですね。

長年、ギターのカッティングの練習曲にしています。

カッティングのキレで体調がわかります。

 

先日、扇風機を一台購入して、一人一台体制を整えたので、今年はこれで夏に挑みます。

ちなみに某量販店のサイトで購入したのですが、合わせ買いで「アイスノン」がおすすめされていました・・・。

扇風機・・・、全くあてにされていません(笑)。

ただ、うちの場合、庭の樹々も茂ってきましたし、良い感じの涼風が吹き込んでくるので今年はエアコン無しでいけそうです。

 

娘(万年反抗期)の中学校から、やたらと学校案内や受験関係の資料が配られてきます。

「勝負の夏」だそうです。

機運を盛り上げてきます。

あまり、焦ると良いことがないので、うちは親子ともども呑気にやっています。

娘は受験生かつ、英検の2次試験直前なのに、中国語などをやって余裕をかましています。

大丈夫なのか・・・。

 

奥様が珍しく夏期講習のチラシを熟読していました。

娘はチラ見もしません。

奥様は「受講料0円の裏にある仕組み」について何やら考えているようです。

私は、チラシのレイアウトやフォントなどが気になって、横から眺めていました。

 

ん、このモデルの子、去年もやってなかった?・・・。

 

書いてありました。

2022 SUMMER

そっと折りたたんで、棚の隅に滑り込ませました・・・。
(そんなことをするから、間違えるのですが 笑)

少しだけ、緊張感を持ってみようかな。

夏の夜は  ふかやぶ先輩の話

百人一首 36番歌

夏の夜は 

まだ宵ながら

明けぬるを

雲のいづこに

月やどるらむ 

古今集)               

作者は清原深養父(きよはらのふかやぶ)


名前が渋くてお気に入りです。

清少納言のひいおじいさんですね。

 

枕草子初段の

夏は夜

月の頃はさらなり

 

夏の夜と月

ひいおじいさんへのリスペクトが感じられますね。

素敵なひ孫さん。

ふかやぶさん。

下級貴族だったので、政争に巻き込まれることもなく、その生涯の大半を和歌や琴など、貴族のたしなみに費やしていたようです。

 

こんなうたも詠んでいます。

光なき

谷には春もよそなれば

咲きてとくちる

もの思ひもなし

 

光も差さない谷には

春も関係ないから

花が咲いて散ることへの

もの思いにも無縁です

 

ちょっと泣けてきます。

もとより出世の望みもない自分には、喜びも悲しみもありませんよ、ということですね。

 

時代は下りますが、敬愛する鴨長明先輩にも通じるものを感じます。

この、どこか「負けが込んでいる」先輩たちには親しみが止まりません。

私も争いを避けて光の差さない谷でじっとしているタイプなので(笑)。

ふかやぶ先輩と夜の高速をドライブしているイメージが浮かびました。

唐突すぎて、なぜだかわかりません(笑)。

 

助手席で先輩が呟きます。

 

夏の夜ってほんと短いよね

宵のうちだと思ってたら

もう明けちゃったよ

いったい、この雲のどこに

月は宿をとってるのかな

ふかやぶ先輩の洒落た諧謔のうたをのせる曲をつくってみました。

明け方の高速をイメージしています。

36番歌のイメージとは程遠いかもしれませんが、もう後戻りはできません(笑)。

 

日本語の朗読は奥様にお願いし、英語部分は適当(たぶんいろいろ間違っています)に英訳したものを「音読さん」で読み上げてもらいました。

 

夜の運転中いつも、名曲Steppin' Out(Joe Jackson)が勝手に脳内再生されます。

ミックスも全部終えた後、Steppin' Outの、あの印象的なピアノのフレーズをねじ込みたくなって、一小節だけ本歌取りで織り込んでみました。

F#からCに転調して弾いたからなのか、あのキラキラ感が薄れてしまいました・・・。

youtu.be

With a sense of homage to

Steppin' Out”

80年代のかほり。

youtu.be

 

 

ルーレットがまわるように

兄が19,姉が17,私が14。

大学進学のため兄が上京する直前、誰が言い出すでもなく兄弟3人で人生ゲームを始めました。

小さな頃はよくやっていたのですが、それぞれ受験やら何やらで、本当に久しぶりでした。

ルーレットをグルグルと回しながら、こう思ったのを鮮明に覚えています。

「兄弟3人だけで人生ゲームをやるなんて、この先二度と無いだろうな。」


実際に二度とありませんでした。

兄弟3人だけで会ったのも、ずっと後。

大学病院の無菌室でした。

 

兄と姉がほぼ同時期に難しい病にかかり、入院していた病室。

思いも寄らない状況のなかではありましたが、たくさんたくさん話しました。

 

「一生分話したな。」兄が言いました。

 

遠く離れていて、それまで一年でそれぞれ5分も話すかどうかという程度だったんですから、本当に、一生分の話をしました。

でも、やっぱりもう少し話しておきたかったなと思います。


3人兄弟の末っ子でのんびりやってたのに、突然、長男みたいにされてしまいました。

 

両親はそろって要介護の状態。

二人は日々童心にかえっていきます。

 

お兄ちゃんとお姉ちゃん・・・、逃げたな(笑)。

兄と姉の、決して長くはない生涯から多くの事を学びました。

 

どうでも良い事を、心からどうでも良いと思えるようになりました。

やりたいことを後回しにして、やりたくないことを延々と続けられるほど、一人の人間の持つ時間は多くないことも知りました。

 

 

二十歳の頃から聴き続けている大切な曲があります。

真島 昌利さんの「ルーレット」。

ルーレットがまわるように

毎日が過ぎてゆくんだ

なににどれだけ賭けようか

友達、今がその時だ

          真島 昌利 「ルーレット」 より

本当に。

ルーレットがまわるように時が過ぎていきます。

今がその時ですね。

 

今日も奥様と話しました。

「やけに今月は金曜日が多いね。」

金曜日が中三日くらいのローテーションで登板してきます・・・。

決して焦る必要はないけれど、明日やれることでも今日やっておきたいと思う金曜日です。

youtu.be

たたえよ 土を

娘(万年反抗期)が合唱コンクールで歌う曲の候補をあれこれ聴き比べています。

学校が10曲位の候補を用意して、その中からそれぞれのクラスで選ぶようです。

娘はだいたいピアノをやらされるので、ピアノが弾きやすいかどうかが重要です。

昔はクラスに何人かピアノをやっている子がいて、順番でやったりしましたが、今はあまりいないようでほぼピアノ担当になります。

「ピアノをやっている」といっても、うちの場合は経済的理由から、ピアノの先生にきちんと習ったわけでもなく、「ぴあのどりーむ」という子供用の教本をやった後は、ルパン三世のテーマ」のジャズバージョンをコピーするという、荒っぽい手法で様々な技法を習得しているので、それが正しいのか全然わかりません。

おそらく、いろいろ間違っています(笑)。

できたら、先生に習った子に弾いてもらいたいなと思っています。

娘も「たまには歌ってみたい」と言っております。


候補曲は時代なのか、JーPOPみたいな曲が並んでいます。

聴いてみるとなかなか良い曲がそろっています。

マーケティング的に、合唱用にアレンジされることを前提につくっているのではないかと思われる曲も散見されます。

その方が息の長い曲になりますね。

 


・・・そんなことより、突然ですが、

私が訴えたいのは、

「もう全クラス、大地讃頌にしてください!」

ということです(笑)。

昔は学年に一クラスは必ず選んでいた気がします。

難しすぎるのかな・・・、こんな名曲ほかにないのに。

歌えたら、その思い出は一生の宝物になるのに・・・。

 

私にとっては合唱曲に限らず、すべての音楽の中で殿堂入りのフェイバリットです。

 


大地讃頌は、カンタータ「土の歌」(作詞 大木惇夫 、作曲 佐藤眞)の最終章ですね。
ちなみに各楽章は、

第1楽章「農夫と土」
第2楽章「祖国の土」
第3楽章「死の灰
第4楽章「もぐらもち」
第5楽章「天地の怒り」
第6楽章「地上の祈り」
第7楽章「大地讃頌

大地の恵みへの感謝と平和への祈り、過ちは決して繰り返すまいという決意に包まれた強く美しい音楽。

聴くたびに言葉と音楽のケミストリーに圧倒されてしまいますし、イントロが始まった途端、涙腺がどうかなってしまったのかと思うくらい涙が溢れてしまいます。

youtu.be

この動画も感動的ですね。

この場に自分もいたとしたら、こんな思い出が持てたら、どんなに幸せだったろうと思います。

youtu.be

私の姉も同様に、毎年ピアノの担当でした。

姉は中学生の頃、合唱コンクールのために大地讃頌を毎日弾いていました。

ひたすら和音の連続する、#が五つもついた難しいその曲を毎日毎日練習していました。

ですから、大地讃頌のピアノは私の小学生時代のサウンドトラックでもあります。

古い平屋の西日のあたる部屋で奏でられていた大地讃頌

若くして、難しい病で旅立ってしまった姉の、ピアノを弾く背中。

退色する記憶の中で、それらは溶け合い、大地讃頌は私にとって姉のテーマでもあり、何より大切な永遠のアンセムになりました。